18下

「鬼子母神を知ってるか?」


「はい?え、ああ、一応知っています。仏教ですよね?」

 話の展開が三段くらい飛んだが、その名前くらいは聞いた事がある。

「なんか、赤ちゃんが関係してたような……」

「仏法の守護者、天部というカテゴリに入る一尊いっそんだ。数多いる自分の子らを育てる為、彼女は人間の子を喰って栄養としていた。釈迦がそれを止めるため、あるとき彼女の子の一人を隠す。それで半狂乱になった彼女に、こう言うんだ。『沢山の子の内の一人を奪われて、それだけ悲しい。ましてやたった一人の子を失えば、どれだけ苦しいか』」

 鬼子母神は改心し、仏法に帰依することとなった。

 子どもや安産を、守る神となったのだ。

「如何にも宗教のストーリーっぽい感じですね。『悪い人でも感涙しちゃうほど、この教えは凄いです』、みたいな」

「捻くれてんなあ」

「それで、その『いい話』がどうしたんです?」

「俺はこの話を聞いて、ずっと不思議に思ってたんだが——」


——なんで喰われるのは子どもだけなんだ?


「えっと」

 気にするところが、重箱の隅。

 捻くれているのはどちらなのか。

「だってそうだろ?鬼子母神は豊富な養分が欲しかった。人以外の方がそれに適しているし、よしんば人が主食の化け物だったとして、幼児よりも青年や大人の方が、可食部は大きくなるだろうに」

「いや、ライオンだって象を襲うなら、群れからはみ出た子どもとかじゃないですか」

「それは体格や力で上回った種を相手にする場合だ。人間を喰ったり、神にもなれるような上位者が、そんな妥協すんのは可笑しいだろ」

「好物だったとか。本人にしか分からない、味の違いがあったりして」

「それも面白い意見だな。だが一人の例外もなく、幼体を喰うことに執着する理由としては、少し弱い。偶には必要に迫られて、成人を食べても違和感は無いだろう?なのに、そうは語られない」

「え、いや、だったら何だと思うんですか?」

 確かに細かく煮詰めていけば、破綻が見えて来るような気がする。

 が、古き伝承なんてそんなものだろう。口伝口承を経由して、その場の勢いで盛ったり削ったり、原形なんて語った本人も持たず、緻密なシナリオなど望むべくもない。

 だが彼は、そこに“思想”を見ると言う。

「俺は、順番が逆なんだと、最近そう考えるようになった」

「逆?」

「鬼子母神は、まず子どもを守る神であり、後から凄惨な過去が追加された、ってことだ」

 「辻褄を合わせる」為に。

「はあ、そう?そうですか」

 それこそ後付け設定なんて、珍しくもないだろう。どっちが先でも変わらないのではないか。

 

「人肉食、またはカニバリズム。文化としてのそれの源流は、世界各地に見られる。そしてそれを行う理由も、だいたいの所は共通している」

「いやいやいや、何当然みたいな顔で続けてるんですか」

 話がいきなり戻った。鳶羽はまだ掴めていない。

「まあ聞け。人が人をわざわざ喰う時、そこには儀式的な役割が発生する」

「残酷に殺すことが、何の役に立つんですか?」

「この場合、喰い殺さずに、殺してから喰っても同じ事だ」

 「喰う」という行為は、


「“掌握”や“支配”、それらの類義語だ」


 歯を立てることでも、八つ裂くことでもない。

「対象を自らの血肉の一部とする。肝要なのはそこだ」

 体内に取り込む。それこそが本願。

「例えば敵の肉を喰う。相手の命だけでなく、その強さや持てる物、魂魄余さず全てを頂く。それは完全無欠の勝利と言える」

 怨霊が復讐する余地すら奪う。残留や復活を想起させる部位を、一つも残さず己が糧として、化けて出ることすら禁じる。

「それに、食事における力関係とは、火を見るよりも明らかだ。そいつを喰えるということは、抵抗が取り払われたということ。立ち上がり襲い来るような奴相手では、当然喰うどころではない。意思はどうあれ、そいつがその身を委ねざるを得ない。『喰う』って行動は、そういう状況を作り出した事実を示唆する」

