某所にある、とあるマンション 【 中里 亜都里 】
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「家具や家電は前の方が置いていかれたので、そのままにしてます。そのまま使われるか、処分されるか、中里さんで決めていただいて構いません」
四月から勤めるオリエント株式会社の総務課の女性に説明された。
ということは家具付きのマンションの家賃が住宅手当を引くと月2万円で済む。電気代と水道代、ガス代はひと月一律の天引き請求で支払を忘れることもないし、月の支払金額が変わることもない。インターネット環境も整っていると言われて社宅が空いていて良かったと、最初に案内されたときと同じように安堵した。
「確か、三月二十五日からの入居でしたよね」
わたしはドキドキしながら返事をする。
「はい」
「言い忘れてたんですけど、一応内見されますか?」
すでに入居が決まったとは言え、一度内装を見て足りないものを揃える必要もあるかなと考えて、お願いした。
「入居前に管理会社の方に内見の予約入れておきますね」
「お願いします」
入居予定だった二十五日の前日に、管理会社ラッキールームの社員の白石という女性と管理会社の店舗で待ち合わせをすることになった。二十四日が良いと言ったのはわたしだった。
何度もF県を往復するよりもそのほうが都合がいいと考えて、もう住むと決めたのだからそのまま入居したいと総務課の女性に頼み込んだ。前の住人の関係で無理かなと心配したけれど、あっさり承諾されて一日早く入居することになった。
家族には黙って引っ越すことになるので家にある大きな荷物は一切持っていけない。だから家具付きで家電まであると聞いて、ラッキーだと思った。
準備するものを二十四日に買いそろえて、その日はネカフェで一泊すれば良いだろう。
家を出るときの為にアルバイトで貯めたお金は、大切に使わないといけない。でも、こればかりは必要な出費だから仕方ない。
二十四日の昼にラッキールーム天神南店を訪ねて、白石さんと会った。チャコールグレイのスーツを着こなし髪をふんわりとボブカットにした溌剌な女性で、わたしを見るとお辞儀をして駆け寄ってきた。
「すみません、場所、すぐわかりました?」
「はい」
わたしはラッキールーム■■南店の外観を思い浮かべる。
見間違えようもないくらい大きく『ラッキールーム』とあるし、看板の周囲をLEDのライトが煌々と点っていてとても目立つ。事前に説明されていたとおりの外観だ。
「S県からじゃ、結構遠かったでしょう」
何度も電車を乗り換えて、博多に着いたら今度は地下鉄に乗り、■■南で降りた。そこからは事前に聞いたとおりに来ただけなので迷いはしなかったが、トータルで時間はかかった。正直ここに来るまでにかなり体力を消耗していた。けれど、ここからが本番だ。気合いを入れて、わたしは白石さんに笑顔を返した。
「いいえ」
「それじゃあ、行きましょうか」
白石さんに案内されて社用車の後部座席に乗せてもらい、■■南駅から徒歩約十分の場所にあるマンションに向かった。
マンションに着くと、車は地下駐車場へ降りていった。薄暗い駐車場に何台か乗用車があった。
白石さんは社用車をゲスト用の駐車スペースに停車させ、車から降りるとトランクから灰色のスーツケースを出してくれた。
「地下にもエレベーターがあるから、それで三階までいきましょう」
白石さんの言葉を断ってわたしはお願いした。
「すみません、一度マンションの外観を見せてもらえませんか」
それを聞いた白石さんが、わずかにハッとした顔をして、笑顔で頷いた。
「こちらこそすみません。これから住まわれるんですから見てみたいですよね。良いですよ、行きましょうか」
地下から地上に出るスロープを上って、マンションの前に出る。社宅のあるマンションは古びたビルとビルの間に挟まれて建っていた。
どこからか、桜の花びらが舞ってくる。
「あ、桜……」
風に巻かれる花びらに目を奪われた。
「近くに桜の木があるんです」
白石さんが教えてくれた。にこやかにマンションを見て、説明してくれる。
「築十三年にしては綺麗なほうですよ」
「すごく素敵です」
桜の花びらが舞う中、白いタイル張りのマンションを見上げる。六階建てのマンションの一階部分には住居はなく、道路に面して各部屋のベランダが見えた。アプローチに視線を移すと、『リバーサイド■■南』という洒落た飾り文字がマンションの出入り口の上部に取り付けてある。
ガラス張りのドアを開けて入ると左手に宅配ボックスがある。オートロック式の自動ドアの手前に呼び出し口が設置してあり、部外者はここからインターフォンで各部屋に連絡を取るようだ。
「二階と三階が御社の社宅です。中里さんの部屋は三階の三○三号室ですよ」
呼び出し口の鍵穴に鍵を差して自動ドアを開けてエントランスに入る。四方が合成大理石張りのエントランスは明るくてひんやりとしている。右手にエレベーター、正面に階段があった。
「女性限定のマンションですから、当たり前ですけど男性はいません」
あらかじめ聞いてはいたが、清潔で清楚な印象のエントランスは女性的で男子禁制のイメージがぴったりだった。
古い家屋の実家しか知らないわたしにとって、一人暮らしをするこの住処は今まで憧れを抱いていた場所そのものだ。これからずっと住めるんだと思うと、胸がわくわくとしてきて一体どんな毎日が待っているんだろうと楽しみで仕方なくなった。
三○三号室がどんな部屋か早く見たい。エレベーターが三階に到着するまでがやけにじれったく感じられる。エレベーターを降りて正面の廊下からマンションの裏手が見えた。廊下に出て手すりから下を覗いたら古い家屋があった。
「ここら辺は古くから住んでいる方が多いんですよ」
真下の建屋の向こうには、二、三階建ての建屋がいくつも軒を連ねている。地元の人が利用する小さな商店があるようだ。内見のあと、買い物がてら散歩してみよう。
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