24

「何やってんの?はん、ここまで来て怖くなった?失笑ものね」



 択捉は次に、彼の愚かしさを笑いものにする。そういう方向で、反逆による決壊を補修しようとする。

「ここまで来れば、もう少しだったのに、あーあ、誰かさんのせいで」

 失敗による不甲斐なさを見せないために、責を一身に負わせて怒りを煽り立てる。

 佐布が次なる敵だと、そう言って非難を指向させ着せる。自分に向かぬよう、風向きをずらす。

「ぉお、お前は!誤解してる!ま、間違っているんだっ!」

 佐布は抗弁を続行する。彼が自信なさげであるから、それが逆に群衆に響く。あの佐布が、こんなに震え怖がっている少年が、それでも声を大にする。彼が表明したいことには、それだけの圧があると言うのか?

「『間違い』?はあん?あんた本気でそんな寝言を言ってんの?」

 対照的に択捉は、崩れるところを見せてはいけない。どんなに小さくても、悩み疑わせてはいけない。


「私には、“”があった!」


 だから、彼女はそのカードを切った。


「え!?」

 予想外の展開だった。鳶羽の仰天に気付くことなく、天地神明に懸けるかのように、大々的に吹聴する択捉。

「私がそこの穴の事をどうやって知ったか!それについて引っ掛かりを持つ人もいたけど!その答えがこれ!私は、教えて貰った!全てを知る意思に!」

 傾向が、神秘主義へと偏っていく。

 一人が勝手に言っているのでなく、大いなる何らかを背後につけている。最初に自分に語りかけた“声”があって、それに感銘を受けたからこそ広めている。口先だけの二段階認証で、綻びかけた権勢に箔をつける。「正しいと思ってる人がいるなら、安心か」、その同調気質と、ベールに遮られることで発生する、「神性」とも呼べる力。

 それらを駆使する彼女は、今や指導者から、預言者へと羽化しようとしている。

「全知が言った!『その穴を埋めろ』と!だからここに、疑義の余地なんて無いでしょ!」


 増長している。

 火を通されたポップコーンみたいに。


 鳶羽は、今一度強く思った。


 「この少女は、危うい」と。


「出鱈目だ!デタラメだ!で、でででで、でたらめだ!お前なんかに、分かるもんか!」

 対抗し得ない。感傷一辺倒の話術では、彼女も軍も押し返せない。

 それでも、彼は意図していなかったとしても、遅滞戦術は時間を稼ぎ切った。

「そこまでです!もういい!茶番は終わりです!」

 秩序の代行者達が、落ち着きを取り戻した。示威でもあった盾が、張りぼてだと知れてしまった。その漏洩が持つ意味は重い。

「あなた達は、私達を操れない!私達はあなた達を止められる!同じ結果になるのなら、自分で止まった方が罪も軽い!そうでしょう!?」

「そうだよ!ここだよ!こ、ここで!ここで引き返すんだ!」

 羽刈刑事と佐布の説得が、遂に効力を持つかと思われた。


 だが、


 他は抑えられても、彼女だけは手に負えない。

 最初から、正しさを見ていない。ただ、その場の勢いでやっているだけ。そういう開き直った浅慮が、時に戦場を覆してしまう。

「予定は変更しない」

 彼女が後ろ手で、スマートフォンの画面に触れる。

 ああ、それは。

 「もう遅い」、そう言ったも同然の決断。悪い流れも良い風も、爆風と共に吹き飛ばすスイッチ。


「その穴を、


 大雨の中、張られた音声おんじょうでもなかったのに、彼女のその言葉だけは、よおく聞こえた。何人だろう?何人がその意味を、100%無欠で受け取ったか。きっと、誰にも分らなかったに違いない。言った本人も、これからどうなるか知らないのだから。

 ただもう一つのメッセージの方は、徹頭徹尾取り違えようが無かった。予め決めていたのもある。この場の物々しさが、火に油を注いだという側面もある。


 が、それ以上に、何も考えてない雑兵が、停滞を相手にしてごく稀に見せる、爆発力。それが占めるところも大きいだろう。


 思考が無ければ苦悩はなく、付け入るだけの足掛かりがない。だから誰にも対策不能。身軽過ぎて、次の一秒で何処に転じるか、分かったものじゃない。

 その為、最初から知っていた生徒達以外、次に来る攻撃が「そうなる」なんて、夢にも思わなかったのだ。


「択捉芹香さん!傷が浅いうちに、みんなを——」

 共鳴。

 それは擦り付ける音だった。

 それは切り裂く音だった。

 それは驚く音だった。

 それは轟く音だった。

 羽刈刑事の呼びかけに返答したのは、大型の駆動音と、沸き立つ悲鳴だった。

「は、え、なに」

 振り向いて、見た。

 割れる人垣、頑強な警官達が逃げ飛ぶ。腰抜けとは罵れない。本当の「腰抜け」は、逃げ遅れて撥ね飛ばされた。

 ジープだ。

 乗用の中では、大振りの車体。

 校舎裏とは言え、それが入る横幅は自体はあった。不幸にも、入れてしまった。

 わざわざ遠回りして、宍戸を襲って得た戦利品。それが過速で特攻してくる。慰霊碑めがけて金属塊が、択捉からの号令に従い、最後の乱闘の戦端を切り拓いた。

 ゴムを引っ掻くような高音域が長くつんざく。ブレーキ。だが雨で濡れた土の上で、大質量が滑走すれば、止まり切れないと簡単に分かる。

 最終的には石碑へ激突し、それでようやく停止した。

 そこに寄り群がる顔無しの集団。後部トランクから続々と、オレンジ色をしたタンクを取り出していく。蓋を開け、中の液体を撒き広げる。

 打ち水でもするみたいに、あっさりと垂れ流されるそれは、

 

 タンクの見た目通り、灯油だ。

 ストーブの燃料として保管していたものを、根こそぎ奪って注ぎ入れている。


「まずい!止めろ!」

 羽刈刑事と、辛くも難を逃れた数人の警官。彼らが躍りかかり、子ども達の動きを止めようとする。近接戦になれば、勝つのは屈強な大人達。いくらこの街が比較的平和で、このスケールの集団線に不慣れだとしても、力量差を無効化できるほどではない。

 投げられ、打たれ、尻込みし、狂騒から冷めて痛みに囂涙ごうるいする。

 わあわあと、水の粒音と同価値になった鳴き声の中、警察達に勝機が見えた。ご覧の通りの天気外気で、択捉が抜き放ったライターが、最初の発火を達せないでいる。確保していたマージンが、身内の心変わりで食い潰され、今の彼女は一刻も捨てられない。なのに手間取った、その数秒が致命的。羽刈刑事の間合いリーチが届く、一歩手前。まさに、敗北手前。守る側が間に合い、壊す側が間に合わない。


 そう思われただろう。

 けれども、

「はい。お望みの人質」

 択捉が気負いなく頸部を刺し、その小太りな肉を刑事に向かって蹴り押したことで、もう一猶予、捩じ込まれた。迫るを払って少女を組み敷く、それは可能だった。

 しかし、見るからに助からない重症であっても、市民を、それも勇気ある抵抗者を無碍に撥ね退けるほど、羽刈茉音は効率主義になれなかった。倒れ塞がる佐布悠邇を、その瞬時に可能な範囲で、最高の敬意と慈愛で以て抱き止め、


 それが最悪の足踏みとなった。


「取り引き。私は要求を受け入れた。だから今度はこっちの番」


 火が。


 雨雲の下、薄暗く水浸しな風景に、僅かに紅一点、描き入れられる、


 その火が、


 揺らぎながら落ちて——

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