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「これが問題の“人喰い”の棲みか」



 「なんなんだろう」。

 鳶羽の思いはそれで説明できた。

 2023年6月16日の昼休み。二人は“旧校舎”の前に居た。

 どこか煮え切らない気温と湿度。春と言うには乾いておらず、夏と言うには我慢できる不快。

 授業後に残れない分の練習時間を埋めようと、合唱部が歌う課題曲が耳を過ぎる。“アヴェ・マリア”、王道と言えば王道な選曲だ。



 あの日聴取が終わった後、日下という男は何故か、彼女に興味を持ったようだった。

 「こいつマジか」とでも言いたげな、羽刈刑事の白眼視を一顧だにせず、此処の案内の約束を取り付けようと、しつこい程に迫ったのだった。

 鳶羽としても気になる事もあったので、「探検」に同行できるのは願ってもいない事である。だが、この気の抜けた男が一緒とは、どういう姿勢で備えるべきか測りかねる。

 そもそもの話だが、「探偵助手」という自称が気に入らない。解決する為の人員としては、何とも微妙に格好のつかない看板。

——どうせなら探偵が来てよ。

 などと、彼女の立場からしてみれば、道理に合わないクレームは仕舞う。


「“旧校舎”って概念は知ってたが、リアルに見るのは初めてだな」

「あ、そう、デスカ……」

「石油ストーブとか、そういう懐かしい物が、置いてありそうな雰囲気がある」

「石油ストーブは今でも使ってますけどね」

「え、そうなの?」

「………」

 今日の授業終わり。この青年は約束通り、校門の前で待っていた。

 そうなると逃げるわけにもいかず、致し方無しとガイド役を受け入れた。

「……シラけてんなあ……。イマドキの女学生ってヤツは、こういうホラーイベントには心躍らないのか?」

「言うほどとし離れてないですよね?」

「お、分かる?俺もまだまだ『若者』で通用するかあ。高校生って言ってもバレねえかな?」

「…………キッツイ……」

「何か言ったか?」

「いいえ、なんでも」


 “旧校舎”。

 鳶羽が通う私立藤ふじあり高等学校が、かつて学び舎として使っていた場所である。

 戦前から使われていたが、戦後すぐに大幅な改築があったと言う。

焦げ茶の外観から一目でそうと分かる木造建築で、防災の観点から問題有りと判定され、すぐ隣にコンクリートとガラスで、今の学舎が作られた。

 平成の中頃には教材や設備の移転が完了し、その後「戦後の復興の象徴たる文化財として残す」派と、「維持費が無駄だし危ないからとっとと壊せ」派に意見が割れ、今も処遇は宙ぶらりんなまま。地質調査か何かでごくごく稀に、土地の持ち主が訪れるだけで、本来の役目は果たさなくなった。


 置いて行かれたその場所で、朝夕問わず人影が目撃される。

 今思えば、その噂が発端だった。


「放課後に誰かが窓から見下ろしてたとか、宿直の人が夜中に動くものを見たとか、朝早く中から出て来る人影があったとか、そういう話が回っていました」

「それが“人喰い”だって?」

「その時は、そう呼ばれてませんでした。と言うか、定期的に似たような話が盛り上がってるみたいです。OBの人からも聞きました。お爺ちゃんも子どもの頃、裏の慰霊碑から低く吠えるような、不気味な声を聞いたとか、そういう話をしてくれます。そんな程度に、定着した話だったんです」

 しかし、

「蛇頭君が、あんなことになって……」

 緘口令が布かれた時には、取り返しのつかないレベルで広がっていた。

 

 「何者かに喰い散らかされた、少年の死体が見つかった」、と。

 

