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「トーハっち、ウチのクラス、最近ちょっとおかしくない?」


 

 「おかしい」と言うなら、人が二人消えている時点で異常である。が、鳩子が言いたいのは、そういうことではないだろう。

 言わんとしている事は、鳶羽にもよく分かった。目の色が、違っている。同情し、共感し、慰め、励まし。そう言った気遣いが、神螺に向けられなくなった。代わりに、疑い、探り、怒り、怖がるような、そんな態度で包囲している。

 彼が容疑を否認したことに、怒りを抱く同級生達。これまでの常識が効力を失う、その事に対する不安が、“人喰い”に狙われる恐怖へと、少しずつ摩り替っている。惨たらしさへの忌避感が、怪物実在の色を濃くする。このまま何もしなければ、誰かの気紛れで餌役に任命される。それを馬鹿らしいと嗤ったが最後、サムい冷笑者であり内通者と言われ、「支配者に味方するのか」となじられる。

 一刻も早い解決を。それが彼らの総意だった。そしてその方法もまた、認識の中で統一されつつある。


 指揮をするのは、択捉芹香。

 彼女を中心とする新興勢力が、この部屋の版図を塗り替えようとしていた。やがては神螺すら飲み込んで、一色きりに染め上げてしまおうと。

 

「どうする?トーハっちは、どう思う?」

「………どうだろ……?神螺君達は怪しいけど、やり過ぎだとは思うし……」

 探る鳩子には悪いが、鳶羽は明瞭な答えを返せない。

 この会話を拾われただけで、択捉の下僕しもべ達に排除されかねない。戒厳令下の国家みたいに、顔を近づけヒソヒソ話。他の生徒達も、同じような動きを取っている。それを観賞しながら、益々笑みを強める択捉。

 独裁者のつもりだろうか。革命の英雄気取りだろうか。内面が読めない。劇物が過ぎる。誰にも制御不能な少女。果たしてどちらに転がるだろうか。



 6月28日。

 一昨日行われた択捉の一方的な弾劾、それからはずっとこんな調子だ。誰が悪いのか、誰が責任を取るべきか。そういった事柄について、合意は為されたようだった。当人達を除いた所で。

 一部の人間は暗々あんあんに先走り、神螺と瀨辺への攻撃を開始している。他のクラスにも「真実」を語って聞かせ、学校全てで同盟を組もうとしている。穏やかで平和な幸福、そこから異物を蹴り出す為に、その手を互いに取り始めた。

 被告二人は行く先々で、無遠慮な衆目に撫でまわされる。今はまだ校内だが、事が神螺家そのものに関わる問題、そのうち街中から爪弾かれるかもしれない。

 今まで難攻不落と思われた、神螺日向の天守閣は、カーストと共に倒壊しつつある。所詮は“人気”であって、“尊敬”や“崇拝”でも、“信頼”でもない。いとも容易く終わりを迎える、高校の人間関係などそんなものだ。親交も信仰も、気分次第で千変万化。天気以上に移り気で予知し難い。

 少数ながら存在した、ステータスによって神螺を敵視する、負け犬の怨嗟を拗らせた者達。彼らは大義名分を得たと、生き生きと勢力を強めている。択捉の論理が、彼らの受け皿となってしまう。本来働く抑止力は、ほとんど機能していない。教師陣は保護者への説明等の対応に追われ、現状を正しく認識できているのか、それすら定かでない。

 

 神螺と瀨辺は、傍から見る限り詰んでいた。包囲網は電撃的に編み上がり、今尚拡大し続けている。

 この街から逃げようものなら、その悪事は千里を走り、全国に情報が拡散される勢い。

 いいや、行動を待たずして、それはきっと起こり得る。世間的にも、この事件が注目され始めている。

 「道端で喰われた」という証言があって、「病死」という発表があって、そこで追加の行方不明者。「からさまな異常殺人を自然死と言い張り、みすみす新たな犠牲を出した」、その声が湧くのも自然な状況。そこに本名を振りかけるだけで、あっと言う間も無く千々ちぢに啄まれる。誰かが何処かで一度でも晒せば、本当に隠れる場所が無くなる。彼らの安息は、地上から消え失せる。


