完彌

遺稿、蒼月

「家畜の共食いの話を、聞いたことがあるんです」



 新幹線の駅へと向かう車内。

 羽刈茉音が、口火を切った。


「狭い所に押し込められて、ストレスのぶつけ先を求めた彼らは、弱い一匹を寄ってたかって食い物にするそうです。共用のサンドバッグとして」

 彼女が何を念頭に置いているのか、言わずとも知れている。

「あれだけの人間を一箇所に押し込んで、一つの閉じた社会を作って、その中で上手くやれるかは生徒次第、いいえ、運次第な部分も大きいです」

 人の数だけ、不和の種がある。多ければ多い程、それだけ波乱を起こす。

「神螺日向という少年は、家が裕福で人から信頼されて、当人も優秀でした」

 しかし彼は深く恨まれ、友も想い人も、大きく狂わされた。

「あそこに“学校”という括りが無くて、彼か、彼を嫌いな人か、どっちかが逃げることが出来ていれば——」


——何か、違ったのでしょうか?


 さあな。

「分からない。括られるのは、社会人でも同じだ。カテゴライズからは、逃げられないだろうよ」

「そうですね……。縦割り組織としては、耳が痛いです」

「それはどうも悪かった」


 再びの沈黙。

 今度は俺から話題を振った。


「彼女は矢張り、法では捕まえられないのか?」

「難しいでしょうね。仮に本人が自白したとしても、冷凍庫の残留物だけで、立証できるかどうか……。ですから、彼女がまた同じ罪を犯さないよう、誤りを正したあなたの行動は、間違っていないと思います」

「どうだかな。今回も間違いだらけだった気がするぜ。後手も後手。ゴテゴテだ。“探偵”が来てたら、もっと手早くスマートに終わらせられただろうに」

「私達が仕事で取り扱うのは、“事実”です。起こっていない事の予測に、事実はありません。先手を取ってはいけませんよ」

「だったらせめて、二人目の犠牲者は止めたかったよ」


 俺の目が節穴であったせいで、三人が死んだ。

 しなくていい罪に手を染めた人数は、もっと多い。

 他にやり方があったのではないか。そう思わずにはいられない。

 椅鳶羽に対する審判だって、行き場のない感情の捌け口にした面が、混じっていないと言い切れない。


「神螺日向君は、瀨辺黒湖さんを、いつまでも待つそうです。あの二人が命までは取られなかった。それは成果になりませんか?」

「『いつまでも待つ』、か………」


 校門から出る時、そこに立って人を待っている生徒を見た。

 待つことを伝えてないようで、「驚くかなあ」などと楽しげな様子だった。


 彼女の名前は知っている。だから、彼女が誰を待っているのか、それも凡そ見当が付く。

 

 俺のやった事は、蛇足だったのでは?

 これから先もこの問いは、解けることがないだろう。


「しかし、蛇頭隼人は、どうやってあの中から外に出たんでしょう?下にあった唯一の出口は、事件翌日に神螺家が調べた時も、押し開くことが出来なかったらしいですし」


 その謎があったから、未知の通路の存在に怯えて、神螺阿藤は強行策を取ってしまった。


「そこは本当に迷宮入りだが、仮想はできるさ」

 「ある種の食虫植物は、虫を掴むように『動いて』捕獲する」、だ。

「触手のようにとはいかないが、根っこを少しづつ動かして、開閉を妨害したり、逆に道を開けたり、そういう事も、出来たのかもしれねえ」

「え、ということは、“厄捨穴”が、蛇頭隼人を逃がそうとしたってことに?」

「さあな。愛情があったのか、滅びゆく世界の箱舟として、外と内とを行き来して欲しかったのか。そういった事と関係なく、他の出口が実はあったのか。今となっては、誰にも分からん」


 彼の想いが伝わったのか。

 当の「彼女」に訊ねることは、もうできないのだから。


「どいつもこいつも、低重力の中で飛び跳ねて、逆さまになって頭に血が昇り、上気した脳で考えて」


 眩暈の中で、決死を固める。


 滅茶苦茶になって、然るべきだろう。


 あの夜空の占有者こそが、そもそも偽物なのだから。


 月なんて、太陽の光が跳ね返るだけの、


 単なる土塊つちくれに過ぎないだろうに。




 俺は鞄から原稿を出す。

 実は、小説の末尾の内容は、漫画化に伴いカットされている。

 文書に残された手書きの文字が、実体験を調理するにあたって、厳しく難航していた過去の、爪痕を生々しく残している。


「あのページを見ていれば、誰が書いたものか、筆跡から察せただろうに」


 今は詮無い話である。


 佐布悠邇が仕上げた、最終盤まで捲る。

 そこだけ蒼く色付いているのは、きっと作者のこだわりなのだろう。

 どっちのものかは、知らないけれど。


 何度も読んだその頁に、俺は再び目を通し始めた。




——————————————————————————————————————




「さようなら、さよなら、さよなら」



 口の中で飴玉みたいに、その言葉を何度も転がす。

 

 どうしてこうなったんだろう。還りたかっただけなのに。


 一矢報いることはできたけど、なんだかもう疲れてしまった。

 無闇矢鱈むやみやたらに、壊し過ぎた気がする。

 こんなこと、しなくてよかったんじゃなかろうか。


 思いついたから、やってしまった。

 出来ない事の多い僕は、出来る事が正しいと思い、何も考えず進み続けた。


 そんな僕に与えられたのが、この終末だ。

 有終の美も何も、あったものじゃない。

 限界だって、心の何処かで分かってた。

 でも僕は、試さずにはいられなかったんだ。



 僕らは“自由”から逃れられない。このありふれた猛毒からは。



 汚く見える物を取り払っても、綺麗になんてならなかった。

 そこには空虚があるだけだ。


 ああ、彼女が遠ざかる。

 帰る為に必要なだけを、もうお腹に収めたらしい。

 

 根の一本が、こちらへ向かう。

 もしかして、

 やっと、

 僕を食べてくれるのかい?


 なら、どうぞ。

 煮るなり焼くなり、

 お好みで。


 僕もそっちに手を差し伸べて、指先があえなくすり抜けた。

 この世界での彼女の実体は、もう失われた後だった。


 消えていく。

 食べ残しは行儀が悪いけど、

 彼女はもう、ここには居られない。

 


「さようなら、さよなら、さよなら」


 声が出てるか、いないのか、僕にはもう分からないけど、


 焼けるような喉の奥、肺内最後の空気に乗せて、

 舌で言葉を弾き出す。


 物言わぬ彼女の、

 「御馳走様でした」の代わりに、




       「何もかも、誰も彼も、これでおしまい」




                   Paper Toon, Pale Moon ~⅙の不自由~(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Paper Toon, Pale Moon ~⅙の不自由~ @D-S-L

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