9

「俺は、選ばれたんじゃねえ。選んだんだ。俺自身の居場所を!」

 


 彼は吼えながら、一足飛びに僕の眼前へ舞い降りる。

 朧月以外の光源も無い中、彼ご自慢の耳飾りは、星にも満たない弱弱しい瞬き。それで天の川を自負し輝きを誇示するのだから、彼には自省の概念が無いのだろう。

 いいや、彼の場合、六等星より無価値か。自力の発光ではないのだから。燦然と燃える太陽の下、それを借りる事を良しとせず、プライドが邪魔立てして出来ず、かと言って光る物を持っているわけでもない。


 照らす側にも照らされる側にもなれない、半端物。それが彼だ。


「おらよ!」

 放たれた拳が左の前腕を強かに撃ち、僕は数メートル吹き飛ばされる。単調な動きに単純な攻撃。なんの技量も解釈も無い。彼らしい才と言えた。

「どうだよ!死にたかねえか!?」

 一々乱暴な言動も、薄っぺらな自己を強大に演出したいから。だけど口を開く度、彼の浅さが露呈する。誰にも彼を救えない。当人がそれを拒むからだ。

 僕は身体を起こすのもそこそこに、前傾姿勢のまま直ぐ傍の教室に駆け込んだ。

「逃げんのか?いいぜ!俺はそれでも全然良い!」

 強がりを言う。あの男に命じられたら、失敗が許されない、少なくとも彼は、そう思っているだろうに。暴力の匂いで凄む事以外、彼がまともに出来る事など無い。それも取り溢し、そんな事すら満足にいかないとなれば、彼があの男に縋りつける、その根拠が本当に無くなる。


 彼はなんとしても、僕を捕えなければならない。でなければ、僕と同じくの外側だ。

 

「どこに行くつもりだ?ぇえ!?生意気にも俺から逃げるつまりでいるのか!?お前が!」

 彼は一度教室内を見回し、奥の椅子がガタガタ鳴るを見て、これ幸いと飛び込んで来る。僕の隠れていた机の上に、急に出現した彼は、僕の胸座むなぐらを掴み上げ、出口側へと不可視の力で吹き飛ばす。またも背中を強打。今度のは大きい。一時いっとき空気が肺から追い出され、もう少しの間は二足歩行に戻るのも困難に感じた。それでも匍匐に近い四足で、出口付近までは到達したが、これまた瞬時に隣へ立っていた彼が、僕を蹴り転がしてしまう。

 僕が肩を上下しながら、壁に手をつき両足を踏ん張るまでを、彼はただ会心の笑みとともに見下みくだしていた。攻撃されないのを幸運と捉え、僕は足を引きずりながら離れようとする。

「へっ!」

 楽勝ぶって歩く彼を置いて、僕は構わず足を動かす。5m、10m、20m、30「こっちだぜ?」すぐ後ろからの声、横の壁に叩きつけられる僕。

「く、あ……!」

「所詮てめえみたいにクソショボイ才能しか持ってねえヤツが、俺達の前でゲンコツを握るなんて、100年はえーぜ!ヒヨッコを殺すみてえな簡単さ、いや、それ通り越して卵の殻割りだ!」

 悶絶する僕の頭の上に足を乗せ、彼は吐き捨てるような台詞を降らせる。

「ザコオタクが」

 調子に乗っている。

 痛々しい。

 惨めだ。

 段々と可哀想に見えてきてしまう。

 分かりやす過ぎるくらいに激情家。彼らの中で、最もいなすのが簡単だ。

「……は…………の…?」

「あん?なんだと?」

 頭を下げ、向けられた耳に向かって、

「お前はあの三人の下僕で、満足できるの?」

 僕を踏み躙っていた足が、冷凍されたように固まるのを感じた。

「単細胞は、いつでもどこでもお目出度いな。幸せそうで羨ましい」

「殺す」

 ほら乗って来た。あまりに読みやすい。それでは敵に操られてるのと変わりない。そんなことも分からないから、だから彼は負け犬なんだ。

「やってみればいいだろチキン野郎。いや、卵の殻をくっつけたヒヨコだっけ?」

「それは……てめえだ……、捌くぞ、オイ………」

「僕の事をどうするか、それすら自分で決められないのに?鶏というより鴨だな。親ガモの尻にくっついてくしか能が無い」

「違う……、俺は、俺が選ぶんだ……」

「じゃあやればいいだろ?つるんでる人間を使うしか、イキがる方法がないお前が、やれるもんなら!」

「うおあああああああああ!舐めやがってええええ!」

 来た。

 足が大きく上がり、脳を踏み抜こうとする。刹那、僕へのいましめが無くなり、自由が手の中に戻って来る。転がって回避し、起き上がりから全力疾走に繋げる。

「あ、おい!」

 間抜け顔を拝んでやれないのは残念だが、時間との勝負だ、振り向くいとまは無い。窓に寄って開錠。外へ身を乗り出す。

「まま待て!何する気だ!?」

「僕に……死なれたら、ゼェー…困るだろ?」

「このくらいの高さじゃ死なない!」

「試して、みる…?」

 足を窓枠に掛け、「そこで見てなよ」、一歩、外へ。


 彼我の距離をゼロにする。彼が出来る事。

 “手が届くくらい遠い空シーシュ・タゥーク”、“ShTu”。そう言っただろうか。自分で触れた物を遠ざけ、自分を何かに近付ける。自身で追い出しながら、間が開けば近づく。どっちつかずな性質が、まさしく彼そのものと言える。無駄に甚振るクセをして、一思いに止めを刺さないのも良くなかった。さっきからの彼を分析して、詳細な情報が埋まってしまったからだ。


「やめろ!」

 よし、このタイミングだ。

 彼はまた消えるように移動した。行先が分かっていても、軌道が見えない。ワープに近いと言える。だが今の彼にとって不幸なのは、この「行先」だった。


「お」


 パニックが極まり過ぎて、意味の無い息の塊を吐き出している。それもその筈、僕のすぐ後ろまで来る筈なのに、高速で窓外に投げ出されているのだ。

 彼が跳んだ先は、僕が飛ばした靴だった。彼が“ShTu”を使用したそのドンピシャを狙って、僕が“YJB”を発動。彼はそちらを目で追い、無意識にそれを目指してしまった。彼は触っている物、目で見えた物しかターゲットに出来ない。さっきからの攻撃の中で、その弱点をあらわにしてしまったのが、運の尽き。

「おおおぉぉぉぉ」

 すぐに身を隠した僕の耳に、遠ざかる声と、木々のれが入って来る。靴と共に落ちる彼の目では、目標にする為の何かに、焦点を合わせる事は困難だろう。何かに叩きつけられるのが先になる。彼はすぐ近くの街路樹に激突したのか?


 確かめる暇も無い。まだ気を抜けないが、道が開いた。

 逃げなければ「カケコー、カケコー、カッケコー」


 安堵があった分、絶望の味はより色濃かった。

 どうしてそいつがそこに立つのか。


「よう、見事だな。逃げ延びたのか」


 嬉しくない賞賛だ。すぐ近くに居ると言うことは、僕は逃げられていなかった、ということなのだから。

 

 初めから、逃げられるわけがなかった、ということだから。


「来いよ、少し話をしよう」

 

 舌なめずりをするように、


 太陽の少年にそう言われ、


 僕は従う他になかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る