第43話 お願い、ヤコブソン!

 彼が朦朧としながら剣を振り回すたびに壁にダメージが重なる。

 まずい、このままここで彼と戦ったらせっかく守ったこの塔が壊れる。

 敵もどの方向に向かってくるかわからない羽光君の攻撃に、ほとんどが顔を伏せてうずくまっていた。標的は私と認識しているようだが、攻撃に敵も味方もなく、まるで寝ぼけたような状態だ。


 トーガは王座に座って、観覧するように笑みを浮かべて私たちの戦闘を見ていた。

 悔しいが仕方ない。ここを出るっ。

 私は近くの窓に全身でぶつかり、塔から地上に着地する。

 背後から風圧を感じる。ケツァルコアトルスが追ってきた。


 ぶんっ。


 走る私の上をすれすれに飛んでいく。

 くちばしの一部が私の腕をかすり、肘の羽毛が空に飛び散った。

 翼竜は飛行したままで獲物を掴まえるのは得意でなかった、とされているが彼は器用だし、このままではくちばしにやられる。


 羽光君の身体に支障が無い程度の弱点はないか……。

 ケツァルコアトルスの攻撃を避けてジグザグに走りながら、頭の中は滝のように彼との思い出が流れていく。

 甲冑兵たちも迫ってくる。時々振り向いて獣脚丸を振って弾き飛ばさねばならない。

 羽光君。

 彼に関しては良い思い出ばかりで泣きたくなる。

 王子が掴まって、ケツァルコアトルスでこの世界に。エスランディアの王宮から脱出して、イスパニエルに越境して。


 ……ふと、テイベの家で食べた食事が頭に浮かぶ。


 私は走る方向を変えて、先ほどまで休んでいた、王宮内の宿泊施設に飛び込む。

 皆追い払われたのか、部屋はガランとしていた。私は当たりを見回す。

 良かった、残っていた。

 そこにあった山盛りのレモンの駕籠を掴むと、私は跳躍して屋根に上る。


 羽光君は酸っぱいものが苦手だった。

 普段は避けているためあまりレモンの匂いへの思い出はないだろう。だが、テイベの家ではこの匂いにかなり閉口していた。これをきっかけに目覚めて欲しい。

 見失って上空を旋回していたのだろう、ケツァルコアトルスが空を滑るようにやってきた。

 私を捕捉すると、大きく口を開いたまま飛び込んでくる。


 ええいっ、私は柔らかい粘膜の中に自ら跳躍する。

 ばくっ、と大きな口が私を包んだ。

 上昇していくのだろう、喉から食道のほうに身体が引っ張られる。ケツァルコアトルスには歯がないから噛まれる心配は無いが、掴まるものは舌しかない。

 私は必死で先端が二股に分かれた舌の分かれ目に手を掛ける。そして噛み切ったレモンを絞りながら舌の先端にすりこんでやった。

 翼竜は爬虫類からの派生だが、現世のトカゲは口から入ったところのすぐ上、上顎に匂いを感じる場所である袋状のヤコブソン器官がある。舌先につい匂いの分子をヤコブソン器官に入れて匂いを認識するのだ。

 鼻腔よりもむしろこちらが匂いを認識する主な役割を果たす、とネットで見たことがある。もし、それがこの世界の翼竜達にもあるのなら、舌にすり込まれた酸っぱい匂いはヤコブソン器官から脳に伝達されるはずだ。お願い、ヤコブソン! 伝えて、私の思いを。


 舌が大きく動き、上顎をなめた。

 ゴホッ、ゴホッ。

 刺激が強かったのか今度は吐き出されそうになる。慌てて獣脚丸を棒状に変え、つっかい棒にすると、握りしめながら鯉のぼりのようになって耐えた。


「目を覚まして、羽光君――、ハーミ――」


 不意に、上顎に身体が押しつけられた。上下反転?

 そして今度は口の中でふわりと身体が浮いて。

 旋回しながら急降下しているようだ。そして急上昇。明らかに悶えている。

 かなりレモンが効いているようだ。


「思い出して、私よ、黒田よ。王宮に王子を助けに来たのよ、私たち」


 私はぬらぬらした舌にかじりつくようにして叫ぶ。きっと彼の耳にも届いているはず。

 ますます飛び方が滅茶苦茶になってきた。


「羽光くんっ、目を覚ましてっ。テイベの家を思い出して。飾西君が君にレモンをかけたよねっ、覚えてる?」


 どんっ。

 何かにぶつかったような激しい衝撃。

 ぱかっ、と口が開いた。


 口から這い出てみるとそこは、塔の中だった。窓のあたりを突き破って入ったらしい。景色を見るとここは王宮塔で、先ほどの大広間よりはずっと上だった。王宮と叫んでいたから無意識のうちに王宮塔に戻ってきてくれたのだろうか。

 誰も居ない。ここは物置のような使われ方をしている場所のようだ。


「お、俺……」


 天井を見て横たわりながら人に戻った羽光君が目を開けた。

 頭を振りながらゆっくりと起き上がる。


 お願い、正気に戻って。私は獣脚丸に手をやりながら唾を飲みこむ。


「し、飾西のヤロー。俺にレモンを……あれ、冷石は? 黒田さんどうしてここに居るの? こんなにボロボロに……ところでここは?」


 良かった、いつもの羽光君だ。私はほっと胸をなで下ろす。

 激突のショックかレモンの衝撃か、どちらかわからないけど術が解けたみたい。


「ここは王子の捕まっている王宮塔、敵の真っ只中よ」


 バタバタと階段を駆け上がってくる足音がする。


「羽光君は窓から逃げて、私はここから上に行く。内側からじゃないと牢にはたどり着けないの」


 彼が捕まると塔の上からの脱出手段が無くなる。


「え、え……、でも黒田さんを一人には……」

「私についておいで」


 物置の隅から現われたのは、粗末な服を纏った外動、いや、マヌーレだった。


「あたしが王子の所に案内するよ」


 絶句する私から視線を外して、彼女はチラリと羽光君を見る。


「お前たち驚いている暇は無いよ。羽光、あんたは大きすぎてこの抜け道は無理、別なところから逃げな。黒田、あんたも早く変身を解くんだよ、この道は狭いんだ」


 この娘、信じていいの? 私の思考が止る。


「時間が無いよ。王子を助けたいんだろ、あたしだって連れて行きたくは無いけど、暗闇の中ではあんたの力が必要なんだ」

「あたし行くわ」意を決して羽光君を見る。「羽光君は窓から逃げて。塔の上で会いましょう」

「早くしな、隠し扉が見つかってしまう」


 ドアが開く。しかし、羽光君が大剣で敵をなぎ倒した。


「俺はこいつらをできるだけやっつけて適当なところで窓から逃げる。黒田さん気をつけて、油断するなよ」


 後ろ髪を引かれる思いで私はマヌーレに付き従って物置の奥に進む。彼女は小塚君を好きだった。彼を救い出すまでは何もすまい。今は彼女に賭けてみるしかないだろう。

 私は自分に必死で言い聞かせた。

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