18上

「“人喰い”ってのは、何を考えてんだろうな?」



 設問ならば、あまりに下手過ぎる。

 そして答えが出たところで、この局面では遅きに失している。

 

 無視しても良かったのだが、気を紛らわせたい気持ちもある。

「そういった衝動には、具体的な理由なんて無いんじゃないですか?」

 だから、鳶羽は話を繋げた。

 


 夕方6時を回った。

 外は変わらず、滝のような空模様だ。

 警察が例の“穴”を調べている間、彼ら二人は校内に足止めである。

 今は、恒例の生徒指導室だ。

 「話を聞きたい」とのことだったが、肝心の聞き手が一向に現れない。指揮系統の錯綜が窺えた。


 大人しく座っているだけなのに、

 ただ待つことに、疲れ始めている。

「この事件が誰かの差し金でも、そんなことをする頭のおかしい人間の心なんて、誰にも分かりませんよ」

 同情も共感も、出来たとしても錯覚だろう。

「それは、少しだけ違う」

 日下も大筋では同意しつつも、


「俺達は、誰の心であっても解んねえよ」


 より根っ子の部分から割り切っている。


「それは、言い過ぎなんじゃあ……」

「俺達は、相手の外側を介してでしか、その内側を知覚できない。で、その外側は、当人の意識と無意識が混然として、好き勝手に書き換わる」

 それと併行して、

「俺達の内側は、外側によって作られる」

「え?その言い方だと、人が外部の手で、一から作られてるみたいに聞こえますよ?基礎となる部分も、他の人由来みたいな」

「それで合ってる」

「そんなことは、ないんじゃ…ないでしょうか……?」

 まず内側があって、それが徐々に変わっていく。普通ならそういう順番だろう?


「信憑性には疑問が残るが、こんなエピソードがある。12世紀の神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒⅡ世は、人間が生まれながらに発する言葉が何か興味を持ち、ある実験をした」

 50人の新生児を用意し、隔離する。

 栄養状態や清潔さを保つ、「生存に必要な最低限」を提供。

 ただし、禁止事項が一つ。

「『コミュニケーション』、目を見る・笑顔を見せる・言葉をかける・必要以上に触れること、それらを禁じる。それがルールだ。さらな自然状態の人間は、何を持っているのか、それを暴こうとしたわけだが」

 「どうなったと思う?」、聞きながら思うのは、狼に育てられた子どもの話。

「結局、どんな言葉も話さない、獣みたいな子になってしまった、とか……」


「一年持たず全滅だそうだ」


 痛ましさより先に、出会い頭に刺されたような、端的な衝撃があった。

 

「ぜんめ…、は?」

「非人道的と言えるこの実験は、それでも一つの教訓を提供してくれる」

 乃ち、「感情を受け取らねば、人は生きていけない」。


「これは私見だが、彼ら50人は、何者にも成れなかったんだと思う。空っぽのままで与えられなかったから、只のモノと変わらなくなっちまった」

 そこに境界は無く、故に一線は容易く超えられた。

「から、っぽ……」

「誕生したばかりの俺達の持ち物なんて、遺伝子、つまり物質的肉体だけだ。そこに外からの刺激を流し入れ、漸く一人が完成する。人が生まれによって左右されるのも、最初に作られた外側に沿って、内面が形成されるからだろう。言い換えるなら俺達には、生まれ持っての魂が無い」

 遺伝情報は、人の数だけ存在する。

 入れられる情だって、全く同一に受け取れる者などいない。


 万人に共通した前提フォーマットなんて、物理的法則くらいなものだ。


「俺とお前、見た目や構造が異なるように、中身が全く違うように、精神、魂はまるきりの別物。それは、全人類に言えることだ」


 だから、「分からない」。

 同じ入力から、別の出力。

 理解なんて、夢のまた夢。


「え、いや、だったら、日下さんの役目って、何なんですか?本当に意味が無くなっちゃうじゃないですか」

「その認識も、俺と違う。俺の役割は——」


——「諦めないこと」、だ

 

 諦めない。

 あれだけ論理的に、「理解」を棄却しておいて、「諦めない」?

「俺には分からない。お前にも、誰にも。だが、『分かろうとする』、その試行錯誤は、手放してはいけない。そう思っている」

 「分からない」、だから異常と認定し、排斥し、居なかったことにする。存在しない物が、奇跡的に現世へと迷い込んだ。そう言って「ヒト」の、「真実」の範囲を狭めてしまう。

 

 真理から遠のき、それを罪とも思わない。


「俺は捨てたくない。拾えないと思い知っても、手を伸ばせる人間でありたい」

 理解不能の何かに、「分からないが、確かに在るもの」なのだと、正面から目を合わせる。

 それこそ彼が目指すべき理想。

「だからなるべく相手に寄るのさ。『イカれている怪異』ではなく、『違うことわりを持っている正常』として、相手を捉える為に」


 本当の意味で分かり合える日が、いつかやって来る。

 誇大妄想とも言えるその夢へ、我武者羅に進むだけ。


 こういうのは実直と評せるか、

 それとも愚かと言うのだろうか。


「それで、日下さんは、この事件をどうやって解釈するつもりなんですか?」

 どの方向から解こうと言うのか?

「“人喰い”の、を考察する」

「思想?」

「宗教とか、哲学だとか、そう言い換えてもいい」

「他者の考えていることは、分からないんでしょう?」

「だから、思考ではなく思想から辿る」

 何を言うのか。それら二つは同じでないのか。

「違うな。『思考』とはその一瞬での、泡沫めいた電気信号だ。前後と相関することが多いが、時に突拍子も無い逸脱をしてみせたりする。予測も解析も困難だ」

 少しの手違い、魔が差して一押し。それだけの事で生じ得る。毎秒がその機の連続だ。

「が、『思想』は違う。これまでの思考の折り重なりを、できる限り小綺麗に整えて、一本の線に乱暴に纏めちまう。自分の言行動、信号が伝達された結果の現象、それらに後から意味を付ける」

 悲しいから泣くのでなく、涙が出たから悲しみと定義する。そして次に、どこからその情感が湧いたのか、全体を繋げて辻褄を合わせる。

 

 そこに用意された仮初めの一貫性。それこそが「思想」である。


「ってことは、だ。後者については、どんなに身勝手なものであれ、筋の通った解説が可能になる。それは一度、整理整頓されたものだからな」

 だから予想も逆算も、完全解答は望めずとも、及第点には届くかもしれない。

「“人喰い”の行動。主犯を人と仮定して、どういう大義名分を持つか、それを試しにでっち上げてみる。」

 人肉を貪ることに、どんな整合性があると言うのか?

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