6

「ギャップが大事なの。装甲だけ豪華でもダメ。その為にイロイロ試すのだあ」


 

 6月19日。

 合唱部の聖歌をバックに、鳴戸なると鳩子はとこはおにぎりに齧り付き、その白い喉に通した後に、デコレーションされたマスクに隠れた口で、格言でも言うように主義主張を掲げた。


「だいたい私達ってぇ、間違えても責任取らない立場じゃあん?だから、ミスるなら今のうちが良いんだあ」

「的を射ているように聞こえるのが、恐ろしいとこだよね」

「え~?何それ。ハトちゃんがテキトー言ってるっての?」

「ハーちゃんの場合、その許される時期が過ぎても、図太く生き残りそう」

「え、いきなりホめても何もでないぞ~?」

 そう言った彼女の手で、お弁当箱から肉団子が運び込まれる。更には手作りらしいチョコレートまで支給された。藤有高校は校則が緩めであり、「自主独立」だなんだと持て囃されているが、このお転婆にとっては、格好の遊び場になるだけである。


 突然ツインテールにしたかと思えば、黒マスクに過剰な化粧等、「所謂地雷系でも目指しているのか」と、鳶羽は突っ込まずにはいられなかった。くりくりとして可愛げな瞳を持っている、愛嬌のある少女なのだが、とかく自らを改造したがる癖を持っている。制服に手を出そうとした時は、「流石にマズい」と鳶羽が必死に止めた。常識外れであるのに、本人の中では理路整然としているのが、彼女の長所であり困った所だ。肝を冷やすことも多いものの、飽きさせないその在り様に、何だか病みつきになってしまっている。他から見れば、「親友」と呼ばれるかもしれない関係性。鳶羽に言わせれば、大きな妹が、いや、娘ができたような感覚だった。どうにも可愛く思えて仕方がない。

 内心ではこっそり、酸っぱい柑橘類のような人間だと、そう見做している節がある。


 今彼女が垂れた講釈は、「ギャップは最強の演出」という趣旨である。

 例の流行り病によって、顔の下半分が隠れて当たり前になった今、その前提でのお洒落を模索しながら、見えない部分までバッチリとキメてきた鳩子。その理由が、「ギャップ」だと言う。


「『マスク美人』ってゆーけどさあ……、口を出したらガッカリされるのってシャクじゃん?だったらむしろ、外したら別の意味で『カワッ!』ってなるような感じがいいじゃん!食べ方もキレーにしてさ。ほら、メガネ外すと美人みたいな」

「『少女マンガなら必修だけど現実だとまず見ないシチュエーション選手権』代表選手でしょ、それ」 

 呆れを通り越し尊敬しつつある鳶羽に、「少年マンガもだよ~?」とケラケラ笑う鳩子。

 

「でもなんかアレだよねー。マスクを顔の一部だと思い込んで、それ見て相手のこと美人とかブスとか言うの、ニンゲンの脳ってアホだよね」

 「だって顔見れてないじゃん」、言われてみれば、一理くらいはある意見だ。今のご時世では見慣れ過ぎて、鼻も口も無いことに違和感が無い。だけど「笑顔」というものは、下弦を描く口も含んでいたのではなかったか。

 「目は口程に物を言う」。この国でのコミュニケーションの中で、目に籠められた意味は大きい。一方海外では表情において、目より口が重視され、絵文字の主役も口であると聞いたことがある。それで言えばマスク越しの人相は、情報の半分も開示されていないのに、全体を分かった気になり信じてしまう。

 人の脳は、一部を見ると合間を補完してしまう。パラパラ漫画カートゥーンが動いて見えるのは、余白を自分が埋めているから。何とも不思議な話だった。

 「だからさ」、鳩子は軌道を戻す。


「その、ジョシュさん?その人もきっと、実はムチャクチャ有能かもだよぉ?」

「いや、それはない」

 

