28

「まだケッコーあんじゃん。どんだけ持ってきたん?」



 灯油タンクをまた一つ、穴の中に蹴り落とす瀨辺。

 ライターを右手に、択捉の襟首を左手に、踊るあけを背に。

「まー、ありがたく使うけど」

 択捉はあれから、「か、あ……」と痙攣するくらい。掴むのに邪魔だと三つ編み部分を切り取られても、抗議どころか、断末魔すら発せていない。痛みが身動みじろぎすら縫い留めるのか、それとも力がじわじわ抜けていくのか。外から見ただけでは、彼女の心境は覗き知れない。


 彼女の背に差された赤みは、刺された明かりは、

 舞い飛ぶほむらか、漏れ咲く血脈いのちか。


 強火のコンロで焼かれてるみたいに、これから自分がどうなるか、分かりかけてしまっているのか。


「き、きみ!瀨辺、黒湖さん!」

 さか赫々かくかくに対し二の足を踏みつつ、羽刈刑事が彼岸の行進を呼び止める。

「も、もういいだろう!もうそこで終わりだ!」

 冷血動物は、聞く耳を持たない。

「ゴメンゴメン。私もマジ萎えるんだけど、もうちょいやらんと色々ヤバみだから」

「は?え?何が?」

 顔が見えないと、いつも通りとした瀨辺だ。それが不気味。この局面で何一つ動じずに、人を刺して燃料をべる。こんな怪物がヘラヘラしながら、同じ教室で座っていたのか、と。

「まあこっちの話っての?ムズく考え過ぎても良くないんじゃんね」

「いや、だから、あの」

 自己完結しながら、また一つ。

 作業を止める気を見せようとしない。

 会話しているようで、対話をしていない。

 衝突すらない平行線。

 彼女は容易く超えてしまった。

 人と化け物の境界を。


「まーまー、見ててみ?ガチでそれだけだから」


 理解される事を放棄した、独占理論の実践者。

 もう誰も、彼女と「話し合い」なんてできない。


「とりま、そろそろ逝っとく?」

「あ、な……」

「わかるわ~。唐突な暴力って、ホントそんなんなるんよな~」

「え、え、え………」

「うんうん、おけおけ、そんじゃま——」


——責任取っとけ。


 最後の言葉は、業火に囲まれて尚、諸々を凍てつかせた。


 鳶羽を、羽刈刑事を、クラスメイトを、公権力達を、


 地を這う洞穴のような声が、


 心胆寒からしめた。


 そして点火が投げ落とされる。


「あ、」


 目を白黒させる彼らの前で、


 瀨辺黒湖は次に、左腕を前方に放り、


 択捉芹香は、


 穴に落ちた。


 頭から音も無く滑らかに、

 その様は何だか、コメディじみていた。

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