 勝利を宣する上で、最も強烈で効果的な手法。それが「人肉食」。

「そこにあるのは強い悪意、そう思うか?」

「それ以外に無いじゃないですか。『やってやったぜ』、みたいな感じってことでしょう?」

「ところが人肉食は、必ずしも敵に対してだけ行われるものではない」

「………攻撃なのに?」

「時には攻撃ですらないってことだ」

 憎くもない者を、食す理由。


「この世に残す、言うなれば“継承”」


 日下は、聖堂で神を語る信徒のように、静かに囁きを響かせる。

 「主は光あれと言いました」、「彼は汝の敵を愛せよと言いました」、「人々は滅びゆくものを残す為——」


——その口でぺろりと平らげました。


「まさか」

「『族内食人』と言ったりもする。通常の埋葬では、死者は此岸に残らない。だが喰ってしまえば、生者の一部となって生き続ける。『形見』の概念と似ているな。違うのは、保存領域が外か内かだけ」

 ああ、その気持ちは分かる。鳶羽は人知れず共感する。

 なんとか此処に留めておきたい。

 痛くなる程よく分かる。

 記憶の中では足りない。身体を構成するものとして、故人を欲する。

 さっき日下が説明した、「肉体が魂を形成する」という論に、近いかもしれない。

 相手の肉を喰うとは、存在そのものとの同一化であると、その理論上なら言えなくもない。

「死後の臓器提供なんか、自分の肉を相手に喰わせることで、自らの善意をこの世に残しておきたいという、生への執着と見なす事も出来る。キリスト教で言う“聖体拝領”なんかも、間接的なカニバリズムと言えなくもない。『最後の晩餐』にあるだろう?パンを肉、ワインを血とし、それを使徒達に分け与える。色んな教会がこの儀式を再現し、イエスそのものを受け継ぎ、現存させようと尽くしてきた」

 「食べることで残す」、という逆説。


「よくよく考えてみれば、敵に対する人肉食にも、重なる部分があるかもしれない」

「はい?」

 それは本当に分からない。


「真逆のように思えるんですけど……」

「考えてもみろ。『復活しないように』、『その強さを奪いたいから』、『そいつを手中に収めたいから』、それってーのはつまり、相手を強く意識していることになる」

 でなければ「人肉食」なんて、そんな手間を掛ける利点が無い。

「『復活』したら厄介、手強い、怖い…、そういう心理の表れとも言える。『強かったから』、『憧れたから』、それを我が物にしようとする。『消し去るには惜しいから』、自分の身体と共に伝える、そういった供養と言うこともできる」

 人なんかを食べた時点で、その相手の存在が、食者の中で大きいという証左。敬意か好意か畏怖か怨念か、“儀式”を行うに相応しいと、そう考えたことを暗に語る。


「だから実のところ、『喰うまでもねえ』と言えちまう」


 その決定を下した時には既に、その者の中に相手が大きく居座っている。そういう意味で“人肉食”とは、考えるだけで実行とすら言える。

 自らの中に、相手をインストールする。その発想の帰結、その一つが“カニバリズム”。


 憎悪から来る甚振りではなく、愛にも似た執着である。

 

「とってもポジティブな思考ですね」

 いや、これは「ポジティブ」の範疇なのか?言った鳶羽にも、よく分からなくなった。


「ここで、パワーバランスの話に戻ろう。喰う側が圧倒的に強者で、喰われる側が疑いようもなく弱者だ」

 強固な構図。覆らないしゅかく。生殺与奪どころか、もう奪った後。

「だがここに、『相手を大切に思っている』という条件を一つ与える」

 敵と味方ではなく、

 ではなく?

?」

 その関係性を、何と呼べばいいのか?

