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「僕はね、これまでは形振なりふり構わず逃げてて、それで今は隠れてるんだ」



 彼女に懺悔するのは、とてもズルい行為だと思う。

 彼女は絶対に否定しない。顔を顰めたり、嘲笑ったりもしない。

 それが分かっててやっているのだから、ゴミ箱に捨てるのと同じことだ。

 会話も出来ない卑怯者の生き方だ。


 けれど僕は、やめられなかった。

 

 止まらなかった。


「僕は、自分では特別な人間のつもりだったんだ。人間が特別なつもりだったんだ。世界に二つとない、替えの利かない大切な命だって」

 こういう話ではお決まりだが、僕はその後思い知った。

 そうじゃあないのだと。そんなことは、ないのだと。

 僕は、僕達の影響力は、星屑よりも小さいのだ。

「一度厭になって、それで次は、一歩引いて冷めてる人間になった」

 人間はどうせ、どう頑張っても意味が無い。そう言っていれば、達観した賢人になれた気がした。

「けどね、それも失敗だった。僕はまた、自分の浅さに足を取られた」

 「特別な人間」を、見てしまった。

 存在したのだ。僕ではなかっただけで、確かにそれは居た。

「“特別”になれるかどうか、その素質の有無は、僕らにはどうしようもない。だけどそれを持っていたとして、それが芽吹く為には、やっぱり努力と執念が必要だ」

 僕は、特別になれなかった。

 それが最初から閉ざされた道だったのか、それとも放棄してしまったのか。僕にはそれすら分からない。

 僕は、何もしていないからだ。

 だから僕には、自分が何を持っていたのかを知る、その資格さえ無い。

 

 僕は、動けなくなった。


 月を見上げるすっぽん、文句を言うだけで求めない屑。


 きっとそれは、相も変わらずよくある話、なのだろう。


 どんな重力も振り切って、どこまでも自由に飛んで行ける。強く望めば、月にだって行ける。そんな夢物語が、いつからか現実と繋がってしまった男の話。繋がったように、見誤った話。テンプレートになるくらい、使い古されたプロットだろう。


 僕は諦めてしまったのだ。人生は自由だと人は言うが、行ける場所が多過ぎて、ほとんどの人間は迷ってしまう。ふと気が付くと時間は浪費され、届く範囲がどんどんと狭まっている。僕はもう、手遅れだった。なら最初から、何もできなければ良かったのに。


 月の上の重力みたいだ。制限されない無重力と思わせて、引っ張る力がそこにはある。僕らは、それから逃げられない。


 あの「贈り物」も、僕を主役にはしてくれない。どれだけ何かを目立たせようと、僕自身は脚光を浴びない。


 僕は、じゃあ、僕はなんだろう?


 とうとう僕は、偽物の月にも乗れなくなった。自分は天上へと至れるのだと、欺く事すらできなくなった。


「僕は、なんでもない……」


 工程の途中で削り残されたみたいに、レシピの真ん中で飽きられたみたいに、何の形もしていない。太陽に照らされていようとも、美しく照り返すこともしない。光にさえ愛想を尽かされ、顧みられない塵芥。


「…………」




 彼女は、何も語らない。

 聞いているのかすら定かでない。

 ただ、彼女の中で甘く浮かんでいると、これでも良いのかな、なんて思ってしまう。

 ここでなら、何にならなくても許される気がした。

 僕の中の負を食べてくれている、そう感じた。


 責められないというだけで、急かされないというだけで、ただ一緒に居てくれるだけで、

 彼女が僕を、傷つけないでいてくれるだけで、

 僕は此処に、居て良い気がしてしまう。

 僕の情けなさも、不用意に人を傷つける棘も、彼女には効かない。歯が立たない。

 彼女はここを、液体で満たしている。外からでも内からでも万難を和らげ、鋭さも危うさも丸めてしまう。彼女に閉じ込められているのか、彼女に護って貰っているのか。


 その時の感覚が僕の記憶に、小さくない波紋を立てる。


 ここは何かに成る前に来る場所で、


 ここから出る時、僕は生まれ変わっている。


 まだそんな、都合の良い未来を、


 僕は、見てもいいのだろうか?

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