 そう、その話だった。

 鳶羽はさっきから、あのどうにも頼りない男、日下創について愚痴を溢していたのだ。


「そうかな?」

「そうだよ。あの後も質問が単調って言うか、初歩的って言うか、そんなの観察してれば分かるじゃん?って感じのことばっかで」

「あー、“探偵”らしくない感じだ。ジョシュだけど」

 そう、「探偵」という大衆小説界の王道のような単語から、あれが飛び出てくるのかと考えると、かなり残念な気分になってしまう。

「因みに何聞かれたの?」「クラス内の人間関係とか」「うわーチョー今更」「でしょう?」

 それだけの遣り取りで、鳩子の中での彼への評価が、音を立て一段下がったのが分かった。

 その流れで、二人は教室の中心へと目を向ける。あれだけの事があった後だが、此処は小康を取り戻しつつあった。驚愕も怖気も、喉元を過ぎつつあるのだろう。それでも近い内に、隼人の葬式があるのだから、もう一回だけぶり返すタイミングがある。

 では、その後は?

 みんな、覚えていられるのだろうか?

 平和で幸福なこの場所に、彼の不幸が付け入る隙は?


 集団の身勝手さについて思いを馳せながら、今日も大勢と笑顔を交わす同級生を見る。

 神螺日向。隼人の“友達”で、事件に最も揺さぶられていた者の一人。

 ガールフレンドの瀨辺黒湖と対面に座り、その周囲に人だかりが出来ている。

「神螺君、平気?」

「無理してない?」

「うん、ありがとう。なんとか大丈夫」

「相談があったら言えよな?」

「瀨辺さんも、悩みがあったら言ってね?」

「うんー。そうするー」

 美男美女、それも学校内で顔の知れた二人。特に神螺は種々雑多な人間関係の起点であり、結節点。彼が居る事で出会いがあり、友情があり、彼を通すことで諍いが萎え、恨みつらみが融ける。


「ひなてぃーの、あのキビシーお父さんの事も、知らなかったんでしょ?」

「そう。普通、既に調べてるでしょ?」



 鳶羽が日下の実績を知らない以上、不適格の証拠だけが積み上がっていく。




「じゃあ神螺って男子生徒は、この学園の持ち主の息子なのか」


 「その情報に驚くのか」、彼女は何度目かの落胆を抱く。


「この学校の生徒なら、というかこの街の人間なら、誰でも知ってることですよ?っていうか、すぐ横に家があるじゃないですか」

「え。あれがそうなのか」

 何せ地元の名士とも言うべき家である。その自宅も範囲が広く、その半分以上が庭園である。戦時中にはシェルターめいた、防空壕まで作っていたらしい。そういうわけでとても目立つ。彼女も当然、通学途中に彼らの邸宅の前を通るが、ヤクザ映画の親分の屋敷と、それほど遜色ないと思っている。ヤクザ映画をまともに見たことが無い為、高純度の偏見なのだが。

「この前の事情聴取では、誰も言ってなかったんだが………」

「そんなことわざわざ言ったことがバレて、神螺君達を敵視していると思われてしまえば、この学校に居場所は無くなるでしょうね」

「オーコワ……。この学校は、差し詰めそいつの庭か」

「過言……って言える程、大袈裟じゃあないですね」


 「例の三人について話が聞きたい」、日下がそう言ってきたのは、旧校舎探検中、例の慰霊碑を眺めて休憩している時だった。

 日陰の土の緑臭さが、大気を満たす水分に乗って、彼女の鼻腔に運ばれてくる。そこにぽつねんと、石造りが置き去りにされている。

 高さは6~7mくらい。石でできたそれの横に、赤いポール型の消火栓が三つと、やけに短い消防用らしきポリエチレンホース。内二つは水の出口が向かい合うように立っており、「両方同時に使ったら、それぞれが差し支えるのではないか」、そんな詮無い事を考えたのを覚えている。一つは「使用禁止」という札が掛かっていたから、別に良いのかもしれないが。

 それと傍らの土の一部が抉れて、動物が掘り起こしたような跡があった。すわ証拠でも埋めたのかと日下が勇み、張り切ってシャベルを手に発掘してみたものの、特に何も見つからなかったが。


 鳶羽の視点で、隼人ら四人組がどのように見えたか。日下はそれを聞きたくなったらしい。


「神螺君は、この学校では敵無しですね。それは権力が強いから、というのもありますが、基本は敵を作りにくい性格なんです。人を不快にさせる欠点が見えにくい。彼を悪く言えば即、嫉妬や逆恨み判定を受けるくらいには」

