第44話 隠し階段

「この塔はね、入れ子の二重構造になっているのよ。ここを最初に建設した王が、クーデターを起こされた時に、最上階から、見せかけの壁の後ろを通る階段を降りて逃げられるように、ってね」


 穴が空いた円柱を重ねたような構造。

 その円柱と円柱の間の薄い空間、内側の壁に沿って手すりの無い階段がらせん状に取り付けられていた。時々外側の壁との間に大きく離れた場所とか、亀裂があって、足を踏み外しそうになる。内側の壁に手を当てながらそろそろと歩いて行く。


「ふふ、懐かしいねえ。お前が私に仕えていた頃、夜道は必ずお前を前に歩かせたもんだ。その夜目が利くでっかい目で石や、つまずきそうな草を見つけさせるようにね。でも抜けているお前はぬかるみに足を突っ込んだり、雑草に躓いたりしていたけど」


 マヌーレが楽しそうに言う。

 お前は私の使用人なんだ、という事を思い出させたいらしい。

 ここは窓の一つも無い空間で、かすかに壁の隙間から漏れる点のような灯りが頼りだ。これだけ真っ暗だとさすがの私も手探りでしか歩けなかった。


「ところで、なぜマヌーレ一人だけ自由になっているの?」

「ここについてすぐ、王子は隙を見て私の縄を噛みちぎって逃がしてくれたのよ」

「一人で逃げたの? 王子は助けなかったの?」

「お前と違って王子の縄を噛みちぎるほどの頑丈な歯はないしね。結び目は固くて解いている暇も無かったし」

「獣人なのに」


 明らかに不満げな私の口調に、マヌーレはふふん、と鼻で笑った。


「相変わらず頭の弱い奴。あたしが一人で逃げたからこそ、今王子の所に向かえてるっていうことを忘れないで」


 だんだん上に向かうに従って、階段が細くなる。

 内側の壁はスベスベしていて、コンコンと叩くと軽い音を立てた。


「この素材は……」

「さあね、上部の重さを軽くするため木でも使っているんでしょう。下のように煉瓦で固めている訳ではなさそうね」


 ちょっと叩いてみる。しかし強度はかなり高そうだった。


「王子が牢から出たら死ぬって、何か仕掛けがあるのかしら」 

「行ってみないとわからないわね」


 ふふ。マヌーレの鼻の奥から小さな笑いが漏れる。

 もしかして知っているが、黙っているのか。

 私は今、目的を同じとする『敵』と歩いているのだ。

 背後に感じる彼女の存在に背中がビリビリと震えるような緊張感を覚えた。


「ここよ」


 マヌーレは暗闇の中、ボンヤリと光る突き当たりの扉を指さす。


「ここが、王子の牢獄に通じる円形の迷宮の一番外側に通じるドア。外からはほとんど見えなくなっているけどね」

「どうやってそんな情報を?」

「お前にはできない芸当をつかったのよ。色仕掛けっていう、ね」


 私に人の足音がないか調べさせ、彼女は先に入るように私に命じた。


「だって、私はあんたほど夜目は効かないものねえ」


 そっと、木のドアを開く。私に続いて、大丈夫そうだと確認したのかマヌーレが滑り込んできた。


「どうやって迷路を攻略するの? いっそ全部壊す? 帰りは?」

「ああ、やだ。これだからがさつで注意深さがない人は嫌なの。迷路を壊すですって? 迷路の中は摩擦で火が上がるように仕掛けてあるからダメよ。私オオトカゲと心中なんてまっぴら」


 マヌーレは私の鼻に丸い毛糸玉を突きつけた。


「行きは王子の呼吸音を頼りに。そして帰りの目印はこの端っこを内側のドアノブに結んであるわ、ミノタウルス」


 私が黙っていると、彼女はくすりと笑って付け加えた。


「ごめんなさい、ギリシャ神話の牛頭の怪物って、あなたにぴったりの名前だと思って」

「ある程度はハーミが防いでくれると思うけど、この迷路まで甲冑兵たちが上がってくるかもしれないわね」

「さあ、ねえ」マヌーレは含み笑いをしている。「甲冑兵たちは怖がって、来ないかもよ」


 もったいぶってこの女、どういうつもりだろう。



 迷路は、路の所々に別方向への出口があってそれを選んで進むものだった。


 ほぼ闇の中を手探りで進んでいく。


「さあ、お前の出番。昔から盗み聞きが得意だったわよね。王子の息遣いで方向を確認するのよ」


 言われなくても、ドアから入った時から耳を澄まして聞いている。雑多な音の中から呼吸音らしき振動を選び出す。

 ぶれはあるが、定期的な空気の震え、ゆっくりとした呼吸音だ。寝ているのか、意識を失っているのか。とりあえず生きてくれている事にほっとする。

 家に来てくれたときも、黙って歩いているときも、いつも、いつも、半分信じられない気持ちでこの息遣いを聞いていた。息の音が聞こえるほど、こんなに近くに大好きな人が居るなんて、まさに幸せの極地だった。



「次は右の扉」


 呼吸音が近くなる。

 ここまで来た。待っていて、すぐ行くから。

 絶対に私があなたを連れて帰る。あなたが幸せに暮らせる場所に――。



 進むに従って、だんだん息が大きく聞こえる。

 だけど、急に何かが目覚めたようにかすかなうなり声が聞こえた。

 これは、人間じゃ無い。


「どうしたのよ、次はどっち?」

「ひ……だり」


 何、この虎の唸りのような低周波、王子と同じ方向に危険な何かがいる。

 小塚君の息も徐々にはっきりと聞こえてくる。だけど、妙なうなり声も――。

 多分、これが最後のドア、というところに私たちはたどり着いた。


「王子の息、私も聞こえるわ」


 私を押しのけて前に出たマヌーレが戸に耳を付ける。彼女も獣人だけあって感覚は鋭敏だ。


「待って」私は彼女の手を押さえて、首を振った。

「そのドアの向こうに……」


 牢を開ければ王子が死ぬようになっている。

 トーガはそう言っていた。


「王子は私が連れて逃げるわ。何か出ればあなたが対処しなさいね。何しろ獣脚丸を持っているんだから」


 マヌーレは私のポケットをじっと見ている。そこには獣脚丸が入っていた。冷石は私が赤い羽根の恐竜人に変化したとき、『ディノ・フェニックス』って言っていた。マヌーレは獣脚丸が私を使い手として選んだことを悟ったのだろうか。


 止める間もなく、彼女はさっと戸を開けた。暗闇からいきなり明るいところに出たため、まぶしくて目が痛い。二人とも、目に手を当てて顔をしかめる。

 中は結構広い空間だった。開けてすぐの所に格子があった。

 格子の奥、壁に付いたランプの光が倒れている小塚君を映し出した。

 彼は死んだように眠っていた。

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