34下

「私がそれを読んでたら、確かにムカつくと思います。友達の死を、娯楽にしてるみたいですから」

 しかしながら、

「どうやって読むんですか?佐布君は、それを肌身離さず持ってました。択捉さんの学校襲撃が起こる、その日まで。彼の目の届くところに、ずっと在った。私は、彼の自宅に侵入したんでしょうか?」

「いや、それはない」

 意外にも断言する日下。

「俺が張り込んでた時、お前は妙な動きを見せなかった。下校後にも、寄り道一つしやがらねえ」

 ん?

「え」

 待て。

「私を監視してたんですか!?」

「恥ずかしながらな」

 どこからだ。

「ど、どの時点から、私を怪しんで?」

「初対面の時に、目を付けた」

 この生徒指導室。ここで初めて、彼の姿を見た。あの時、彼女は何か口を滑らせたのか?

「部屋に入って来た時から、お前は極度の緊張状態にあった。それ自体はいい。異常な殺人事件に巻き込まれたんだからな。だがお前の目線が、俺の中にしこりを残した」

 鳶羽は思い返す。

 いいや、見ていない筈だ。あの時は注意して——

「精神を安定させようと、お前の目は部屋を一周した。見慣れた物、これまで見てなかった物、そちらに集中し、平静を保とうとしていた」

 だが、一箇所。

 日下はそちらに顔を向け、鳶羽の視線も運ぶ。


「窓だ。お前はあそこを見たがらなかった。不自然なくらい、そっちを見るのを避けてた」


 「言っただろ?カリギュラ効果だ」、「しまった」と、背筋に汗する鳶羽。あの時に旧校舎の話を切り出したのは、それが理由か。窓の外に見える物の中で、彼女が何を意識しているのか、それを探りたかったんだ。

「旧校舎を案内させたのも、お前が何処を見て欲しくないのか、それを知ろうと思ったんだ。人の出入りが滅多に無いにしては、中の様子がおかしかったから、それを誤魔化すのかとも思った」


 そうしたら、鳶羽の方からそれを指摘し始めた。彼が困り果てたことは、想像に難くない。隠したいのか見つけて欲しいのか、どっちにも見えてしまうから。


「お前はあの時、暴く側だった。しかし最終目標の為に、潜ませておきたい部分もあった。それが二面性を生み、俺は分からなくなった」


 「笑えるだろ」、肩を竦める探偵助手。

 その瞳は笑っていない。彼女は初めて、その青年を危険視する。


「でも、それならやっぱり分かってるじゃないですか。私は、佐布君の原稿なんて、読めません」

「いや、俺の目が及ばない所なら、お前は自由だ」

「そこをクリアしても、佐布君が防護しているでしょう?」

「隙は有る。佐布悠邇は念の為に、自分の手の届く範囲で原稿を持ち運んでいた。それが裏目に出た。学校には、絶対にそれを手放さざるを得なくなる、ある時間が存在する」

「それは?」

 それは、

「体育授業だ。更衣室までは持ち込めても、授業中はそうはいかない。原稿を守るには休むしかないが、そこまで悪目立ちしたくはなかったらしい。だが、お前は違う」

 

 6月19日の午後、鳶羽は体育を休んだ。


「45分の間だから、読めたのは漫画の方だけか?何にしろ、お前には可能だった」

「そうですね。そうかもしれません」

 そうは言っても、それでも、

「私がそこまでする理由ってなんですか?私、隼人の友達ですけど、それじゃあ動機が弱いんじゃあないですか?」

「友情ってのはそんなに軽くはないと思うが、お前が蛇頭隼人から離れようとしていたのも、また事実だ。疎遠になりつつある友人にそこまで?そういう疑問は俺にもあった」

「でしょう?」

「だから俺は、“愛”なんじゃないかと思った」

 ほうら、やっぱり。

 鳶羽はほくそ笑む。

 分かってない。分かるわけがない。


 彼女の内を覗くなら、その覆いを剥ぎ取るならば、

 語れない物を見る勇気が要る。


 誰にも彼女の気持ちなんて、「分からないが、分かった気にはなれる」


 日下の表情が、再び険しくなる。


「これは後から知ったことなんだが」


 産みの苦しみに耐えているように。


「蛇頭隼人の遺体は、心臓部分にだけ、明らかに他とは種類の違う損傷が認められた」


 鋭利な刃物で切り開き、抉ったような痕。それも、死後に。

「そして、心臓が摘出されていたらしい」

 敢えて伏せられていた情報。惑乱を避けたかったのか、「病死」という公式見解と食い違うからか。死体を飾るタイプの劇場型犯罪ならば、知名度を広げることでエスカレートさせかねない、それを懸念したのか。

「警察は恨みか快楽のセンで追っていたが、話を聞いた俺は、所有欲だと思った」

 左胸を握り締めるように押さえ、痛んでいるかのように顔を歪める日下。

「足の負傷は死ぬ以前からのもので、切りつけられてから暫く経っていた。蛇頭隼人は一旦泳がされていたってことだ。そして命運が尽きた後に、心臓を奪われる。わざわざ付いて行って、斃れるのを待ってから事に及んだのか?」

 それよりもっと、納得できる筋書きがある。

「蛇頭隼人は気付かれずに逃げて、その先で別の誰かに見つかった。心臓を持って行ったのはそっちだ」

 では、どういう理由で?


