2

「ねえ聞いた?またらしいよ?」



 2年B組を目指して、廊下を歩いている途中、そんな話し声が聞こえた。


「また?」

「そう、『また』」

「また、旧校舎?」

「そう、『また』」

「じゃあ——」


——また誰か……?


 続くだろうその言葉は、制止され未発声に終わった。「滅多な事言わない方が良いよ。狙われる」、本気で怯えるよう、そう言っていた。

 そんなに怖いなら、最初から語らなければいいのに、そう思う。

 しかし、危険な物ほど近づきたくなる、それも逃れられざる本性なのかもしれない。

 だから彼も——

 いや、考えるのは止そう。


 きささげ鳶羽とうはは首を数回振って、いたずらな思い煩いを追い払った。


 じめついた気候、寒暖を繰り返す時分、粘つく懊悩。それらからも、抜け出したかった。

 少しだけ速めた足で、再び自分のクラスに向かう。

 けれども、今彼女が行くその先こそが、話題の渦中そのものである為、完全には振り切れない。だいたいの場合に禁忌とは、忘れようと努める程に、強くへばりつき落とせなくなる。

 今回もまた、例外ではない。

 逃げた先、教室に入った鳶羽を待ち受けていたのは、重々しく睨み合う、同級生達の冷戦だった。とある一席、窓際から二列目、後ろから三番目のそこには、小さな花瓶と青いカーネーション。漫画やドラマなどでは、よくイジメの手法として使われる。が、事態はそれより遥かに深刻だ。


 理由は二つ。

 彼女達にとって、これはフィクションの中などではないということ。

 そして、その席に座っていた男の子が、実際に亡くなっているということ。

 

 誰もがそこから目を引き剝がそうとして、それ故に意識が集まっていくのが分かる。

 みんなてんで関係のない話題を、途切れる事なく提供し、或いは無理にでも眠ろうと突っ伏して、かえって鬼胎きたいと恐慌が肥大化していく。まさに、鳶羽がそうだったように。

 その中の、男女三人。

 彼らは、取り繕いすら放棄している。

 彼ら同士も目配せを交わし合い、それ以外からもチラチラと注意を向けられ、落ち着きなく押し黙る。

 無理もない。

 これは、彼らの問題でもあるのだから。


 

「はいはい、ホームルームを始めるぞ」


 チャイムと同時に入室してきた、担任の宍戸ししど木綿人ゆうにの声にも、どことなく覇気が無く消沈している。

 逆立って明るめな頭髪と、浅黒い肌、ガッシリとした筋肉。通勤はジープ。

 日頃はその迫力から、「ライオン女」、縮めて「ライオンナ」などと揶揄される体育教師だが、トレードマークの吊り目ですら、常の強圧が見られない。それでも職務は果たそうと、出席を取り、毎週月曜5時限目の体育が男女合同になった等の伝達事項を伝え、

「最後に一つ」

 恐る恐る、といった、これまた彼女らしくない態度で付け加える。


「お前達に話を聞きたいって、その、警察の方がお見えになっている。6時限目のLHRロングホームルームの時間で、一人ずつ生徒指導室に呼び出す予定だから、そのつもりでいてくれ」


 ザワつく。

 当然だ。

 取り調べの対象になる心の準備なんて、一介の高校生には要求水準が高過ぎる。

 不安と疑念。

 学校から売り払われるのか、とすら思い込んでしまう。

「待て、落ち着いてくれ。大丈夫だ。あの人達も情報が欲しいだけだ。決して、お前達を犯罪者だと思っているわけじゃない。それに室内には一人で入るように言われたが、すぐ外に私がずっと待機している。もし酷いことを言われたら、すぐに扉を強く叩いてくれ。私がすぐ押し入ってやる。約束する」

 きっと彼女も、今回の事件には恐れをなしている筈だ。あんな事があって、平常で居られるわけがない。それでも生徒に寄り添おうと、盾になろうと奮い立つ。

 鳶羽は彼女の、そんなところに好感を持っていた。


 鳶羽の席は最後列の隅である為、教室全体を一望できる。

 例の三人をそっと見遣る。

 「そっと」、とは言うが、探偵でもなんでもない素人の少女の「そっと」なんて、気配も視線もダダ漏れだろう。それでも誰にも怪しまれなかったのは、何の事はない、木が森に埋もれただけのこと。

 つまりクラスの全員が、似た挙動を取ったからに他ならない。

 「そっと」、彼ら三人に探りを入れたからだ。

 

 

 朝礼はそれで終わり、そこからは学生の本文の時間だ。しかし今日の学習範囲は、誰もが復習必須だろう。一人残らず浮足立って、内容が定着しようが無い。

 時と共に反応が分かれていく。

 緊張が行き過ぎて泣き出しそうになる者。

 恐れが高じて震えが止まらなくなる者。

 胸が鳴り止まずむしろ楽しみになってきた者。

 そして——

——……あいつ。

 それらをニヤニヤと観察する少女。


 択捉えとろふ芹香せりか


 記憶の中の彼女は、いつだって悪趣味に哂っている。

 二重瞼に青色の瞳。雪のように白い肌と、高い鼻に厚めな唇。赤みがかった茶髪を三つ編みにして、右肩から蠍の尾めいて垂らす。

 外国人にも見える貌だが、母方がロシア系故のものらしい。確かに美の方向性が、大和撫子のそれとは異なる。

 こんな時でも人の混乱を愉しむ性格は、次に何を起こすのか見えず、只々ハラハラさせられた。

 

