36下

「ウソをつくなああ!!」


 突如全身を襲った衝撃に身悶え、骨が粉砕されるような痛みに耐え、潰されないように大声で反論する鳶羽。


「だったらお前が今ここに居るのがおかしいだろうが!!どうやって出て来たんだよ!」

「俺が連れ出した」

 反撃は日下から来た。

「学校が襲撃された日に、俺は神螺邸に潜入して、地下牢に居た彼の脱出に手を貸し、保護した。彼から事情を聴いて、急いで瀨辺黒湖を止めようと走ったんだが——」


——間に合わなかった。


 揃いも揃って、こいつらは、

 血が出るくらいに噛み締め握り締め、


——あれ?

——なんだよ、

——本当に悲しんでるみたいな、その顔をやめろ。


「あれあれあれあれぇぇ!!」


 背中が本棚に当たり、自分が後退していたことを知る鳶羽。

 違う、違うと繰り言を吐き、頭から悪い想像を追い出す。


「さ、さ、佐布は!?あいつはどうなの!関わってる筈でしょ!どこにも出て来ないなんて有り得ない!」

「佐布君は、隼人の友人の一人だよ」

 鳶羽の知らない交友関係。

 当人が隠していたのもあり、見つけられなかった繋がり。

——じゃあ、あれは、絡んでいたのではなくて、

「隠してた?なんでよ?」

「彼は小説が好きで、作家志望だった。佐布君と協同で、作品を作ってたらしいけど、『照れ臭い』とか言って、発表する踏ん切りがついてなかった」

 「小説」?確かに隼人は本を読むのが好きだった。そういうこともあるか。

 何か思い出さなくてはいけない気がするが、大したことじゃない。

 大したことじゃ、

 「小説」、って、さっき——


「お前、表題のページをよく見てないだろ」

 日下が漫画の原稿を、彼女の目の前まで持って来る。

 『Paper Moon, Pale Toon』

 原作:ヘル・パ=ヘレド。

 漫画:サフ・オリオン。


「あ」

 二人、いる。

 ストーリーと絵は、担当が別。そうか。だから小説を先に書くなんて、二度手間になったのか。

——どっちだろう?

 欺瞞だ。分かっている。

 どっちがどっちに当たるのか。


「蛇頭隼人が考えた物語に、佐布悠邇が形を与える。その分担だ」


「え、じゃあ」

 これを書いたのは、


「蛇頭隼人だ。だから、“厄捨穴”によく似た物が出て来る」


 たった、それだけ。


「これは恐らく、彼の内面を写した作品だろう。自分が嫌いで、周りに敵ばかり居て、“穴”の中の何かに救われた、彼自身」

「け、けど、この中で主人公は、四人から攻撃されてる。隼人が神螺達に、虐められてるってことがここから——」

「ストーリーの中では、彼らと戦い、“穴”の力で消していき、その先はどうなる?」


 主人公の行動で世界が滅亡して、

 何も残らないという虚しい終焉。


「思うに、これは戒めでもあるんだ」


 彼が抱え込んでいた罪業。

 彼が刻み付けたかった教訓。


「彼はきっと、普通に幸せそうにしている、そんな奴らが憎かった。その中でも、人気者だったり、成功していたり、唯我独尊を貫いていたり、そういう連中に憧れて、そして怨み妬んでいた」

 

 然れども、彼は知った。

 敵だと思っていた者達にも、悩みがあり、苦しみがあり、話してみると共感できるところがあり、


 彼らと、仲良くなれてしまう。


 彼らに落ち度は、何もない。


 醜いのは、自分だけだった。彼はそう思ってしまった。


「かつて彼ら三人に抱いていたマイナスイメージを、そのまま敵と設定する。表面的な悪と戦った先にある、薄っぺらな独立戦争の終局を書く。そこに至るまで止まれなかった、愚かな男の話をな」

 

