22

「“線”を越えないようにしてください。私達を中心点とした、同心円。その外をキープしていてください」


 

 15時45分。

 止めようとする側の心内と、同じく崩れた荒天の中、

 択捉が人海を割り、“穴”へと渡っている。


 取り巻く大人達は、手が出せないでいる。

 その道に殉ずる職員ではなく、巻き添えになった少年少女。その命を盾にされると、出来心一つ起こせやしない。

 進めば退いて、下がれば追って、手玉に取られて歯嚙みして。

 大の大人が、小娘一人に。

 彼我の格差は、数をどのように使っているか、そこでの実力差。

 ただ並べるだけの公権力と、一塊の流動を誘導する少女。人を人とも思わない彼女だからこその、観察眼と切り口である。降りしきる水滴を吸った服を纏って、鈍重さをまるで感じさせない。背負わず気ままに、最短を行く。


 人命を重く見る警官達とは、フットワークの軽さが違う。


 彼女の方が、一つ二つ速い。


「羽刈刑事!神螺阿藤は来てますかあ?」

「そんなに直ぐに用意できるわけないでしょう?そっちが決めた刻限だってまだなのに」

「あらら。こちらはまだ数に余分があるから、一人くらい首いっとく?いいかな?どう思う?」

 択捉の前に少年が引き出される。

 おこりのように震え、火でも熾すようにカチカチと歯を鳴らす。

 先端の尖った鋏が、択捉の手で咽喉と触れ合う。

 ほんの僅かでも動けば、はずみで破り刺さりそう。

 そうなると人質は、凍える事もできなくなる。

「待って!待ってほしい!話しましょう!望みを言って!出来得る限りなんとかするから!」

 命じてくれと、相手に請わせる。精神的な有利位置。

 提案したのは刑事の方で、決定権は受ける側に。手綱を明け渡していることを、彼らは理解しているのだろうか?

「なら、本当の事を言って欲しいよね」

 択捉はどんどん、増長する。

「『病死』なんて、つまんない濁し方しないで」

 警察は益々、萎縮する。

 「何を言ってるのか分からない」、そんな呆けた顔をしている。

「たしかに!確かに蛇頭隼人君の死に方は不可解だった!でも、病死というのは嘘じゃあない!解剖所見だって正式なものがある!この目で見た!」

 非武装をアピールするよう、両手を頭の横にまで挙げながら、鬼気迫って訴える羽刈刑事。

 誠意を以て制すると言うのか?事を小さく押し込めようとするのか?

 もしそうなら、未だにこの憂うべき事態を、正しく認識できていない。


 択捉は意思表明に来ていない。

 ただ面白半分でやっているだけだ。


 度胸試し、肝試し。

 彼女の本意は、それと変わらない。

 ほら、見てみるといい。

 今だって楽しげに、歯を見せてケタケタと。


「こんなことしなくてもいい!」

 違う。必要に迫られているんじゃない。やりたいからやっているだけだ。

 彼女はもっと、幼稚で安直だ。

 

 だめだ。尺度のズレにすら気づいていない。彼女のお題目に、馬鹿正直に向き合っている。相手にしてはいけないのに、話し合いを成立させた。

 彼女と彼らでは、役者が違う。


 「任せてはおけない」、鳶羽はその決心を強くする。

 彼女が、やるのだ。

 終わらせるのだ。

 

「はぐらかすだけで、キチンとした答えはない。それが答えってワケ」

 返答に拘らず、択捉の台詞は決まっていたのだろう。

 スラスラそらんじる態度は、ひとみ血走る修羅場において、作り物めいて浮いている。それが逆に択捉を、圧倒的な上位者に据えている。

 都合の良い指導者は、いつどこでも求められる。正解の無い問題に、代表で答えてくれる人。考えることも、代わりにやってくれる人。

 そして無鉄砲なだけの凡夫が、稀にその型にすっぽりと嵌まる。誰でもよかった人達にとって、丁度良い所に落ちていた、それ以上の説明は不要。玉座を埋めてくれるなら、名前だけでも有難い。困難は、知らぬ間に過ぎ去っていると良い。


 「私は違う」、鳶羽は拳を握る。

 彼女は自分で、変えに来た。


「そろそろ限界か」

「まだだ!話せることが残って——」

 今だ。今ここで——


「ぇぇえとろふ!」

 

 呼び声は、予想だにしなかった者からだった。


「ぉぉおぉまえ!いいかげんに!しろよお!」

 鳶羽が彼の大声を聞いたのは、それが初めてのことだった。同級の中には、声を聞いたことすらない、そんな人間もいるのではないか。

「ハヤトはあ!こんなこと、しようなんてえ!言って、ない、だろぉぉぉ…?」

 尻すぼみな語尾。激情に任せて鬨を上げたまではいいが、宣ううちに自尊心の低迷を思い出し、語気が急激に萎んでいったのだろう。

 が、前に出て来ること自体に、虚を突かれた。

 それは択捉も同様で、彼に向けた鋭刃えいじんも、つい固まってしまうほどだった。

 羽刈刑事もまた、狼狽していた。一人で助けを求めていた濡れ鼠が、出し抜けに敵手の首魁へ向かい、怒鳴り散らかしたのだから。


 彼が、


 人質役の小太りな少年、佐布悠邇が。


「さ、ぬの……?ちょっと?何やって………」

「刺されてない………?人質を殺すというのはハッタリ?と言うより、『人質』そのものがブラフ?」

 結託が、破られた。

 とうとう馬脚が隠れ遅れた。

 人質の交換なり解放なり、安堵という隙を作って、毒を持つネズミを中へと放つ。

 軌道に乗っていたプランが、白紙。


 完全性の喪失。

 艶然と裏を突く少女が、小悪党へと成り下がる。

 冷めてしまえば、まやかしは晴れる。


 択捉芹香に、初めてきずがついた。

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