発駿

10

「あんたが元凶でしょう?それ以外にはない」



 到頭それが発せられた時、緊張はあっても、衝動的非難が無かったのは、実は誰もが心の隅で、そう思っていた証左だろう。事件の鍵は、彼がその手中に隠していると。

 

 

 さて、この論陣、というより糾弾の発端は、勿論亜縫狼金の失踪にある。もっと言えば、蛇頭隼人の殺害から来る一連の騒動、それが引き金だった。しかしそれ以前から、種は蒔かれていたのかもしれない。この街で生きる人々にとって、彼は無関心の対象ではいられないのだから。


 

 6月26日。一度遠ざかったかに見えた夏が、再び急接近した日。

 直前の土日の時点で、亜縫が行方知れずとなったことが、街中で広まりきっていた。それでもと淡い希望を抱いて登校した鳶羽達を待っていたのは、2人分の空席が埋まらぬ教室である。これで確定だ。

 次の標的は彼だった。

 では、次は?

 姿を現さない怪物。それが舌なめずりをしながら、彼らを見回して品定めしている。そんな演出過剰な妄想が、俄かに現実味を帯びて来た。

 規則性があるなら、見出したくなるのが人情である。自分は違うと安心したいから。

 だから、それぞれのコミュニティ内での会話が、あの四人の繋がりについて、確認し合うようなものとなったのも、人間が持つ生物のさがとして、仕方のない事なのだろう。

 そうかと言ってその疑念を手に、本人達に直接挑むなど、そんな無謀な事をする者は見られなかった。彼らの名を口にするのも、彼らを犯人扱いするようで憚られ、早いうちに下火となった。


 そうして話題の殆どが、旧校舎の怪物に限定されてしまう。皆が口々に囁いている。「“人喰い”はまだ、満腹じゃない」と。

 

 朝の全校集会で、「噂に惑わされず軽挙妄動を慎む」云々と、定型句を聞かされた。

 クラスの朝礼でも、宍戸がまた激励の言葉をかけた。

 午前中、授業の間にメモが回って来た。「ヒトクイを探せ」、そう書いてあった。

 昼休憩、平素の通り、鳶羽は鳩子と共に昼食を摂る。明るく話そうとしていたが、その憂いは今にもはち切れそう。魚から骨を除く手並みが、いつもと比べて精彩を欠く。

 午後、体育の授業があったが、教師・生徒共に活気が見られない。皆が隙あらば旧校舎を盗み見て、そちらに近づく事から遁れていた。


 かなりこたえていた鳩子だが、優しさをなまらせることはなかった。「先週の体育休んでたのはもう平気?」「呪われてない?」などと、まるで自分が保護者であるとでも言いたげな過保護ぶりで、その時は鳶羽も少し気が楽になった。自分より焦った人間を見たら、逆に気落ち着く真理である。だからと言って、慣れ親しんだ彼女に、壊れて欲しいわけじゃない。その平穏を願うばかりである。


 そして放課後、


 それは起こった。


「みんな、もう気づかないフリはやめなよ」


 夕礼が終わり、宍戸が教室を出て行くと、決められたグループでの集団下校が始まる。その予定だった。

 そこに、択捉芹香が刺し込んできた。

「『フリ』って……?」

「何言ってんだ?」

「択捉さん、どうしたの?」

 銘々がそれぞれの形で混迷を表出したのに対し、択捉はいつもの酷薄な貌のまま、一人一人と目を合わせ、その奥を覗き込むように。それをやられた方は、恥じるように視線を逸らす。誰だってそうだろう。心の内の深い箇所には、触れられたくないものである。

 それでほぼ全員を制圧した彼女は、逃げなかった二人を見る。

 