「死体発見現場は、学校じゃなかっただろ?」

「そんな事で、結び付けるのを止められると思いますか?」

「……人は因果を見つけたがるからな。納得を求め、理由無き暴力を怖れている。流行しだしたお化けを、惨劇の原因の座に収め、二つの恐怖を一挙に解決、か」

 何やら勝手に理解したようだが、鳶羽からすると解せないことだらけだ。


 特に、

「なんで、此処を調べようと思ったんですか?」

 それを聞かずに、事態を正しく捉えられない。


「『なんで』、と言うと?」

 「だって、ここって」と一度立ち止まる。

 明かりと言えば西日だけ。空調も何も無く、埃っぽくてかなわない。ギシギシと鳴る床、蜘蛛の巣だらけの天井、何も貼られていない壁……。

 何も無い。

 そしてそんな事は、見なくても分かり切っていた。

「見ての通り、ちょっと薄暗くて気味が悪いだけです。怪談を調べるより、物証とかを精査した方がいいんじゃないんですか?」

 自身としては尤もな指摘だと感じていたが、日下はそれすら先刻承知。


「そういうのは警察に任せる。俺の管轄外だ」

 あっさり切って、捨ててしまう。


「え?いやいやいやいや、警察に分からない事を解くから、“探偵”なんじゃないですか?」

「いや常識的に考えろよ。探偵が警察以上の捜査能力なんて持たねえよ。一人に張り付いて素行調査とかするのが、『探偵』諸君のメイン業務だぜ?」

 正論なのだが、日下の如き非常識に言われると、なんとも腑に落としづらい。

「じゃ、じゃあ、あなたは何で呼ばれたんですか?何をしに来たんですか?」

 そう言うと、彼は何とも疲れ切った顔をする。

「ウチの探偵は、警察以上に怖いんだよ。『探偵』って名乗りを上げて、マジに推理小説みたいなことやり出す、探偵界のレアケースだ」

 この男にこれだけ言われるとは、どれだけ破天荒な人物なのだろうか?

「そして俺の役割だが……、説明が難しいな……。言うなれば——」


——別の理屈を探すこと、だな。

 

「別の理屈?」

「そうだ。世間様とは違う基準・原理・正義。どんなものが適用され、それがどこまで事件に関わるのか。そういったことを掘り下げる。世の理そのものである事を求められる警察組織にとって、死角になりがちな部分をな」

 「例えば今回の場合、『“人喰い”の噂』がそれに当たる」、日下はそう続ける。

「人間が喰われる理由とは何か?まず簡単なところからいけば、栄養補給」

 歩きながら、右の人差し指を立てる。

「捕食活動だな。と、言ったものの、人の肉なんて栄養価としてはゴミみたいなもんだ。しかも下手に殺せば、別の人間が報復よろしく狩りに来る。他に食い物が無いならともかく、冒すリスクと得られるリターンが見合ってねえ」

 「次は攻撃手段」、と中指。

「その動物にとって、最も殺傷力が高い武器が、顎だった。これは分からなくもない。世界には犬を訓練して、猟具やら対人兵器やらに変えちまう例がとある」

 「最後に味」、薬指。

「『人の味を覚える』と言う奴だ。偏食家というのは自然界にも存在する。コアラなんかユーカリしか食わねえ。毒性のせいで他の生物が口にしないから、糧食の供給には困らないからだ。そんな感じで、他種族がおいそれとは襲えない、人類を専門としたハンター種が居る、という仮説も通せはする」


 と、ここまで吟味したところで、

「詭弁だな。全ておんなじ疑問にぶつかっちまう」

「そんな動物、どこに隠れているのか、ですか?」

「ご名答」


 往来で人を殺し、気付かれず姿を消す。静かに殺すには、獲物との間に圧倒的な差が必要だ。だが巨大であったり異質であったりするほど、目立ってしまい見つかり易くなる。ここはジャングルの奥地でも、サバンナの荒野でもない。曲がりなりにも都市部の一角だ。


「それこそ猟犬とかを使っているんじゃ?家のどこかに隠しておけますし、普通の野良犬に偽装も可能です」

「だがそれだと、手口から犯人への逆算が簡単過ぎないか?ナイフなら誰でも持っているし、誰でも使える。だが動物に襲わせれば、歯形から個体を特定され、訓練のスキルによって容疑者も絞られる」

 その通りである。やり方が特殊過ぎて、追究者への大ヒントになりかねない。


「人殺しの過程をややこしくするなんて、本来は徒労、もっと言おう、マイナスの側面しかない。通りがかりの熊の犯行にできる地域ならともかく、この辺りではそれすら難しい」

 理解に苦しむ状態だからこそ、怪談なんてものが隆盛になった。

「そこで俺は、考え方を変えることにした」

「………えっと?」


「『“人喰い”とは何か』、そこから考える」


 鳶羽は途端に付いていけなくなった。どういう筋道だ?


「“人喰い”という言葉に詰まった忌まわしさ。それは何だと思う?」

「え、それは、それこそ命の危険への恐ろしさとかじゃあ……?」

「そりゃあ、それが根底だろうが、今は少し発展させたい」

 日下は少しだけ目を瞑って考え、聞き方を変えて来た。

「今回の事件で、近隣にお報せとか来たか?『危険生物徘徊中』みたいな」

「いえ……、まだそこまで具体的な話は」

「だが“人喰い”というイメージは、肥大化している。少なくともこの高校の中では、誰もが恐れる化物だ」

 それが、どういう意味を持つのか。

「お前達が恐がっているのは、有害鳥獣か?」

 科学技術の巣窟の中で、人一人を襲い殺して、アスファルトに紛れて消える。

 それはもう、

 