 例えば親と子。

 例えば恩師と教え子。

 例えば夫と妻。

 どちらがどちらに立ってもいい。

 その様は、次のように表現できる。


「護る者と護られる者」


 それが人肉食の、もう一つの顔。


「鬼子母神も、同じだったんじゃあないか?」


 そうしてめぐった言の葉達が、出発地点に戻って来た。

 忘れていた。彼は子喰いの神について、論じている最中さなかだった。


「彼女が子を守るという共通認識があって、そのキャラクター性を綿密にしていった結果、それに相応しい過去が与えられた。自分の子の為に凶行を重ねながら、人の子を連れて行き、人外たる自身の構成物とする」

 か弱い命と同一となる、滅びぬ化生けしょう、後に法の担い手の一角。

 確かに行為の大枠だけ見ると、最初から「子を守る神」、そう言えるのか。

 改心する前の犠牲者達も、鬼子母神が尊い存在となったことで、共に昇華されたのだ。

 攻撃性は無く、籠っているのは祈り。

 

 そのように、もしかしたら、


「“人喰い”は、敵のつもりじゃあ、ないのかもしれない」


 彼が気にしているのはそこだ。

 隼人が喰い荒らされた事に、好意的な理論があるのではないか?それを見落とさないか、心配らしい。

 その部分を見誤れば、次なる行動も読み切れない。

 善意か悪意か、そのどちらかを決めきれない。

 優柔不断で、ひ弱な姿勢である。


「それが違ってたら、どうするんですか?」

「え?」

「確かに、そういう見方をすれば、美しい物語かもしれません。でも、本当は単に快楽が欲しかっただけたったら?恨みとか味とか、そういうくだらないことが理由だったら?」

「その時は警察が先に捕まえる。それか物証が出れば、どっちにしろそこで終わりだ」

 一貫してサポートの立場。当たれば儲け物の穴埋め役。

 日下創では矢張り、仕切りシェフが務まらない。


 だが、分かったこともある。

 彼には存外、広い視野が備わっていたこと。

 そして——


——守るための“人喰い”………


 思いつきそうな、

 嘔吐みたいに、喉奥までせり上がりつつある、

 それは、「んひ!?」

 バイブレーション。

 短く一個。

 ポケットから出してロック画面を見れば、SNSの同級グループに一件。内容を確認しようとして、また一件。更に一件、違う、二件、三件、五件、十件………

「え?なに、これ?」

「どうした?」

「いや、なんか、いきなり、たくさん……」

 現状を説明しようと文を捏ね、その間にも通知は増える。増え続ける。積もり続ける。

「誰か、荒らしてる?」

 特定のイラストを連打して煩わせる、そういう嫌がらせがあるが、それだろうか?

 鳶羽が困惑する間に、顔認証が彼女を見つけ、伏せられていた情報が明かされる。


「ひっ!?」

「おい平気か!?」


 思わずスマートフォンを軽く投げ出し、床へと自由落下させてしまう。

 画面を埋め尽くす文字。そこには複数の人間が、同じ内容を投稿していた。


 「厄捨穴を埋め立てろ」、


 ただそれだけを、何度も何人も。

 時間が経つだけうずたかく。回数も、参加者も。

 「埋め立てろ」「埋め立てろ」「埋め立てろ!」「埋め立てろ!」「埋め立てろ!!」


「埋め立てろ」

 

 狂奔があった。

 「それしかない」と、皆が確信していた。

 鳶羽が思った以上に、彼らの安定への希求とは、途轍もなく激しいものだった。


 危険だと、彼女はそう思った。

 だけれどもこの期に及んで、引き返すことはもうできない。

 無かったことになど、なりはしない。


 何かが起こりそう、その前触れだけは緊々ひしひしと。


 次の日、

 6月29日の雨の中で、


 瀨辺黒湖所在不明の報が駆け巡る。


 そうして6月30日が、

 

 雨の金曜日が、


 やって来る。

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