 それこそ月面にでも逃げなければ。


「なんだか、こわい……」

 鳩子の震えが止まらないのを見て、鳶羽はその心を痛める。ああ、可哀想に。彼女は巻き込まれてはいけなかった。「事件を終わらせなければ」、鳶羽の中で、その想いが強固になっていく。一刻も早く、彼女のような無辜の生徒を、重圧と煩悶から解放しなければ。


 これからの混沌から、守らなければ。



「はあい、ちゅうもおく。歴史のお勉強の時間」


 “アヴェ・マリア”も流れなくなった昼時間。

 鳶羽がハンバーグに箸を入れ、唇と舌で肉汁を受け止めて、挽肉を更に潰している最中。択捉がまたも集会を開く。白い手に包まれた何らかの資料を、証拠写真のように配膳して回る。

「これはデータベースから検索した、あの全国紙の地域面。日付は戦前、1944年の6月7日。丁度79年前の今月。この県だけで発行された地域面の記述」

 具体的な形が示された。実体無き疑惑とは呼ばせない、そう言っているようだった。

「要約すると、関東軍の防疫に関連する部隊が、この地に強い関心を寄せていたってさ。その時、当時の神螺家の当主が、軍の人間と会合してた。『彼らだけが知る何か特別なもの』、それが植民地の統治軍に求められてる、そう書いてある。もしかしたら、より強い地位と権力と引き換えかもねー」

 空気が皺くちゃに乱れ、吐息がじわりと加熱する。群衆がまたも驚き惑い、各々内々に方針を修正。半歩ずつじりじりと、神螺勢力から離れ退すさる。


 神螺家には、上衝には、「特別なもの」があった。それが、裏付けられてしまった。


 徹底している。ほぼ勝ちが確定している状況で、それでもおごって手を緩めたりしない。ここに来て息の根を打ち止める為に、自らの主張に権威をくっ付けた。

 誰でも知っている新聞社の名に、半信半疑が黒側へと変じていく。


 旧日本軍に抱く怪しげな印象も、彼女への追い風となる。街の頂点への信用が、次から次へと奪われていく。


「どう?まだ言い逃れる?」

 択捉は再三、投了を促し、

「何度聞いても、返事は同じだよ」

 神螺は再四、突き返す。


 果てまで続くように見える舌戦。雑草の縄張り争いみたいに。だがやがて、どちらか一方が朽ちて途絶える。そして今のところ、それは神螺の方であるように思えた。

 

「僕が二人を消す、その理由で良い思いつきはあったかい?」

 それに対する説明の欠落が、彼ら側に残った数少ない攻略点。

「蛇頭隼人があんな場所で死んじゃったからでしょ?」

 彼女もそれは心得ている。だから対策は用意済み。

「答えになってないよ。隼人が死んだ因に、隼人の死を持って来るのかい?」

「彼があんた達に憧れてたのも、その仲間入り出来て得意げだったのも、みぃんな知ってることじゃん。あいつの立場は、あんたらの愛玩奴隷。それともお遊戯人形かな?軽い気持ちで“穴”に落としてみたら、死んじゃった?」

「僕らにとって、彼は大切な友達だ。そこは譲れない」

「で、本当なら死体は残らないのに、何故だかあいつは吐き出されて、死んだのがバレちゃった」

「僕は彼の死を望んでいないし、それを為した誰かを決して許さない」

「亜縫狼金は焦ったでしょ?『万が一死んでもバレないんじゃなかったのか』、って。そ、れ、で、敵になりそうだったから口封じで——」

「彼はそんな姑息な人間じゃない。それ以上はやめてくれないかな」

「友達思いな感じ出しとけば、言い逃れできる。優等生は楽でいいね。死人に口なし、か」

「神羅、誤魔化すな」

「そういう逃げ方をするってことは、そうなのか」

「神螺君、嘘だよね?何か証拠出してよ」

「信じてたのに、そんなもん隠してたなんて」

「択捉さん。僕への中傷は大目に見れる。でも、僕の友達を悪く言うのは、あまり看過できることじゃない」

 「おおコワ。私も穴に落とす?あんたに歯向かう人」そこで彼女は自身の陣営を一望し、「みぃんな」、それで周辺がまたも右往左往。

 

