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「ここは、どこなのかな?」



 素朴な疑問が、口をいた。


「教室と同じ形をしてるけど、見た目以外は別物だよね」

 彼女と一緒に居続けていると、時間が一方に流れることすら、忘れてしまいそうになる。その悠久の中で、あぶくのように思い付いた。

「この中だと、体が軽いんだ」

 密なる圧迫を感じるのに、いつもより可動域が広くなる。そんな相反する性質を持つ空間。

「君が、何かしているのかな」


 水の中。

 僕が座り込んでいるのは、冷たくも重くもない深海。

 未知のあんかい、既知の安眠。


 そう、僕はここを知っている。

 気のせいなんだと思うけど、代償行為に近いのだけど、僕はここを、探していたんだ。


 月が、

 蒼い月の光が射す。

 太陽からの光が反射して、月を輝かせる。大気中の粒子に乱反射して、地上で見える色が変わる。


 月、そうだ、月だ。


 人は幸せを確固とするため、板製の月に乗ることさえある。そうすることで、自由になれる。「月にだって飛んで行ける」、それが彼らの自由だった。

 それが見世物、偽物と知っていて、それでもやらずにはいられない。

 ここが正しくないからって、それはさしたる問題じゃあない。「幸せ」の形をしていれば、それが僕の円満だった。


 彼女が作ったであろう、張りぼてで書き割りの日常。

 この中だったら、離れない。

 一体となって、融け合って。


 それが「捕食」と呼ばれるか、

 「抱擁」と呼ばれるか、

 それだけの違いと思ったんだ。


 しがみついても撥ね退けられず、彼女の中にいても良い、それが僕の幸せだった。


 僕はその日、初めて月を見た気さえする。

 母なる太陽でも、大地でもなく、

 光を返すだけの、小さな地表を。



「君は、」



 だからだろう。僕はその月を憶えていた。

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