止彎

32

「生命進化の話で頻繫に引き合いに出されるのが、5億4000から3000万年前くらいに起こったとされる、カンブリア大爆発だ」



 彼の言葉が取り留めもないことに、鳶羽は慣れていたつもりだった。しかし生命史の大本にまでの、大跳躍を決められてしまえば、その覚悟も風前の灯火。口を挟もうにも、どう是正すればいいのか分からない。何一つ、順当でないからだ。


「原始生命しか居なかった筈の地球に、生物学の分類である『門』が、忽然と揃ったとされる。環境によって緩やかに選択されるという従来の進化論から見て、それは異質の事例だった」

 ある時点から、ほとんど同時に枝分かれする、系統樹。その有様は、「爆発」と呼ぶに相応しかった。

「これには結局、ある程度それらしい説明が付されている。スノーボールアース現象、つまり地球規模の氷漬けによって、各地域への隔離が起こり、それぞれの場所で独自の進化と形質を獲得。そして雪解けと共に、それらが混ざり合う。更には『食われにくい』として、硬質な外骨格がトレンドとなり、以前より化石に残りやすくなる。痕跡だけ辿れば、いきなり多様化したように見えただけ、なんだそうだ」

 他と繋がらない閉鎖環境で、他には無い進化経路を遂げる。その例は、その後も何度だって見られることになる。地理的に隔てられれば、世界が変わる。

 ウォレス線、オーストラリア、ガラパゴス、………etcエトセトラ.

「生物とか地学とかの授業で、それくらいは習ってます。勉強なら間に合って」「ここで重視するべきなのは」


 「いいか?お目々とお耳を、開いて知るべきは、だ」、日下に講義を止める気は無い。そこには偏執狂的な推進力があり、鳶羽は押されて口を閉じた。


「別の場所、別の条件下で生まれたものを一緒くたにすると、何だか変に見えるってことだ。カンブリア紀の地層に、学者共が度肝を抜かれたように、なるようになった結局でも、不正に歪んでいると感じてしまう。神とか悪魔とかの意思を感じたり、超自然的な力を信じたりする」


 エンタメによって生まれたのでなく、そうでないと生きられなかった。その周辺をガラリと変えれば、ミスマッチに見えてしまう。


 特別な生でも奇蹟でもなく、条理が絡まった無作為の事故だ。


「分かりました。そう見えることもあるでしょう。で、それが何だって言うんですか?」

 勉強にもなったし、豆知識のストックも増えた。今でなければ、あの事件の後でなければ、歓んでいたかもしれないが。

「“隔離”と言うのは、何も島の規模だけでは起こらない。洞窟の内と外では、違う生き物が棲みつくだろ?極端な話をすれば、砂漠に一本だけ枯れない木が立っていたとして、その木陰とそれ以外では、別の自然になっていると言えるだろう」

 隔たりは、ありふれている。

 ミクロで見れば、珍事とも言えない。

「そしてその境目は、xy平面上だけのものでない」

 第三次元。“高さ”を表すz軸。

 例えば標高。山を登る道中で、生育する植物が変化していく、これも基礎的で有名な話だ。


「山と反対に、下側に『隔離』された場所だったら?洞窟どころか、外と通じない空間。偶に開く縦穴くらいしか、地上と繋がりを持たない所。それは、どんな景観になると思う?」


 まさか、

「日下さん。あなたが言いたいのは——」



「そうだ。“厄捨穴”とは、この上衝の地下に棲息していた、極めて希少な生物種、いいや、生物相だったと言うのが、俺の考えだ。同一種個体群コロニーと言うより、別々の種の共生関係と見た方が、まあ自然だろうな」

 

 