「人肉食、或いはカニバリズム」


 恐れられているのは、


「人間の仕業だと確信しているから、お前達は色めき立っている」


 自分に最も近い存在が、思いもしない行動に出ている。

 同じ構造の脳を持ちながら、理解できない結論に着く。

 そのグロテスクな盛り付けが、この事件を脚色している。


「俺はそれを、分かろうとする係だ。何故人が人を喰うのか。もしくは、何故そんな噂が作られたのか。その来歴に、なんとか触ろうとしているわけだ」


「そんなの、理解できるんですか?」

「無論、わからん」

 滑った脚を踏ん張り上体の力で無理矢理持ちこたえる。

 危うくけるところだった。

「本当に何しに来たんですか!?」

「事前の用意が全て役に立つとは限らないってことだ。俺は他と違う視点で事件を見る。他が『時間の無駄』と切り捨てたものを拾っていく。必要とされないならそれでいい。だがあっちが間違った時に、バックアップは多い方が良い」

 「俺にできる『捜査協力』なんてそんなもんだ」、青年はそう自嘲する。

「要するに警察の人達は、“人喰い”と事件が、というかこの学校そのものが、あんまり関係ないと思ってるってことですか?」

「そういう話になるな」

 色々とガッカリである。

 この日下という男、雰囲気はあるのだが、雑用レベルの重要性すら持たない。役回りとしては、窓際に追い遣られた暇人と同じだ。羽刈刑事の胡乱げな目つきの所以も、今なら犇々ひしひしと体感できた。

 

 

 そこからの散策は、それ自体に意味があったようには思えない。

 鳶羽にとっても、紹介できる物などあまりないのだ。

 彼ら二人は、床板を踏み抜いてそそくさと足を速めたり、裏に立っている焦げ目の付いた慰霊碑と、使われていない消火栓の並びを拝んだり、屋上に設置された、何処に続いているのかも分からない水道管が繋がれた、水タンクを見上げてみたり。

「慰霊碑まであるとは、愈々いよいよ心霊スポットじみてきたな」

「このあたりは空襲に直撃されましたから、そういったものもあるんだそうです」

「ああ、そう言えばそうか」


 鳶羽が住む上衝かみつき市が位置する県は、太平洋戦争時に大規模な攻撃にさらされていた。

 狙われたのは、発達した工業地帯があったから。

 有名な公害問題にまで発展したこともある。海に隣接し、その恩恵を受ける地であったが、その時に汚染排水の毒牙に掛かったのは、農作物だったらしい。海には流れ込まなかったのか、問題にならないくらい微量だったのか、実は軽度の症状が発生したが黙殺されたのか。


 そんな“成長痛”が起こるくらい急速発展したこの場所で、けれども実際に焼夷弾が降ったのは、人の密集する市街地だった。物質よりも精神を奪う、それが優先されたのである。この場所もまた、その範囲の内。その時に奇跡的に焼け残った、一部から再建された学校が、正に今彼らが居る建物である。


 この校舎は一度死に、息を吹き返してから、もう一度死んだことになる。食材が調理され、時と共に腐ってしまったように。

 鳶羽の目には死の悍ましさより、遂に力尽きる侘しさがより強く映えた。

 

「う~む、何も異常は無し、と……」

 昼食を抜いたらしい日下は、腹を鳴らした後にそう結論づけた。ところが、鳶羽は納得していない。

「何か……、変、じゃありませんか?」

「『変』?何が?」

 どうしようか。何を言うべきか。彼女は言葉を選んでいる。

「なんか、思ったより綺麗って言うか……」

 そう、今の鳶羽が言うべきはそこだ。

「このボロ屋が?そうは見えないが」

「いや、確かに、ぱっと見た感じは古ぼけているんですけど、例えばほら、私達の足跡とかが見えません。汚れと埃の積もった床であるはずなのに、何かに押しのけられたみたいに、そういうものはみんな隅に集まっています」

 まるで人の行き来のある、「生きた」通路のように。

 外から見れば空っぽなのに、中から見ると生気に満ちる。

「それにさっきから、一度も顔に蜘蛛の巣にぶつかっていません。高い所とか、壁沿いとかはありますが。ここまで私達が通って来た動線の中に、邪魔なものが驚くほど少なかったんです」

「え?マジで?」

 「驚いた」「意外だ」、そんな感情が透けて見える顔。

——しっかりしてよ………

 鳶羽は呆れるばかりだった。こういう思考は、彼の仕事ではなかろうか。

「って、ことは、だ」

 混乱を隠そうともせず、日下は結論に至る。


「ここに誰かが出入りしている、ように見えるって言いたいのか?」


 その小さな気付きに対して、さも重大な発見のような態度の青年を見て、


 鳶羽の心中は、


 なんとも複雑だった。

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