「お前は蛇頭隼人に執着している。それも、『遠くからでも見守りたい』というタイプの感情だ。あの日、6月14日。彼は最近のお決まり通りに、雨の日の夜に学校に忍び入った。お前も同じく、学校の外まで付いて行った。彼の習慣を知っていたからだ」

 ところが、いつもなら現れる時間になっても、彼が出て来ない。

「遂に神螺家に見つかったか、そう思ったお前は、武器になりそうな刃物を取りに自宅に戻り、急いで引き返してみれば——」


 隼人は既に亡き後で、通りにぽつりと横たわっていた。


「全身各所を食い散らかされた彼を見て、ご執心のお前はどう思ったか」


——

——


「嫉妬か、盗人に抱くような怒り。そしてもう取られないように、一番大事な部分を持ち去ろうとした。脳は頭蓋骨が堅守しているが、心臓なら少し骨が折れるだけだ」

 彼を所有しているという証書。何としても欲しかった。そうでもしないと、繋がりが消えてしまいそうで。

「どこに持っていこうって、隠そうって言うんです?うちには死体安置所なんてありませんよ?」

「自室に冷凍庫を置いてるんだって?豪気なことだな」

 それを知っている、ということは、

「両親と話したんですか?」

「ああ、今日、お前が登校している間に」

 見てないのをいいことに、ちょこまかと……。

「もう一つ、興味深い事を聞いた。学校襲撃事件の後すぐ、お前が腹を壊したっていう証言だ」

 その話か。

 それについては、日下に助けられた部分でもある。

「それが?」

「冷凍庫でも、劣化は完全には止まらない。いつかは自分の手元から消えてしまう。その前に異臭で見つかるかもしれない。お前は進退窮まっていた。そこに、一つの画期的なアイディアが降りて来たんだ」

「何が言いたいんです?」

「お前は——」


——蛇頭隼人と二度と離れないように、


「彼の心臓を喰っただろ」


 カニバリズム。

 彼が教えてくれたのだ。

 死人と共に生きる方法。その命を、自分の一部にしてしまえばいい。

 

「どう扱ったらいいか持て余してたお前にとって、俺から聞いた話は天啓だったか?だとしたら、余計な事をしちまったよ」

 そんなことは無い。彼女の中で、決心がついた。

 自分が何をしたいのか、それが分かった。

 その行為への抵抗感が溶け、たった一つの解決策を実行できた。

 彼のお蔭だ。感謝してもし足りない。


「お前は、鬼子母神だろう?」


 「執着」の正体を、言い当てる。

 日下が言ったのは「愛」。

 “恋”よりも底の深い情緒。


「お前にとっての、蛇頭隼人とは?お前は彼の——」



——“”か?




 彼が育つ所を見てきた。彼が曲がる所も見ていた。ちょっとした反抗期だと思っていた。干渉し過ぎるくらいならと、なるべく自由にさせていたが、それは大きな失敗だった。


 隼人が言った。「母さん」と。

 母親を知らない彼に、それが何かを教えてあげる。それが鳶羽の使命だった。

 公園で会う時は、いつも同じ役。

 彼女が母親で、彼が息子。

 「ごっこ」や「ふり」じゃない。鳶羽は隼人を育ててきたのだ。守ってきたのだ。愛してきたのだ。母親の代わりをし、それが与えるべき愛情の全てを手渡して、そこまでいけば、本物と変わりない。


 何者でもない鳶羽は、隼人の前では存在意義を断言できた。

 「私は彼の、母親である」と。

 自分が何者か、その答えを持っているのは、得も言われぬ幸福だった。




「怖い話ですね、それが本当だったら」


 日下が鳶羽を理解してくれたのが分かった。視点を合わせてくれたことも。

 だけど、だからと言って、鳶羽は負けてやるつもりはない。


「でも、証明する方法が無いでしょう?」


 撥水性のレインコートを着ていれば、返り血に塗れても洗い流す事で、ルミノール反応は出なくなる。冷凍庫の中も清掃済み。血液が付着していたところで、その持ち主が特定できないくらい、微量のものであるだろう。牛肉でも入れていたことにすればいい。と言うより、令状が取れないか。

