三〇四号室 【 川添 美海子 】

1

 後輩が気味の悪いことを言う。美海子は亜都里のことを不快に思い始めていた。最初は気が弱くおとなしい子だと感じていたけれど、言動がおかしい。やけに顔色が悪い。


「最近痩せた? ダイエットでもしてるの?」


 まだ入社して十七日しか経ってないけれど、目に見えて亜都里がやつれてきている。ちゃんと食事をしているか気になって、美海子は訊ねた。


「ダイエット? してないですよ。三食ちゃんと食べてますよ」


 ほらと亜都里が食べかけの弁当の中身を見せた。

 量が極端に少ないとかでもないようだ。ただ、研修中の教育係として亜都里の体調管理も美海子の責任になると思ったから、ダイエットしているのかと聞いたのだ。


 やつれているが、本人が食事をちゃんと摂っているというのなら、それを信じるほかない。


 話すこともないので黙々と弁当を食べていると、机に置いたスマートフォンが急にバイブしだした。画面を見たら、ラッキールームの白石からだ。


 なんの用だろうと席を離れて廊下に出る。


「もしもし」

『川添さんのお電話でしょうか? お世話になってます。ラッキールームの白石です』


 白石から電話があるのは初めてだった。一体何事だろうと美海子は身構えた。


「何ですか?」


 すると、白石が言いにくそうな口調で、『すみません。他の住人の方から夜中に話し声がするという相談を受けまして、何かお心当たりがありましたらご協力願えませんか』と言ってきた。


「それって、わたしがうるさいってことですか」


 身に覚えのないことで注意され、美海子は言い返した。


『そういうわけではありませんが、もしお心当たりがありましたらと言うことで……』

「どううるさいんですか。何がうるさいか教えてもらえないと、協力も何も出来ないと思いますよ」


 多少きつめに言い返しておかなければ、騒音の主が美海子だと断定されてしまう。


『男女の話し声だそうです。おそらくテレビか何かではないかと思うんですが……』

「夜中までテレビは見ていません。何か勘違いじゃないですか。わたしじゃないですよ」

『そうですか……、大変失礼をいたしました。川添さんも何かありましたらいつでもご連絡ください。それでは失礼いたします』


 白石が端から美海子を疑っているのが気に食わなかった。もっと何か言ってやりたかったが、昼休みを身に覚えのないことで浪費してしまうのは嫌だったので、さっさと通話を切った。もし受話器で電話を受けていたら、顧客や営業にはしないような荒っぽさで電話を切ったかもしれない。こういうとき、スマートフォンでは感情を相手に伝える手段がない。そんな些細なことでストレスを感じる。


 憤慨しながら亜都里の隣の席に座る。弁当を広げて手作りのご飯を口に頬張った。


 何も喋らない亜都里に気を遣ってテレビの話題を振るが、亜都里はバラエティ番組は見ないらしい。共通点がなさ過ぎて、会話が途切れがちになってきた。


 そんなとき、急に亜都里が思い出したように口を開いた。


「そういえば、昨日、白石さんに三〇四号室の話し声、相談してみたんですよ。静かになってくれたら良いんですけど……。なんだか、男の人が一方的に女の人を責めてるみたいで、女の人は一晩中泣いてるんです」


 何を言ってるんだろうと、美海子は眉を寄せて亜都里を見た。亜都里の部屋は角部屋で、三〇四号室などない。


「三〇四?」

「わたしの隣の部屋ですよ。毎日夕方から夜中までずっと声が聞こえるんです。結構耳について、それに痴話げんかとかじゃなくて……」

「三〇四号室なんてないよ」

「え? あるじゃないですか」

「あなたの部屋、三〇三号室は角部屋なんだけど。冗談言ってるの?」


 三〇四号室なんてない、亜都里の部屋は角部屋だといくら言っても、受け入れようとしなかった。とても頑固だ。もう少し柔軟に先輩の言葉を聞いたほうが良いと美海子は苦々しく思う。


「声は三〇四号室から聞こえてるって何の冗談?」


 騒音のことを白石に相談したのは亜都里なのだ。白石の失礼な電話にむかついたが、一番腹が立つのは亜都里だ。


 在りもしない三〇四号室から夜中になっても声が聞こえてくるのだと、亜都里がわざわざ美海子に話してくる。これは遠回しに美海子がうるさいという嫌味なのか。


「で、でも……、本当に聞こえるんです」

「本当に?」


 何言ってるんだろう。精神的に何かおかしくなっているのだろうかと、じっと亜都里を見ていると、亜都里が弱々しい口調で続けた。


「本当に三〇四号室から……」

「悪いけど、三〇四号室なんてないの。中里さんの部屋は角部屋。確かめてみたら?」



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