 神螺日向と、瀨辺黒湖。


「みんな、分かっているんでしょ?どうしてこんな事になったのか」


 択捉芹香は、とんでもない議題を掲げた。


「ええと、こっちを見て言うってことは、何か僕に言いたい事があるのかな?」


 神螺もまた、さる者である。穏やかな表情を歪めず、話を止めようともせず、正面から挑戦を受けた。


「あんたの知り合いが、二人も居なくなったよぉ?」

「一人は病死で、もう一人はまだ行方不明だ。狼金は死んでないかもしれない」

「冗談!本気でそんなお目出度いこと思ってんの?」

「友達の無事を祈ることを、『お目出度い』事と呼ぶなら、その通りだ」

 手強い。そう簡単には失言を漏らさない。

「この短期間で、二人。一人でも普通は起こらない事が、二人。本当に偶然?」

「時には本当に偶然の事もある。今回がそうとは限らないけど」

「へー、つまり、あんたにとってあの二人って、『そんなものだ』で片づけられる連中なんだ?」

「そうは言わない」

「その割には冷静だけど?」

「そう見えるだけだよ」

 択捉も上手い。相手の落ち着きを、そのまま不利な要素へと転換した。傍聴人達には彼のことが、さぞ得体の知れない冷血漢に見えていることだろう。

「あんた、今回の“事件”に関わっているんじゃないの?」

「分からない。関わったとしても僕は狙われる側だから、そうかも知れないし、違うかもしれない、と言うしかない」

「って言うってことは、否定できないんじゃん?友達が死んだ時に、『誰がこんなことを、許さない』ってならず、『僕らが何かした報いが来てる』って思っちゃってる」

「それは論理を飛ばし過ぎじゃあないかな?原因が分からないのだから、怒るより前に怖がるだけだ」

「おい、択捉!いい加減にしろよ!」

「そうよ!神螺君、今傷ついてるのよ!?」

「言いがかりだ言いがかり!」

 数の面での利が、神螺側にあるのは明白だった。こうなってしまえば一人の主張など、封殺されて終わるのが常。勝ち筋が無いように見えるが、ここからどうするのか?

 鳶羽は黙って見守る中で、


「“厄捨穴やくすてあな”!」


 択捉は一声、高く響かせ場を鎮める。

 真っ白な肌は変色せずに、艶めかしさだけ映えている。色気とも冷気ともつかぬ何かが、その表皮から発散されて、足下から充満していく。捕らえられた者達は、背筋を這う毒を触感し、指先までもが痺れ止まる。

 「厄捨穴」、確かにそう言った。この辺りに伝わる民話の一つ。それを何故、今?血迷ったか?注目が集まる突拍子も無い語なら、なんでも良かったのか?


「みんな知ってんでしょ?むかあし、むかし、この地には良くない物を捨てる穴がありました」

 

 いや、続いた。彼女はそれを続けるつもりだ。小さい頃に聞くような、成長につれて忘れられるような、荒唐無稽で古臭い御伽噺を。


「穴はいくつも開いていました。穴は良くない物を呑み込み、住まう民の助けになりました」


 よく通る、美しい声。聞き惚れるように、ときへと引き込まれる。


「やがて民が豊かになると、それを聞きつけた人々が集まり、土地は更に富みました」

 

 これは、この地の始まりの物語だ。俗世に恩恵を齎した、神秘の逸話だ。


「けれど人が多くなる程、穴に投げ込まれる物も多くなりました。穴は次々と塞がっていき——」


——最後には、一つ残らず埋まってしまいました。


 教訓めいた説話であり、だから現実感は無かった。誰も本気にしなかった。

 こんなもの、幼子に聞かせる以上の価値は無い。そう思われた。


「それがなん」「この話には、幾つか派生がある」


 疑問を挟ませず、突き放すように進む。答えを求める者達は、自らの足で追うしかない。自分の意思で、彼女の言葉を拾い集める。それは自然と、聞く耳を持ってしまう事を意味する。彼女の言い分を咀嚼する為、まず一度口に含んでしまう事を。

