19
「“蠱毒”って、知ってるよな?」
肯定しても否定しても、お前は勝手に話すだろうに。
逐一聞いて来るのは、彼なりにコミュニケーションを欲しているのか?
「複数の毒虫を一つの壺の中に入れて、蓋をする。中で喰い合いが発生し、最後に残った一匹が、質の良い呪物となる。有名だな」
僕はと言えば、その話はどうでもよかった。より正確に言えば、彼の話を聞いていなかった。
聞けていなかった。
当惑の極致みたいな心持ち。
足が無い。両足の下部が。
それがあった空間に手で触れてみて、普通に素通りすることからも、不可視なだけでなく「存在しない」と分かる。
しかし、痛くない。血も出ていない。直立できず、這い進むしかない、それだけである。
まだ、その時は来ない。業苦の負債。未払いの苦悶。それが過積載となり、僕の頭から倒れ降る。「その時」がただただ、おそろしい。
「色々言われてる手法だ。呪いとしての観点から見れば、死せる者の念を一身に背負った一体を完成させる、複数の呪詛によって多重化した呪物を作ることで、解呪を困難にする、といった、結構納得の行く説明がくっつく」
何?何だって?
「納得」?今僕は何も納得してないぞ?
「くっつく」と言うなら、この欠損をくっつけてくれ。
頼むから、待ってくれ。それが無理なら、言ってくれ。この足は、この先ずっと起きることはないと。時間が止まったままであると。
「一方生物学で言えば、単に強い奴を選別し、それを暗殺用の道具とする、そういった考察もできるらしい。最も強い毒を持つ奴が、毒への耐性も最高で、従って敵に毒を挿すのに最適。そういう『弱肉強食』的な考え方だな。いや、『毒の強弱』という勝敗設定の中で、生き残るのは何かを見ているから、『適者生存』か?どっちでもいいか」
どっちでもいいのは、その通りだ。
どっちにしろ、僕は弱くて死んだも同然。
「ああ、誰かが“生物濃縮”と言っていたっけ。有毒物質を喰った奴、を沢山喰った奴、を沢山喰った奴………、そうやってどんどん溜まっていくって。水俣病とかで起こってた現象。あれは、『生物由来の毒じゃあ起こらない』って、否定されてた気がするけど」
嚙んで含めてくれているところ悪いが、
何の、
「何の……話だよ……!」
ご機嫌取りも忘れて、のたうちながら訊く。冗談だとしたら、分かりにくいし笑えない。
「俺がなんで、こんなことしてるかってぇ話だよ」
僕からの怨恨を、知ってか知らずか。どうあれ、彼にとっては
「この世界を、夜の中に閉じ込めた」
主犯の口から、動機が語られる。
どうせ僕では、理解出来ない。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。
言われたところで、景色に差があり過ぎて、視線の高さが交わらない。
「俺がこれを出来ていると言うことは、大人どもが言っていた可能不可能論なんて、根拠薄弱な予断でしかなかった、そう言える」
地球上だけで通用する約束事。より強い決まりの前では、覆される仮の協定。
コロコロ変わる、テーブルマナーと一緒だ。
「と、すると、俺が従うべきは、強力な方であると言える。環境に適応するという生存戦略として、至極当たり前な結論だろう?」
市の条例が定められ、それが物理に反するならば、遵ずるべき法とはどちらになるか。宣言するまでもないだろう。同じ話だ。一つの社会の中だけの規律なんて、もう守ってやる義理はない。
「で、俺はこう考えた。どうやって重力に縛られるこの星から、自由で絶対な世界へと、完全に移行できるのか。その手順を知らなくちゃいけない」
その二つが、いつまで重なっていてくれるのか。それすらも分からないのだから、急がなくてはいけない。
「だから、抽出することにした。俺達の世界の中で、俺と同じように、“解放”されかけているモノ達を」
そしてそれ以外を、
彼の好奇心、探求心、または冒険心の為に、全土を巻き込んだ。
僕達、贈り物を受けた生徒が、例外的に動けるようになっていたのは、彼がそう調整したからだ。
彼は法の化身であり、
「で、その中で、お前らがどういう動きをするのか、それが見たかった」
リンゴを落として引力を見るように、
僕らをぶつけて世界を測る。
「同時に、最も適応出来る奴を知りたかった。何が強く、何が弱いのか。何が有利で、何が不利なのか。ルールを知らなきゃ、勝つことは難しい」
彼の“蠱毒”。
箱の中身を手探りで当てるように、ワインの舌触りで銘柄を当てるように、
未知の地平を開拓する。
だけど、一つだけ。
ある法則だけは、既知の物だった。
僕らがどう動こうと、
“彼を
「何度も回してみたいから、死なない程度にやりあわせたかった、んだが、お前がやんちゃして、校内の貴重なサンプルが一掃された」
「それはいいんだ」、鷹揚なる王のように、彼は頷いた。
「今気になっているのは、お前が犯した罪についてじゃあない。お前が使ったズルについてさ」
「ズル」?
それが意味するのは、僕の“YJB”か?
それとも、
「お前じゃあ、あいつら全員は殺せないだろ?」
あ、いけない。
「特に俺の見た限りでは、あの女を仕留める術が、お前に無い」
こいつは、駄目だ。
「お前が外的要因で生き残ったなら、俺はそれを知らなきゃならない」
彼を連れて行っては駄目だ。
「お前、何を使って生き残ったんだ?」
場合によっては、攻撃を受ける気でいるのだろう。
僕に秘密兵器があろうと、僕が別の存在を利用しようと、勝つのは彼だという自信を持っている。
彼女の前で、それは思い上がり、と言えるならいい。
問題は、底が見えていないこと。
僕が何をされ、どうして今床に転がっているのか、それが理解不能であること。
彼女が殺されるか、
彼女が彼を選ぶか、
浮かぶ未来は、どれだって最悪だ。
「教えて欲しいんだ、俺は」
彼女の方は、目的すら判明していない。
万が一、彼を求めていたならば、
二つを引き合わせてしまったら、
それが一番、
厭だった。
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