 

 そして、その時がやって来た。

 6時限目、LHR。

 一人あたりおよそ5分。生徒指導室以外にも、校長室や宿直室も使い、3・4人ずつ並行して進めていたが、それでも授業時間内に収まらない。特例として、終わった者から数名のグループを作り、教師の引率の下で集団下校することになった。前の席から順に呼び出された為、鳶羽は自然と最後の一人になってしまう。

 意味もないのに、足音を殺すように歩き、扉の前で深呼吸。震える手で三回ノック。

「どうぞ」

 女性の声がして、少し安堵しながら扉を開けて、

「失礼しま——」

 一瞬でも気を抜いた自分に喝を入れる。

 中で腰掛けていたのは間違いなく女刑事だが、更にもう一人。大学生にも見える若い男が、壁際の棚やら窓の外やらを、ウロウロジロジロ嘗め回すように歩いていた。

 鳶羽の視線に気づいた女は、

「ああ、この人の事は気にしないで」

 と初手で無理難題を提示し、「どうぞ」と対面の席を手で示した。置かれていたお茶から湯気が立ち、最近のジメついた気候では、鬱陶しいと感じてしまう。


「捜査一課の羽刈はかり茉音まとよ。よろしく」

 パンツスーツでピシリと決めて、シンプルな一本結びと薄いメイク。飾り気は無いが、無駄なく洗練されている。自信満々な「大人の女性」、刑事と言うより大手企業のキャリアウーマン。鳶羽はそういう感想を抱いた。

「よ、ろしくお願いします……、えっと、」

「椅さんね。まあそんなに怯えないで?本当に話を聞くだけだから」

 

 鳶羽の意識を占めるのは、どちらかと言えばもう一人の不審な男の方であったのだが、「気にしないで」と言われた手前、改めて指摘するのも憚られる。だから敢えて無視することにした。今集中すべきは、目の前の人物との会話である。


「早速だけど、本題に入らせて貰っていいかしら。あんまり学校に居残りたくないでしょう?あ、録画していいかしら?嫌なら録音でも」

「ええ、それはまあ……」

「ありがと。それじゃあまず、今回の事件の被害者、蛇頭じゃがしら隼人はやと君について」

 隼人。

 その名前を聞く度、鳶羽の胸は苦しく詰まり、食道に液が溜っていく気がする。

 口の中を、弾力の失われたゴムのような味が通る。


——あんな、惨い……


 彼女は、もう一度、大きく、吸って、吐いている、最中、気持ち、長めの、前髪の、下から、目線、だけで、室内を、見渡す。

 広さは10畳程、一か月のイベント予定が書かれたカレンダーと、数色のマジックが付随している小さなホワイトボード、窓、保温中の電動ポットの横には湯呑が積み上げられ、心理学に関する書籍や何かしらのファイルが詰まった本棚、ちょくちょく視界を通り過ぎる謎の青年。澄ました耳は、吹奏楽部や合唱部が奏で、揉みくちゃになった音響を拾うかと思ったが、よくよく考えれば、彼らも下校させられているだろう。実に静かなものだった。


——よし、落ち着いて来た。

「何か、彼の為人ひととなりについて、知ってることはないかしら?」

「はや……蛇頭君とは、その、小学校くらいから一緒で……」

「幼馴染?」

「いいえ、本当に学校が一緒だっただけです。お互い名前は知っていても、一緒に遊ぶこととかはあんまり無くて……」

「交友関係とか、聞いてない?」

「本人からは、何も……。知ってるのは、学校で見てれば分かることくらいです。『ああ、グレてるなあ』って……」

 高校入学あたりで、彼の風貌は様変わりした。

 鼻やら口やら耳やらに、ピアスやらカフスやらジャラジャラ付け始め、おまけに髪まで金色に染めた。本人としては、輝いているつもりだったのかもしれない。けれど日に焼けた不潔な肌と相まって、どれもくすんで澱んで見えて、痛々しい様でしかなかった。

 その変化は、朱に交わった結果だろう。ではこの場合の「朱」とは誰か?

