36上

「うちの事務所に連絡してきたのが、彼だ」



 鳶羽は、この事件を誰よりも知っていた。

 子どもも大人も、他の誰も知らない事を、鳶羽だけが知っていた。

 ひとえに、犯人の近くに居たからだ。彼らが日常で何気なく溢すもの、それらを繋げることで、事件を解体した。

 司法や警察の、無力さも知った。

 だから、彼女自身が動いて、人喰いすら平らげ、箸を置いた。


 けれど、その前提が一つ、崩れてしまえば?


「でも、警察から協力要請したような言い方で……!」

「こっちから、手を貸そうか打診したんだ。断られると思ってたんだが、存外早めに飛び付いて来やがった。と言うか、逆にお願いされた」

 寧ろ日下の側が、腰が引けるくらいだったらしい。

「神螺絡みなら、関わりたくない。外部に責任を被せられた方が良い。そういう判断だろうな。スケープゴートってやつだ」

 それが事実なら、神螺日向は事件解決の為に、最も積極的に動いていた、そういうことになる。

「神螺が、なんで、そんなことしてるの……!」


「隼人は僕の友達だ」


 この部屋に入ってからの第一声は、意志を充溢した声明だった。


「当たり前だろ」

「でも!だって!『事故』だとか言ってたでしょ!」

「そうだよ。『事故』だと思ってた。それを100%に近付ける為に、そして、場合によっては隼人の遺志を継ぐ為に、探偵さんに調べて貰おうと思ったんだ」

 「評判は聞いていたからね」、言った神螺に、「悪いな、助手の方が来ちまって」、自虐する日下。


「嘘!友達なんて!思ってないでしょう!」

 隼人のことなんて、何も分かってないに違いない。

「どうやって会ったかも、覚えてないでしょう!!」

 彼女は鮮明に思い出せる。6歳の時に近所の公園で、寂しそうに父を、迎えに来てくれる誰かを待っていた、隼人の姿。

 「誰か」は、鳶羽だった。

 彼女が彼を、迎え入れた。

 それくらいの強い想いが、神螺には——


「忘れもしない、去年の9月10日」


 淀みなく、語られる。


「僕と、彼と、狼金と、瀨辺さん」


 四人が集った最初の時間。


「僕らは満月の夜に、一つの食卓を囲んだ。それまで顔は知ってたけど、そこまで仔細に話したことなんてなかった」


 起点は、瀨辺黒湖だった。

 彼女が歩道橋から飛び降りようとしているのを見て、神螺日向と蛇頭隼人が駆けつけたのだ。なんとか諭そうとする神螺と、瀨辺のしたい事を尊重しようとする隼人で、当事者をほっぽっての口論になり、そこに亜縫狼金が殴りこんで来た。

「僕は死ぬなんて絶対にダメだって言ったんだけど、それを聞いた隼人が怒り出してね。『逃げたくなる奴の気持ちも分からないのに、勝手なこと言うな』って。狼金が来てからはもうハチャメチャだった」

 どうやら、三角関係による痴情の縺れのように見えたらしい。相当癪に障ったのか、「通行の妨げだ!うるさいぞ!」と怒り心頭な彼の参戦で、その場はまさに乱闘状態。落ち着いた頃には、何をしていたのかよく分からなくなり、そのまま近くのファミレスへ、全員で同道することになった。


「みんなで食べたピザは、何故かやたらと美味しかったよ。その場で誰がどれだけ持っていくかとか、瀨辺さんが全然食べようとしないとか、ピザはマルゲリータよりサラミが載ってる奴の方がコスパが良いとか。どーでもいいことを言い合いながら、ピザカッターで切り分けてた」

 

 「生地は薄いし食材は安物で、だけれどとっても美味かったんだ」、寂しそうに、神螺は回想する。


 それからだ。彼ら四人は、「仲良し」グループとなった。


「瀨辺黒湖が、自殺未遂ィィ……?あの軽い女が、そんな……」

「瀨辺さんは、大きな流れに逆らわないようにして、生きてきたんだ。誰も不快にさせないようにって」

 論ずる必要もない。そんなことは不可能だ。

 人から見苦しく思われないように着飾れば、人目を惹いて同性から妬まれる。彼らに同調して仲間だとアピールしても、八方美人の蝙蝠女呼ばわり。誰かから、母親からすら、「父を誘惑している」と憎まれる。恨みを買わないよう立ち回るほどに、敵の数が増えていき、それを重ねる内に思った。

 「私はみんなから嫌われている」、「今好きだと言ってくれる人も、素の私を見たら厭な思いをする」、「だったら、みんなが不快にならない為には」、


——私が消えて、いなくなればいい。


「弱さだと言う人もいるだろうけど、優し過ぎる人なんだって、僕は思う。隼人が言っていたのは、そういう考え抜いた結論を、蔑ろにしちゃいけないって事だったって、そう気付いた」

「いやでも、この前択捉にお前が詰められてた時は——」

「うん、大勢を敵にして庇ってくれてた」

 「こんなこと言うのはいけないことだけど、嬉しかった」、それは、恋する少年の紅顔だった。


——周囲に気を配っていた?あの女が?