「男女問わずモテるタイプか?」

「そうですね。どの層にもファンが多い印象があります。隼人もその一人でした」


 キリリとした輝きを幻視するような童顔と、平均程度、ともすればやや低い背丈。その愛嬌から、女子からは「カワイイ」と言われ、男子からは他意なしに「イケメン」と呼ばれる。クラス委員や生徒会といった面倒事を引き受け、真剣な場でも空気を悪くすることだけはしない。

 弓道部長。必要以上に謙遜せず、かと言って偉ぶらず、声援にはふわりとした笑顔で手を振り、集中すれば真っ直ぐとした面差しを魅せる。意見をハッキリ口にする性格だが、誰かを攻撃することはほとんどない。人の話を良く聞き、相手の言葉を引き出すような語り口で、雲の上に居るように見えて、親しげな隣人とも感じられる。一昔前の言い方なら「草食系」の雰囲気で、相手をあまり不快にさせない。


「蛇頭隼人は、そいつのお気に入りだったのか?」

「何故か固定メンバーの一人になってましたね。蛇頭君の方は、正直真っ当な優等生じゃありませんでしたけど」

 改めて思えば、どうして彼と隼人の関係が、クラスメイト達に承認されているのか。小物且つ典型的非行少年だった隼人が、他を差し置いて神螺に近づけるなんて。きっとそれも、神螺という男の人徳の為せる業だろう。


 「彼が仲良くしたいと言うなら、しょうがない」「そういうものだ」、そう思わせてしまうのだ。

 



「そう思うと、ひなてぃーって怖いねえ。お月さまだってゲットしちゃいそう」


 顔を近づけて言う鳩子。

 いくら蛮勇の持ち主とは言え、声を潜めるくらいの危機意識はあったらしい。


「なんでお月様?」

「ほら、昔の偉い人って、お月さま好きじゃん?みっちーとかはっくんとか」

 恐らく藤原道長と李白の事だと思われる。

「道長の支援を受けてた紫式部によると、月って『后』のことらしいから、そう考えるともう手に入れてるのかもよ?」

「しきピョンが言うならそうなのかな」

 さっきから、「お前は誰目線なんだ」と問いたくて堪らない鳶羽。歴史上の偉人とそこらの顔見知りに、同じテンションで接するという奔放ぶりである。

「瀨辺さんも男子人気高いからね……」

 瀨辺黒湖。

 二年生にして、恐らく学校一の発育の良さを持つ。日頃躊躇い無く間食をし、重箱のような弁当を食し、課外ではSNSにパフェやらクレープやらを上げている。それで胸部と臀部が大きくなるのはまだ分かるのだが、それに対する腹部の引っ込み具合には説明がつかない。鳶羽を始めとする女子達にとって、注目の研究対象と言えた。

 運動部であるが、その茶髪は短めということもなく、寧ろ腰まで届くロング。眉や目尻は垂れ気味なおっとりタイプで、あまり自己主張をしている場面を見ない。神螺が言った事に、そのまま頷いている姿は何度も見た。読者モデルもやっているらしいが、あのルックスとプロポーションなら納得と言えよう。

 まさに特上霜降り肉である。“人喰い”から見たら、さぞ美味そうに見えるだろうか。

 

「タイムはムチャクチャ遅いらしいケドね」

「水泳部なのに、私より下手なのはどうなんだろう」


 鳶羽はプール授業の際、前を行く彼女に追い着いてしまったことがある。何だか申し訳ないことをした気分になった。




「亜縫狼金ってのは?どうも蛇頭隼人と同じように、メインストリームからは距離を置くタイプに見えたが」


 あの少年は、神螺の体制を支える一部である。

「彼は、神螺君のボディーガードを自称してます。『事故を防ぐ』らしいです」

 人気者、人生が楽しい人、それだけで『気に入らない』と考え、時に危害を加えてくる人間も居る。実際に学外でも、そういった揉め事はあったらしい。通りがかりの見ず知らずが相手では、さしもの神螺もすぐにはほだせない。そういう偶発的暴力から、彼を守るのが亜縫の役目だ。