 監視カメラの位置は把握していたし、映っていたところで痛手にはならない。心臓を取り出すその瞬間が、誰の目にも晒されなければ。

 択捉にしたためた手紙では、読み終わったら燃やすように厳命していた。大人しく従ってくれるかは賭けだったが、そこだけは守ってくれていた。その儀式的な行為に、意味を見出していたのかもしれない。

 最後の襲撃事件に参加した事については、事前に手を打っている。日下に“穴”を見つけさせたあの日、彼女はこう提案した。「彼らの一員として潜入し、チャンスがあれば内から警告する」。マークしていても何も出なかった鳶羽に、日下は警戒を解いていたのだろう。それに諒解してしまった。あの事件での彼女の立場は、警察への協力者だった。



 どの角度から攻め入っても、返り討ちにできる。

 彼女を罰する武器は、没収して回った後だ。



「お前の本懐は成就した。それでも認めないのか?」

「言ってる意味が分かりません」

「そうか………」

 日下の懊悩が、大きく重くなっている気がする。

「だからこそ俺は、お前を逃がすわけにはいかない」

 そして、本当に分からないことを言い出した。

「そこまでして、お前が逃げ延びたい理由」

 愛する我が子の復讐を果たして、それでも未来に光を見る訳。


「誰かまた別に、『子ども』が出来たからか?」

 守りたいからか?


 鳩子。

 鳶羽の親友。

 素直でか弱く、優しい子。


「私は、何も、悪い事はしていません」


 鳶羽は情けない権力機構の代わりに、飢える大衆へ悪党を突き出した。そうしなければ、もっともっと沢山が、怪物の腹に入れられていた。その一人は、鳩子だったかもしれない。

 進捗が鈍く、役に立たない捜査では、有耶無耶にされるだけだった。


——あなただけは、

——今度こそ、大切に育てきってみせる。

 

 失敗から学んで、今度こそ。


 だから彼女は、捕まるわけにはいかない。

 あの子の隣に、居続けなくては。


「そうか、そうなるか………」

 日下は疲労困憊といった風情だ。

 さっきから、他人事とは思えない乱されぶり。こんなことで、日常生活に支障を来さないのだろうか?探偵業務だってドライな方が、適性が高いだろうに。


「もういいですか?これ以上は話すこともないでしょう?」

「………そうだな…、もう、いいか………」


 終わりだ。


 勝負あり。


 椅鳶羽は、


「それじゃあ」


 逃げ切ったのだ。


「失礼しま——」「もういいぞ、羽刈茉音。入って来てくれ」



「失礼しますよ」


 女性刑事が、戸を開けて入ってくる。今更召喚されたところで、戦局はこれ以上動かない。なのに、何故呼ばれた?

「こんにちは、椅さん」

 彼女は鳶羽に対して、敵対感情を隠そうともしない。どこか同情的に見える日下より、幾分かやりやすい相手である。このくらいなら、足下を掬われることもない。

「あなたに、会わせたい人がいるの」

 彼女にそう言われても、鳶羽はどこも減退しなかった。風前、最後の灯火でしかない。誰が来ても、もうお腹一杯。

「どうぞ、入って」

 供された皿は、


「………は?」

「………」


 十字架を背負ったかのような、重々しい足取りで入室する。


 神螺日向、


 鳶羽にとって最大最悪の、敵性肉食動物だった。


「はあ………はあ?」

——ええ、

——うん、

「なんで?」

 彼は今、神螺邸の中でビクついてる筈だ。

 道理に合わない。どうして、どうやって出て来た?

「ああ………ああ!分かりました!」

 この場をセッティングしたのが誰か?彼女はその回答を得て席を立つ。

「神螺が私に罪を押し付けたい、その為に私からボロを出させようって、そういう魂胆ですね!?」

 彼らも黒幕とグルだったのか。

 神螺家の逃げ道を掘る為の。

「いいですか!?そいつは隼人を食い物にし尽くして、危ない事に巻き込んだ男ですよ!“厄捨穴”なんて兵器を、私利私欲で隠滅していた元凶の一味!殊勝な顔してここを切り抜けて、喉元を過ぎればまたやります!」

 また彼らの勝手な都合で、誰かが犠牲になってしまう。

 次は鳶羽か、それとも鳩子か?

「それで良いんですか!?あんた達に良心があるなら、責任を果たしてください!こいつは捕まえてなきゃダメなんです!罪を免れちゃいけないんです!今すぐそいつを——」

 

「紹介しよう、椅鳶羽」


 「紹介」とは?

 知らぬ顔など居ない。

 だから問題なんだと言うのに。


「彼は、神螺日向」


 日下が分かり切ったことを言った。


「今回の俺の、


 日下が分かり得ないことを言った。

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