 そして、選ばれない悲しみを。


「でも、でもでもでも!でも!」

 鳶羽はもう、立っているのがやっとだった。

 目や口や鼻を伝って浸すのが、汗か涙かそれとも雨か、それすら彼女は分かっていない。

「隼人はなんで、そんなに絶望してるんですか!」

 「なんで」、

 「人それぞれ」、それが模範解答だろう。

 彼女が聞きたいのは、そうじゃない。聞きたくないのは、そうじゃなくて、


「自分が欠けていると、そう思っているからだ」


 他の誰もが持っている物を、持っていない。


 彼には、母親がいない。


「居る!ここに!いるから!」

「彼はそう思ってなかった、ってことだろ」


 彼は自分の欠陥を、母親がいないせいだと考えた。だからこんなに、心が汚れているのだと。その劣等感は羞恥を招き、消えて無くなりたいという煩悶へと発展する。


「“厄捨穴”は、誰にも迷惑を掛けずに居なくなれる、そんなブレイクスルーだった。しかしそこに落ちたことで、彼は生きる希望を見つけることになる」


 彼を迎えたのは、液体だった。

 捕食用の流体だった。

 生命力が充満した水で全身を包まれ、

 彼の最古の記憶が甦る。


 胎内だ。

 母のはらの中、羊水の温もりだ。

 彼はそこで、自分も“母”を持っていたことを、思い出した。


「彼にとって、自分が人並みであると、生きていていいのだと、そう思わせてくれる場所だったんだろう。誰も教えてくれなかった、安心をくれる空間」


 蛇頭隼人は、そこで生まれ変わった。


「小説を書いてみようと思ったのも、それが起爆剤だったのかもな」


 隼人は、母性を得ていた。

 椅鳶羽以外から。


「だけど、“穴”は隼人を裏切った!慕ってくれている隼人を喰い殺した!焼かれて当然のクソ陥穽かんせい……!」

「そこでさっきの、神螺日向の発言に戻る」

 彼は言った。「事故と思っていた」と。

「それは半分正解なんだ」

「どういう、こと……?」

 間違えて喰う阿保なんて、いないだろう?

「あの“穴”自体には、殺意は無い。急に態度を変えたり、襲い掛かったわけでもない」

 ただ、条件が変わっただけだ。


 Q.「条件」とは?

 A1.隼人の脚に、深い切り傷があった。

 A2.例年より更に気温が上がった。

 

「蛇頭隼人の死因とは?」

 おさらいのつもりだろうが、無駄過ぎる問い。

「食べられたことによる、失血死、とかでしょう?」

「違う、『病死』だ」

「それは姑息な警察が考えた、表向きの話で」


「本当だったんだ」


 その仮説を最初に唱えた神螺が、俯きがちに首を振る。

「本当だったんだよ」

 隼人は、病死した?

「お前が見た蛇頭隼人の遺体は、足が切られて流血していた。お前の後に来た奴が見た時、心臓まで失っていた。それが、他の部位に点在している、皮膚が剥がれたような赤斑や紫斑を、外傷のように見せてしまった」

 しかしそれは、「症状」だった。

「『壊死性筋膜炎』。『人食いバクテリア』とも呼称される“ビブリオ・バルニフィカス”が原因菌で、急速に進行・悪化する疾患だ。重篤化すれば、高い致死率が待っている」

「バク、テリア……?」

「国内でも1978年から、少なくない症例が報告されている。主に九州北部だが、この北陸でもゼロってわけじゃない」

 その菌を含む海産物から経口感染、そうでなくても創傷から感染する。

 

「一般のビブリオ属は、高い塩分濃度の中でのみ発育する。だがビブリオ・バルニフィカスは、1%程の汽水域でも生存できる。水温が20℃を超える日が続くと、特に住みやすいらしい」

 「最近は暑いから、元気なのかもな」、日下はどこか投げ遣りだ。

「“穴”に喰わせてた魚に、付着してたんだろう。今年は高い気温によって、過去最高に数が多かったからか、それとも以前からの積み重ねで、定着していたからなのか。無数の細菌の中で、その生態系に適応し、棲みついてしまった奴が居た」

 通常であれば、免疫力の低い個体相手でないと、壊死性筋膜炎は起こらない。

 だが、過酷な環境で残る為か、それとも、そんな彼らだから残れたのか、


 その菌は、病原性のより強い種へと、進化を遂げていた。


「彼を殺したのは、生態系の中でも新参者の、バクテリアの一新種だ。意思も悪意も無いし、報復するのも馬鹿馬鹿しい」


 だが、殺したことは事実だ。

 鳶羽は隼人の為に、あれを燃やしてやった。それだけは決して間違えていない。


「まだ分からねえのか?」

 

 もうやめてくれ、鳶羽は日下にそう乞いたい。

 彼女の土台は、折れ倒れている。これ以上はリンチだ。早く解放してくれと。


「お前は何も感じねえのか?雨になる度に“穴”に潜って、小説の中でも縋る先にして、そこまで見といて、お前は分からねえって言うのか?」


 分かる、分かるとも。

 だから、苦しいんだ。

 だから、狂おしいんだ。

 認めたくない。彼女と彼のこれまでが、灰とすなんて。


「隼人は、“厄捨穴”を、守りたかったんだ」

 