 英雄とは、大きな期待を背負わせるもの。相応しくない行動には反発され、完璧から外れれば裏切り者扱い。悪魔の証明を渋っただけで、欺罔ぎもう行為と見られてしまう。択捉はそれを利用したのだ。不当な難癖をつけられただけで、砂上の楼閣はより深く没する。

 それまで好感を示していた者達が、自分の言葉でなく過激な暴論を信じる。どれほどストレスになるだろう。


「これまでと同じ。“穴”がある限り、良くないものを吞み込んでくれる。だからそんな、余裕綽々なんでしょ?こんなに疑いの目で固められてるのに」

「そっか、だからあんなに冷静なんだ」

「あんたは大人達の側に居る。とんでもない物を隠して、知らんぷりする『賢明な』人達。私達なんか、目じゃないくらいの力があるんでしょ?」

「俺達のこと、いつでも消せるっていうのか……?」

「甘く見ない方が良いと思うけど?いつかきっと、あんたにしっぺ返しが来る」


 択捉の誹謗が、小さな世論を作る。


 ゲリラ戦法とでも言うべき択捉のやり方は、着実に神螺の肉を、骨格からこそげる。


 様相は、見違えるほどに一変していた。少年少女は、共通の敵を得た。それでも抜本的な行動には、少し足りない。「大人」が動くのを待っている。待ちの姿勢は移ろわない。


 しかし、兆候はある。

 解決できず、発表できず、釈明できず。そんな「大人達」への不信感と、神螺への敵視が繋げられている。

 学生達と、外なる巨悪。

 その対立構造が成り立ち、反抗心と正義感を育んでいく。いざという時に蹶起けっきすることが、当然の権利であり義務であると、そういう空気感が醸造されていく。

 足並みを外してしまったら、「巨悪」と見なされ私刑の的。

 それを避ける為、自ずから“多数派”に呑まれる。口腔内で適度に守られようと、食道までは嵌まらないようにと、分析の為に思考回路をトレース。理解度が上がり、精度が研がれ、

 いつの間にやら、腹の中。本気になってしまう。


 幻影だった「多数派」が、実体化する。


 鳶羽のゆうは膨れるばかり。「このままではいけない」と思っていても、何の対案も出ないまま。


 ポツ。

 ポツポツ。

 水滴が窓を叩く。

 少しして、それが多数回の連打へと変わっていく。


 雨だ。

 今日もまた、雨が降る。

 梅雨なのだから当然だ。

 降れば毎回、人が消えるわけでもない。

 ただ、降った日は隼人が——


——隼人が居なくなったのは、雨の日の夜だった


 亜縫の声が、甦る。


——隼人、どうしてなの?


 聞いたとて、もう答えてはくれない。

 分かっている。分かっているのだ。

 彼女は理解した上で、問い続けずにはいられない。

 雨が降れば、夜の学校に侵入し、脇目も振らずに旧校舎へと向かい、


 それから、

 どうして、


——どうして?


 彼女は、どうすれば——



「あ」

「え?なになに?どしたんトーハっち?」



 思いついた。

 思いついてしまった。

 鳶羽はカバンから財布を取り出し、中に挟んでおいた紙片を探す。

 あった。それを見ながらスマートフォンに、小刻みな指で番号を打ち込む。

「もしもーし?ねえ、だいじょぶそ……?」

 不安がる鳩子のことも、今は耳目に入らない。鳶羽は「行動」しているのだから。

 頭の片隅で思っている。「これが明かされたら、どれだけ酷いことが起こるだろう」。けれどもそれは抑止力にならない。


 コール、

 コール、

 3コール目、

「はいこちら」「日下さん!あの!」「おいちょっと」「聞いてください!」


 相手のパターン的名乗りの間すら惜しみ、彼女は訴えた。


「わたし、分かったかもしれません!」

「わかッ?何が?」


「隼人の行き先!」


 彼が見つけた“厄捨穴”。


 それを暴いてしまうのだ。

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