 大胆、この場合は“大雑把”が正解か?彼はこの地に、未発見の生態系が在ったと言う。


「何かの生物が掘った巣穴が合体したのか、地殻変動の影響か。そこに広がりが出来て、閉じられた世間が構築される余地が生じた。そして、彼らの世界が創られた」

「そんな!無いです!有り得ないでしょう!」

「そうか?アマゾンなんかじゃ、三日に一種、10年で1220種見つかったりしてるだろ?人間の支配域で出会えるのなんて、ほんの一握りだろうよ」

「いや、でも、こんな市街地のど真ん中、見つからないわけないでしょう!」

 だから、野生動物説は否定されたのに。


「見つかったんだろう?“厄捨穴”として」

「あ……」

 そして、隠された。


 ただでさえ、未確認種は土の下だ。直接見る事ができず、表面的に起こった事実しか分からない。そこに神秘という衣装が着せられ、更に権力者に隠されれば、本当の在り方に辿り着ける者なんて、隠している側以外に居なくなる。


「でも、人を食い殺せるくらいの動物が、地下でどうやって生きていくんですか?そんな狭い中で、巨大生物に進化するほどの生態系が、作れますか?」


「いや、違う。細かな群体と、もしかすれば植物、貪るのはそいつらだ。デカい一匹じゃあない」


 小さな虫けらと、植物?

「植物が人を、肉を食べないでしょう!」

「どうかな?食虫植物という例がある。ああいうのは、根っ子に持った消化酵素の分泌能力の派生として、小動物くらいまでなら食えるようになってる」


 「どうして草が、虫を食うようになったか知ってるか?」、日下はただ静かにことを運ぶ。「栄養が足りないからだ」、シナリオ通りの献立であると。


「考えれば当然の答えだが。土壌の条件が最悪で、摂れるものは何でも吸収しなければ、生存が難しいという土地に生えた」

 その中で、動く物を絡め捕る、それが出来る個体が生まれた。その遺伝子は生き残りやすく、徐々に地面を覆っていった。

 それと同じことが、上衝の地下でも起こっていたとしたら。

「生育には厳しい環境だからこそ、そこで誕生するのは、より過激で獰猛な命だ。タンパク質だろうが何だろうが、触れるものを例外なく掴み、活力に変換する。地中を掘って進む生物が、うっかりそのテリトリーに落ちるだけで、そいつを捕獲しドロドロに吸い上げる。そういう植物があっても、おかしくはない」

 他にもやりようはある。

 虫との共生——と称するより寧ろ、その飼育——も、その一つだ。

 自分の樹体を住処として提供し、飛べる虫を支配下に置き、穴の外から栄養を運び込ませ、分解を促す。時には非常食にしても、いいかもしれない。蜜も家も与える代わり、その命を差し出させる。これも中々に良い手に思える。


 無数の失敗と無為の中で、歯車一つでも嚙み合ってしまえば、そこに食物連鎖が生まれる。

 生命の逞しさよ、悍ましさよ。


「でも、食べられそうになっても、人間はそこで戦えます。虫なら払えますし、草なら離れれば済むだけです。毎回首尾よく殺せるものでしょうか?誰か一人くらい、穴を登ってくるんじゃあ?」

「そいつらの頭の上から、降って来る食材を思い出せ。陸揚げされた魚は言うに及ばず、生贄用の牛なら解体されてるだろう。大きさ的にも加工は必要だ。そして人間は、足を切られて弱らせられている」

 動きづらく、衰弱も早い状態の人間。もしくは死体・死骸。

 雑草風情だろうと、器官さえあれば吞めてしまう。機構さえ持っていれば、食することができるだろう。


 酵素の液と蟲の海が、落ちゆく者を待ち受ける。


「“厄捨穴”に捨てていいのは、消化できるもの。言い換えれば、食物か生物。それ以外の物を投げ込めば、汚毒と変質に繋がってしまう。バランスが崩れ、全滅する恐れまである」

 それを利用し続ける為には、生かし続ける為には、守る者が必要だった。

「災害も脅威だ。地震や豪雨、洪水は、その世界の天敵だったろう。“穴”が数を減らしたのも、そういう出来事が原因だったのかもしれない。人の手が無いと、すぐに淘汰されるような、脆い世界だったんだ」