「よく一緒に遊んでた、仲良くしてた友達とか居なかった?」

「居ました。四人組、あ、つまり、蛇頭君も含めて四人です。しん君と、さん、あと亜縫あぬい君、その三人とよく一緒に居ました」


 あの三人だ。 

 クラスの心臓、カーストトップの神螺日向ひなた

 水泳部所属、神螺の彼女である瀬辺黒湖くろこ

 神螺の腰巾着、荒事担当の亜縫狼金ろうき

 

 隼人は彼らと行動を共にし、彼らの一員として偉ぶっていた。2年B組なら、誰でも知っている話だ。もしかしたら、学年全体に知れていたかもしれない。


「ふんふん、やっぱり、その三人か……」

 羽刈刑事がそう呟いたと言うことは、皆がみんな同じ名前を口にしたのだろう。蛇頭隼人という人物を語る上で、あの集まりの話題は避けられない。

「話は変わるけど、彼、心臓に持病を持ってたりとか、病気じゃなくても話題に出したこととか、聞いてたりしない?」

「し、心臓、ですか…?」

「そう、心の臓」

「なんで、そ、そんな?」

「ああ、いいのいいの気にしないで。ちょっとした確認事項よ」

「は、はあ………」

 羽刈の言葉に大きく惑わされながらも、鳶羽は勇気を振り絞り踏み出す。

「あ、あの……」

「ん?何かな?」

「蛇頭君は、話に聞いたんですけど、やっぱり、その……」

「ごめんなさい、詳しいことは答えられないの」

「教えてください……!彼は本当に——」


——んですか?


 6月14日。

 山も森も無いこの街で。

 彼女の問いに、羽刈刑事は口を噤むのみだった。その慎重な態度が、逆に鳶羽の確信を深めた。普通の死に方なら、首を横に振ればいいだけ。イエスもノーも濁すのは、そうできない特殊な事情があるからだ。

「そっか、やっぱりそうなんだ……」

「あんまりそういうの、真に受けないようにね?」

 一応釘を刺されたが、今更否定しきれないことは、羽刈刑事にも分かっただろう。

 鳶羽は湧き踊る震えを抑えようと、相手の死角であるテーブルの下、右手で逆の手を強く握り締める。

 

「旧校舎」

「え」


 文字通り跳び上がりそうになるくらい、彼女が驚いてしまったのは、聞こえると思っていなかった、新たな周波数のせいである。

 ここに来る前は女性教諭から声をかけられ、さっきまでは少女である自分と、女刑事の会話しかなかったから。だから突如挟まれた低めの波で、必要以上に共振してしまった。


「あれ、あそこに見えるヤツ。あれが、『旧校舎』ってのか?」

 深く考えずに短く刈られたらしい髪、やる気なさげな目元に、さして起伏の無い鼻や口。清潔感はあるが、没個性的な顔立ち。それでも異質な感が拭えないのは、スカイブルーのマイクロチェック柄シャツに、黒のデニムジーンズと、私服丸出しの恰好であるから。制服にジャージ、スーツといった、画一化された中にあって、その自由さは悪目立つ。その上で梅雨に長袖と、おまけに黒手袋を選択しているのだから、ある意味羽刈刑事以上に、彼の正気が疑われる。

 さっきまで一言も発しなかった青年が、大窓の向こうに見える木造の建築物を指し、二人の方を振り向いて尋ねた。

 それが、学校内部の人間である鳶羽への問いだと諒解するのに、暫くの読み込み時間が必要だった。

「えっと、あの…はい」

「さっき小耳に挟んだんだが、曰くがあるんだって?あそこを徘徊する、なんて言ったか、その——」


「“人喰い”、ですか?」


「そう、それだ。一体どういう「不躾な事を聞くようで申し訳有りませんが」

 羽刈刑事がそれまでと一変、険しい声色を青年に向ける。

「『余計な口を挟むな』、そう申し上げたつもりだったのですが?」

「『気になることはなるたけ潰せ』、そう“教育”されてるもんでね」

 整った佇まいの美人に詰め寄られ、けれど青年は慣れ切ったように受け流す。

「第一、お宅らが『どうしても』と言うから、ウチの事務所が貴重な人員を割いてるんだぜ?その事についてはどうお思いで?」

「私は反対でした。民間に捜査介入を許すなんて、あってはならない事です」

「それについては俺も同感だよ。っつーわけでお宅らのお偉いさんに言っとけ。『いくらなんでも頼るのが早過ぎる』ってな」

「元々あなた達が前例を作ったから——」


「あ、あのー……」

 

 そこでやっと羽刈刑事は、鳶羽へ聞き込み中だったことを思い出した。

「こちらの方は……?」

「あ、ああ、ごめんなさいね。本当に気にしなくていいから」

「いや、気にしないでって言われましても」

 余計に説明要求が募るばかり。

「“カリギュラ効果”。『見てはいけない』と言われると、逆に目に入っちまうものだぜ?それを見ないようにするには、まずそれがどこにあるのかを知らなけりゃならない。その為には、まず見なくちゃあいけないからな」

 睨みつける羽刈刑事もどこ吹く風、即興で屁理屈を捏ね回し、「自己紹介くらいさせろ」と懐に手を入れ、名刺入れから一枚取り出す。

 机上を滑るように渡された紙には、

「『日下調査事務所調査員補佐兼営業担当 日下くさかはじめ』?」

 何のことやらよく分からない肩書だ。

 その反応も想定内らしい青年が、

 困ったように笑って言うには、


「取り敢えず、一言で分かるように言うなら——」


——“探偵の助手”だ。


 右人差し指で蟀谷こめかみを掻きながら、


 余計に分からなくなる一言を投下した。

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