 彼女に追従するも反証するも、無視することだけは不可能だった。

 多分、択捉はこれを狙った。


「その中に、こんな事を言う人もいる。『穴の一つは、他の穴を使わせて貰う為に、生贄を捧げる場所である』ってね」


 「生贄」、その言葉が彼らの手を引き、淵に引きずり込んでいく。肌のそこかしこに、黒く一口大の斑点を刻まれて。


「最初は牛や魚を入れていたけど、やがては人を放り込むようになった。特に、この上衝にとって、差し障りのある人間を。確かにそうすれば、一石二鳥だねぇ?」

 

 聞いたことはある。「あの昔話、実は……」、その文脈で語られる「怖い話」。「逃げられないよう、足を切られて入れられる」とか、「穴の中から、大きな胃に生きたまま溶かされる生物の悲鳴が聞こえる」とか、「穴には疫病神が居て、病を患わせ取り込んでしまう」とか、そういう残酷さを盛りつけた話も多い。


 椅鳶羽は、足を切られて息も絶え絶えな、蛇頭隼人の姿を幻視する。


「もしその“穴”が、残ってたとしたら?」


 穴が、残っていたら?

 それは、どういう意味なのか?

 本当に在ると、そう言っているのか?

 

 人を飲みこむ厄のゴミ箱が。


「………………」


 反論、するべきだろう。「それは違う」、「あれは単なる作り話だ」、「そんなものあるわけがない」、誰かがそう言うべきだった。

 だが、誰も言えなかった。彼らが今、怪談の中に居るからだ。そうとしか思えないような、不可思議な事件の当事者だからだ。

 街の中で人が喰われて、警察はそれを病死だと言う。そんな架空ファンタジーの中に居るから。


「それは、厭な物を消してくれる、便利な道具。独占できるならしたくなる」


 だが思い付いたとして、誘惑に負けたとして、実現は容易ではない。何故ならそれは、この地の成功の要であり、人の暮らしを支える下地。奪えば当然、反発がある。上衝に住む人間、その全勢力からだ。


「さて、仮にそれが出来る人が居るとしたら、だあれだ?」


 分かりやすく占拠してはいけない。もっと巧妙に、狡猾に、表向きは皆の為、そう言ってさり気なく引き離す。それくらいでないといけない。そこに説得力が、他を承諾させるだけの理屈が無ければ。

 その地の最重要財を囲い、隠し、それに違和感を持たれない、そんな存在。


 例えば、その地の支配者。


 武・権・財・智。

 それらを持つ者が、“穴”を絶やさないよう正しく運用し、外敵に穢されないよう強く守り、発展の理由を悟られないようひた隠し、


 その役を担う報酬として、ほんの少しの特権を得る。

 料理人が役得として、賄いにありつくようなもの。


 それを「否」と言える者が、どれだけいることだろう。


 認められれば、後は成り行き。少しずつ「特権」が大きくなって、最後は“穴”を覆い尽くす。太古の遺物も彼らの裏切りも、誰にも見えなくなってしまう。


 それに当て嵌まるのは、「神螺家だけだよねぇ?」


 たっぷりと時間を取り、誰の頭でも結論が出せるくらい待って、逃さずにとどめ。最後の一歩、皆が踏み超えあぐねた一線。択捉はその背中を押した。

 「それらしい」ストーリーがあった。「そうかもしれない」と思わせるだけのものが。分からないだらけの宙吊りが、落ち着かなかった迷い人達。彼らにとっては、本当の事などどうでもいい。本当だと思えれば、重力は戻り浮遊感が無くなり、いつも通り地に足の着いた現実。上記した眩暈を癒せる方法。