「その腕っ節で、神螺君を理不尽から守る。その地位を確保したことで、他に無い『特別』を手に入れたんです」

「王子様が傭兵を引き抜いて、護衛にしたってことか?」

「………まあ、大体合ってます」

 ボタンを外したシャツの胸元から覗く、分厚い胸筋。ドレッドヘアと顰め面。この学校の校則の緩さを、最大限活用している一人である。

 柔道部に入ってはいるが、顔を出すところはあまり見ない。道端で喧嘩をしていたという話なら、さして探らずとも出てくるのだが。

 「傭兵」という言い方も、彼にはぴったりなように思える。神螺の方も、役に立つから近くに置いているのだろう。


「あの四人は、性格も興味もバラバラで、正直不自然な集まりだって、そう思ってました」

 四種のソーセージの盛り合わせ。個々が異なる色を持つ。

「お互いに何かしら利用し合って、パワーバランスによって成り立った関係性だと?」

「その中でも蛇頭君は、良いように使われてたりしたんじゃないかって、何だかそう思うんです」

「さっきの亜縫狼金みたいに、『仲間にしてやるから役に立て』、って?」

「私には、それ以外には思いつきません」

「はーん、成程ね……」


 子どもだけの社会の中でも、大人の理想とは違い厳然と存在する、ビジネスめいたシビアな駆け引き。

 それを理解しているのかいないのか。ガキのやることだと軽く捉えているようにも見える態度で、日下はその話題を打ち切った。




「やっぱり不安……。たぶん、あの人ダメだよ。私達自身でなんとかしなくちゃ」


「まあまあ。その人がダメダメでも、ケーサツの皆さんが何とかしてくれるってぇ」


 鳩子はそう楽観視しているが、どうだろうか。あんな怪しい男に捜査介入を許している時点で、同じ穴の狢ではないのか。彼らに任せていたら、人喰いの怪物は野放しになるのでは?

 

「あんまり考え過ぎないようにね?皺が増えるよ?」

「まだ一本も無いよ!なんてこと言うの!」

「へっへっへ」

 鳶羽を揶揄いながら、机の上の容器やカトラリーを撤去し、鳩子は立ち上がる。

「どしたの?」

「四つ葉のクローバーを探しにお花畑にね」

「ああ……、行ってらっしゃい」

 

 「行ってきま~」と手を振って出て行く鳩子を見送り、そのまま視界を巡らすと、壁際の一点に目が留まる。

 択捉芹香だ。

 背を掲示板に預けて腕を組みながら、あの酷薄な笑顔を浮かべている。眼差しの先には、人の塊。

 その中枢、神螺日向。


——何だろう?

 

 彼女を見ているのは矢張り不安だ。何をするか分からない。

 択捉はその笑みを一際ひときわ深くしたかと思うと、スタスタと教室の外へ去る。

「あっ」

 見失ってはいけない。そんな切迫感に駆られた鳶羽は、急いで後を追おうとし、

「きゃっ」「うわっ!」

 横を通り抜けようとしていた、その少年にぶつかってしまった。

「ごめん、大丈夫?」

「あ、いや、うん……」

 太り気味の体型と、野暮ったい丸眼鏡。何をするにも誰と話すにも、常に変わらず俯き気味。佐布さぬの悠邇ゆうじ。神螺日向とは逆に、付け合わせのパセリみたいに、脚光を浴びないタイプの少年である。偶に隼人がちょっかいを掛けていたのを、彼女は見た事があった。

 彼は尻餅を搗きながら、ボソボソオドオドと聞き取れない発声。

 鳶羽は立ち上がろうとし、足下に何か落ちているのに気づいた。

 数十枚のコピー用紙。ダブルクリップで束ねられているものと、バラバラに撒かれているもの。前者にはびっしりと文字が刷られ、後者には簡単なイラストが描かれている。数箇所ほど、手書きでコメントが足されていた。

——あれ?これって——

 手に取ろうとして、

「あ、あっ!ダメっ!」

 驚いた。

 これほど俊敏に動く佐布を、彼女は始めて見た。

 紙束を引っ手繰り残りを搔き集めた彼は、「ご、ごめん!」そう言い残し、そそくさと走り去っていく。

 束の間、呆然としていた鳶羽は、はっとして出入り口に駆け寄ったが、


 廊下ではもう択捉も佐布も、


 後ろ姿すら残さず消えていた。

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