 だって、あんなに楽そうだったのに。

「本人は無理してるつもりはないんだ。ただ、軽いからこそ、境界線を簡単に跨いでしまうんだ」


 鳶羽の中で認識の根本が、曲がりくねって軋んでいく。


「でもお前は、お友達と、亜縫狼金と揉めてた……!」

「彼は、変なところで責任感が強いと言うか……。隼人があんなことになった当初、取り乱したまま僕の事を問い詰めたのを気にして、一人でそのケジメをつけようとしたんだと思う」

 亜縫には自分が落伍者だという自覚があった。そんな彼と対等に話をしてくれる、友人三名に恩義を感じていた。神螺の警護役というのも、本気で取り組んでいた。その身辺で暴力沙汰が起こったら、全ての責めを負って力づくで解決するつもりだった。

 不良化が進む隼人にも、「アウトサイダーに憧れるのはやめろ」と、日頃言い聞かせていた。


 彼の負い目は、最後まで消化されなかった。だから相談もせずに一人で動き、神螺阿藤に殺された。




「僕が彼ら三人に、あの“穴”のことを教えた」


 知っている。鳶羽は旧校舎の中から、その様子を見ていたのだから。

 その時があったからこそ彼女は、“穴”の存在と開け方を知っていた。


「あの日僕は、父から神螺家が隠してきた秘密を聞いて、悩んでいた。家族やその下で働く人達を、僕の正義感に巻き込むか。それとも見なかった、知らなかったことにして、これまで通りに日常と権威を守るか」


 公表か、秘匿か。


「僕は相談したかっただけなんだ。お互いの弱みを知ってるみんなに。他に、頼れる人が居なかった」


 「過ちだったよ。ああなるなんて思わなかった」、神螺は吐き出す。還らぬ過去を。


「隼人が僕に隠れて、あの“穴”に入ることも、そこに出口があることも、何度も通い詰めるようになることも、ある日父に見つかり、消されることも、一切合切、そうなるなんて、思ってもいなかった」


 亜縫狼金が、雨の日の夜に単身で調査して、神螺阿藤の、二人目の犠牲者になることも。


「知らなかったんだ。父さんが、あそこまで“穴”に妄執を抱いていたなんて」


 爪を立てるくらい強く顔を覆い、慙愧と悔恨の波に沈む神螺。


「は、分かんない。わかんない。ぜんぜんわかんないんだけど」

「時系列で纏めてやるよ」

 日下が再び、発言権を握る。


「お前が知らない所、知らない切っ掛けで、蛇頭隼人は彼ら三人に出会った。

仲を深めていたある日、神螺日向から“穴”の存在を知り、好奇心からか希死念慮からか、その中に入った。そしてあそこに在った生態系と出逢い、神螺家の目を盗んで逢瀬を繰り返した。『餌』係が去ったのを確認して、その後に蓋を開き、降りていた。しかし遂に見つかって、口封じされた。

 門から人が出入りした記録も消して、少年が一人行方不明になるだけで終わりだった事件。だが彼が外に出られると知らなかった為に、出入り口が封鎖されておらず、脱走と遺体の発見を許す結果となった」


 “人喰い”が、世に知れた。


「亜縫狼金は神螺日向が何も知らないことを確認し、独断専行の上で神螺阿藤に殺され、今度こそ確実に“穴”の中に閉じ込められた」

 

 鳶羽から隼人の不信を聞いた彼は、父と争わせるのも忍びないと思い、何も告げずに先走ってしまった。


「そして“穴”の具体的な場所までが公開され、神螺日向は神螺阿藤に、正直に告白することを進言した。だが彼はそれを突っ撥ね、最後の手段に出た」


 五月蠅い息子を軟禁し、彼の命で瀨辺黒湖を脅した。


 神螺日向を死なせたくなければ、“穴”について喧伝する択捉芹香を殺し、あの中身を闇に葬れ、と。

 証拠隠滅の為に、爆発によって崩落させる算段まで、用意されていたのだ。

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