 神螺が、とうとう言ってしまった。


「原稿を読んだんだろ、覚えているか?太陽の少年が、“穴”の場所を探していた時、主人公は何をしようとした?」


 

  早く。

  はやく。



  見つかる前に、なるべく遠くへ。

  この場所なんて、考えられないほどに遠くへ。



  能う限り、進める限り。



「だから、“穴”から出た彼は、大通りを行き、南を目指した」

 


 街の外へ、

 関係の無い場所へ、

 死を悟った彼は、

 「彼女」が見つからないように、

 少しでも離れようとしたのだ。


 “母”の中から出て行ってまで。



「それを、」


——やめろ、言うな


「無駄にしたのは、」


——やめて


「“穴”を暴いて、」


——言わないで


「彼の救いを殺したのは、」


——お願い!やめて!




「椅鳶羽。お前が蛇頭隼人を、無駄死にさせた」


——お前が彼を、死後も貶めた。



 

 鳶羽は、音も無く叫びながら、へたり込んだ。

 呼吸の仕方すら、忘れているみたいだった。


「楽しかったか?ここではお前は何者でもない。だから、何者にも成れる。何だってできる」


 自由な地平。魔法の王国。絶対な自分、特別な力。

 素晴らしきかな、月面世界。


「だが月にも、確かに重力がある。それを忘れて舞い上がった奴は、いつか位置エネルギーのしっぺ返しを食らう」

 ルールがあり、マナーがあり、やってはいけないことがある。


「お前は一つの側面だけ見て、そいつの全てを分かった気になっていただけだ」


 ある日の三日月を見ただけで、月は細長いと思い込むのと同じだ。

 底が見えない穴を覗いて、その先に地獄を見るのと同じだ。


 絶えず変化する肉体を、記憶によって連続させ、“自己”という迷信を作るのと同じだ。


「お前は誰も、何も理解していない。お前はお前が思っているほど、万能でもないし達観もできていない。『誰かの為』と言いながら、ただ己の欲に合うよう、現実を無理矢理に歪めただけだ」


 そうして、我が子と慕う人間の、友と、願いと、大切な物。


 全部、丸ごと、喰らい殺した。


「母親だと言うなら、とんだ毒親だ」

 でも、

「デモデモデモデモダッテ!!」

 だって、

「阿藤は!?お前らはアイツの所業を知らなかった!神螺家を罰せなかっただろ!」

 だから、彼女がやるしか——


「何度でも言うぞ?」


——『思い付かないと思うか』?


 水面下では、王手は済んでいた。


「蛇頭隼人が学校から出ていないなら、同じ所有者を持つ神螺邸と、道が通じているのでは?そりゃ発想するだろう」

 だが相手は、腹に一物抱える有力者。

 だから、「捜査が冷え固まっている」と思わせようと、彼らは見えぬ振りをした。慢心から浮いた足下を、払って倒してしまう為。


「お前がやったことは、むしろ奴らを利する行為だ」


 「お前は、お前の敵に、甘い汁を啜らせてただけだ」、

 その言葉を最後に、誰も何も言わなくなった。



 鳶羽はもう、母ではなくなってしまった。

 それ以外の何かにも、成れなくなってしまっていた。


 聖母を讃える歌が聞こえる。

 鳶羽の事は、誰が唄うのだろう?


 彼女に罰を、この無気力を与える為に、

 彼はこのテーブルを、用意したのか。


 

 彼女は両手で耳を塞いで、自分が起きるのを待つことにした。

 どうせ目の前は真っ暗だったから、目蓋を閉じる必要は無かった。手の本数が足りるのは、不幸中の幸いと言えた。

 さっきまで誰かと話していた気がする。まあ、今は気にせずに忘れていいことか。

 彼らはまだそこに居るのだろうか。顔を上げて確認するのも億劫だった。


 腹の中からその内に、隼人が喋りかけてくれるかもしれない。だから今は、静かに口をつぐんでいる。

 彼女は分かっている。

 隼人はきっと、お腹を空かせているに違いない。

 待っていれば、腹の虫が鳴き出すだろう。

 くぅくぅ言って、彼の元気と健康を、彼女に教えてくれるのだ。


 だから、しぃーっ、静かに………




 椅鳶羽はそうやって、


 夢が醒めるのを待っていた。


 月が見せると言う、支離滅裂な悪夢が。

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