「それが、その『守護者』が、神螺家……?」

「そうだ。律と法、禁と罰を作り、それを盾として“穴”を守る。それが彼ら一族の役割だった」

 そして、独占に目が眩んだか、このままでは守り切れないと悟ったか、彼らは“穴”を秘中にうずめた。


 旧校舎の慰霊碑のような、ややこしい仕掛けで蓋をして、裏ではせっせと給仕する。

 その方針で、暫くは上手くいった。

 そして破滅は、備えようのない方向から、来襲する。


「工業都市としての急成長と、大気や土壌の汚染。与え続けられた魚にも、微量の毒が入っていたのかもな。それがスパンの短い生命サイクルによって、生物濃縮を急速に進め、毒性を強く研ぎ澄ましていく。パタパタバタバタ、死んでいったんだろう」

 そこに来たるは、の有名な大空襲。

 燃やされるか蒸されるか、それで息絶えていく地下帝国。ただでさえ生息域を、拡張するのすら厳しいと言うのに、とうとう絶滅危惧種になってしまった。

「旧軍部が生物兵器として、期待していたらしいくらいだ。その価値は現代でも未知数。巨万の富を生み得るが、使い方によっては火達磨になる。知られたくない。だから使えない。かと言って、いっそ手放す勇気も無い。その葛藤の中で当の生息圏は、自然と消えゆく定めを辿ろうとする」

 神螺家は、さぞや頭を抱えたことだろう。


「以上が、お前が追っていた“人喰い”の概略だと、俺はそう考えている」


 分かった。良いだろう。

 それで、

「100、1000、いえ10000歩を譲って、それが大当たりだったと仮定して、」


 で、どうする?ここで終わりではあるまい。

 鳶羽の罪と、どう関係があるのか。まず「罪」とは何か。この場は、それを説明する為の席だろうに。


「まあそう焦れるな。こういうのには順番があるんだ」

 「俺も最近習ったんだが」、彼の軽口は、間を持たせる口実にも聞こえた。彼自身の整理もついていない、それを物語っているようだった。

 

 やがて日下は、次の話題を決めた。

「神螺家にとっての幸運は、あの石に『鎮魂』という役目が、死と禁忌を連想させる属性が、付加されたことだ」

 誰も近付きたがらない。触れることさえ憚られる。その付近で怪しい影が目撃されても、怪談話として流布するのも、好都合だった。

「逆に彼らにとっての不幸は、それを偶々見つけた奴が居た、ってところだ」

 

 誰あろう、蛇頭隼人だ。


「彼はそこの入り方と、それから出方を見つけ出した」

 旧校舎屋上のタンクに、水が間違いなく溜まる雨の日、人目を盗んで逢いに行く。しかしある日、「供物」を投げ入れに来た神螺家の人間に、発覚してしまう。

「慌てて足を切って、“穴”に喰わせたんだが、どういうわけか脱出した。出口はきっと、神螺邸にあるという防空壕だ。戦時中の軍部との共同研究、その拠点跡とかだろう。そうして彼は、離れた場所で力尽きて倒れた」

 学校に入って、出る所は確認できない。にも拘わらず、残留物から見る軌跡は学校から伸び、大通りの上で息絶える。

 脱出マジックのようなこの事象も、タネが分かれば難しくない。学校とは別の、隣の家から出て行っただけだ。その敷地が捜査協力を渋れば、防空壕からの逃げ跡は見つからない。その部分だけ覆われてしまえば、後から辿る者達の目には、まるで学校の方から出たように映る。

「グダグダな目分量で振られた調味料が、何だか意味深長な風味をかもしたせいで、世にも奇々怪々な珍味みたいに仕上がっちまった」

 契機も経過も帰結も、何もかもが平々凡々。それぞれの歯車の噛み合わせが悪すぎて、ヘンテコな形をとっただけ。


——なんてこと、隼人。

 彼女は嘆く。

——どうして、隼人だけが、

——こんな目に。


「ここで更なるファクターが加わる。この事件の複雑化の因子が。それこそが——」


——お前だ。椅鳶羽。


 彼の話が、

 本論メインへと刃を入れる。

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