 校則の中で守られる、法則の中で縛られる、そんな「いつも」に戻る為。


 全ては、不自由になる為に。


「あんたの一家は、代々都合の良い“穴”を継承してきた。そしてあんたもそれを知ってる。勿論その使い方も」

 彼女の演説は、佳境に入った。

「あんたはごく身近な人間に、知られたくないことを知られた。あーん、どうしよう?」

 十指を曲げた両手を、目元の下まで持っていき、戯画化された「泣き虫」を見せ、

「あ!こんなところにちょうどいい穴が!」

 即座に大袈裟に下方を指差す。

 指された方向の幾人かが、動物的反応で飛び退すさってしまう。そこに奈落でも開いたみたいに。

「昔話に『もしかしたら』を重ねた、根拠も確度も無い作り話だね」

 神螺は正論で防御するが、場の空気はその段階にない。なんとか話を纏めようと、結論を急ぎに急いでいる。

 狂気から逃れようとして、簡易に拵えた大地目掛けて、いち早く降り立つのを求める。止められない。自由落下に抗えないように、押し止める言葉はあまりに無力。

「でもあんた、この前は狼金とモメてたでしょ?それも、真剣!な顔して」

 上乗せてくる。美味なる納得を、聴衆達に振舞う。「信じていいんだよ?」「乗っかっていいんだよ?」「このお話は——」


——正しいのだから。


「僕は聖人じゃない。喧嘩だってするよ。本音がぶつかる友情の中なら、特に」

「プッ、必死過ぎぃ。そんなに痛いとこ突かれた?」

 今や合理の支配力は衰え、目と目が口より言い募る。「認めてくれ」と。「安心させろ」と。

「この近くに“人喰い”なんてお化けが居るとしたら、それはあんたの家の中以外あり得ない」

 彼らの正常に闖入した異常は、彼らの正常の中で一番の異常へ、結び付けられ押し付けられる。そうなるだけの背景があった。そこに至る道筋を引いてやり、誘導しただけのこと。

 ちょっと行先を教えてあげて、誰もがそれに群がっただけ。


「認めなよ」


 逃げ道が封じられた。ただ、彼女が教える真相以外には。


「あんたが元凶でしょう?それ以外にはない」


 見事だ。

 こんな攻撃、失うことが怖い人間にはできっこない。失敗したら、クラスにも学校にも、街からも排斥される。しかし、彼女はやり遂げた。鮮やかな手練手管で、この藤有高校の最高戦力から、過半数を離反させた。

 神螺を守ろうと囲んだ人垣が、そろそろと彼を離れていく。その中の一人、佐布は何かを言いたげだが、一思いに声を出し、衆目を一身に浴びる勇猛さは無い。そもそも、彼のスタンスは択捉側の筈だ。今更言うことも無いだろう。

 鳩子は一杯一杯な様子だ。彼女に安心や正しさを示せない。そんな自分に鳶羽は憤りを感じる。


 神螺の周囲に残ったのは、取り巻き数人と、


 気怠そうな少女。


「どしたん?終わったぁ?」


 瀨辺黒湖は、酷く退屈そうにしていた。


「よくわかんない話ばっか。ダル。ひなピ、いこ?」


 どうやら彼女は、話を聞いていなかったようだ。


「瀨辺さん。そこの彼、消えた二人の仇なんだけど?いいの?」

 せせら笑う択捉に対して、

「ええ~?そなの?ヤバ、コワ、ないわー、マジショーゲキのじじつ。マ?」

 何を思ったのか、本人に問う瀨辺。

「ううん、違うよ。僕は、やってない」

「あー、ね?んじゃ、違うっしょ」

 何も考えていないのか、あっさり納得する瀨辺。「ひなピ、ほら」と、神螺の手を引き、そのままマイペースに帰り始める。

 

「風見鶏が、珍しく風向き読めてないじゃん。考え無しは、痛い目見ると思うよ。まあどうでもいいけど」


 危険人物と一緒に歩いて、教室から出るクラスメイトを見ているのか、我が子が出荷されるのに気付かない、哀れな卵用らんようけいを見ているのか。択捉の瞳は、痛いくらいに冷たかった。


「そマ?ん~。でもそんなことないと思うよ~」


 柳に風といった調子で、止まることなく去っていく。


 彼らと共に下校する予定だった生徒が、我に返って後に続いた。


 決定打とはならなかった。けれど鳶羽の目には、趨勢は決まったように見えた。



 択捉芹香が、神螺日向の座を食って、


 クラスの導き手となってしまった。

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