第3話 幸せ高度1万メートル

 小塚君は今年の五月に私たちの高校に転校してきた。

 その輝かしい容姿から転校初日から『王子様降臨』と学校中は大騒ぎ。直後の中間テストでいきなり十番以内、体育祭でぶっちぎりの運動能力を見せつけて、運動部の主将が勧誘の列を作るという伝説まで作った。

 電車で彼を見に来る他校の追っかけまで出現する始末である。


 正直、輝かしいものからは目を背ける習性のある私は、それまで彼の噂など聞いてもどこか遠く離れた国の住人のような気分でいた。多分卒業までずっと、せいぜいすれ違うくらいの関係。クラスも違うし、実は顔さえよく見たことがなかった。


 いつも私は無意識のうちに美しいものは好きでは無い――と、思い込もうとしている。小塚君もその範疇はんちゅうに入っていた。でも、正直なところはその真反対で、美しいものが好きすぎて憧れすぎて直視するのが辛いのだ。手に入らないものを見て苦しむのは、小さい頃から嫌というほど経験してきた。見なければ、その存在を知らなければ、自虐や嫉妬に苛まれることも無い。だから、遠ざけてきたのに。


 いつの頃からだろう、多分春の体育祭が終わった頃か。

 小塚君が急に私に声をかけて来るようになったのは。


「黒田さん、今日は部活が休みなんだ。一緒に帰ろう」


 その一言は私を暗闇の中から引きずり出し、人との関わり合いを最小限にすることで気がつかないないふりをしてきた劣等感を私に思い知らすことになった。

 避けても、避けても、あの明るい笑顔で彼は私を追いかけてくる。


「黒田さん――」


 神様、私なにか悪い事をしましたか? それともこれは長い夢の途中なのでしょうか。



 私は駅に近いアパートに住んでいる。高級でもなく、かといって場末感はない普通のちょっと年季の入ったアパート。そこの五階で弟と両親の四人暮らしをしている。

 可も無く不可も無く、平均的な一般家庭。人はそれを幸せと呼ぶのかもしれないけど、家族の中で私だけが飛び抜けて不細工なのが自分の幸福感を著しく低下させている。


 駅前通りの帰り道。田舎町でも、さすがに駅通りは人通りが多い。夕方の通勤時間帯のこの時間はさらに多い。人波にもまれながら、私と小塚君は黙って並んで歩いていた。時折視線を感じて周囲を見回せば、不思議なものを見るような顔ばかり。

 美男と野獣。いや、恐竜か。

 なんだか見世物になっている気がして、目が潤む。小塚君、恥ずかしくないのかな。

 うつむく私に気がついたのか、小塚君が話しかけてきた。


「黒田さんは、部活に入っていないけどいつも何をしているの?」


 答えが見つからない。塾以外は着替えて、おやつを食べて、ネットをボンヤリ見ていたら、夕ご飯になるから。


「さ、さあ?」

「好きな食べ物とか、あるの?」

「な、何でも食べます」

「好きな色ってあるの?」

「あんまり、考えたことが……」


 ああああ、私の馬鹿馬鹿。頭の中が真っ白で会話が続かない。

 しばらくの沈黙の後、小塚君が小さな声で効く。


「もしかして、誰かと付き合ってる?」

「いません。誰もいません。友達もいませんっ」


 やっときた回答できる質問に、噛みつくような勢いで答える。余計なことまで言ってしまったような気もするけど。


「じゃあ、僕と付き合ってくれますか」


 余りにも自然で、一瞬何を言われたのかわからなかった。

 こ、これは正式なお付き合いの申し込み、である。

 脳みそがぐつぐつと煮える音が頭蓋骨の中に響き渡った。

 このままでは、で、出る、耳から出る、沸騰した脳みそがっ。


「クイイイイイイイイッ」


 はいと言ったつもりが、歓喜の余り声帯が奇妙な声を発してしまった。

 その途端。


 バサバサバサバサ。


 私の頭上に蚊柱、いや、真っ黒いムクドリの柱ができていた。それはまるで祝福するかのように頭上をぐるぐると回転している。

 そう、私の声は度々鳥を呼んでしまうのである。道行く人々がひえっ、と声を上げて慌てて私から遠ざかる。


「グエッ」


 思わず出した拒否声で、ムクドリは一斉に散開して飛んでいった。

 小塚君の切れ長の目が丸くなっている。


「わ、私」


 これは嫌われた。絶対に変な奴だと思われた。

 ああ、だからこんなスペックの高い彼を持つのは嫌だったんだ。ちょっとしたことで一喜一憂――。

 いつの間にか目に涙があふれている。


「すごいな、鳥も祝福してくれているんだ」

「私の答え……」

「ありがとう黒田さん、承諾してくれて」


 小塚君、私の恐竜声きょうりゅうごえが解読できるんだ。こんな人初めて。

 思わず、上目遣いで見ると、彼の目が優しく受け止めてくれる。


 し・あ・わ・せ・高度一万メーーーーーートルっ! 


 ああ、幸せすぎて息苦しいっ。

 もう、パラシュートなんか背負わなくっていいのかしら。このまま夢のシチュエーションに羽ばたいていけるのかしら。

 いつの間にか辺りが濃い黄金色になって、周りの人々の歩みも明らかに早くなっている。

 もう少しで家に着く。そしたら小塚君ともお別れだ。

 これは幻覚か。明日目が覚めたら――、やっぱり夢だった、って展開かもしれない。


「こ、小塚君」


 消え入りそうな声で話しかける。聞こえなかったら聞こえなかったでいい。その方が図々しいことを言わなくていいから気が楽。


「なに? 黒田さん」


 でも、王子様は聞き逃してくれない。私をのぞき込むように首をかしげる。

 道の端っこで立ち止まって、私は蚊の鳴くような声でつぶやいた。


「ひ、ひねってください。ほっぺたを」

「は?」

「私、夢を見ているんじゃ……」

「じゃあ、そっとつまんでみようか」


 小塚君の白い指が頬に触れる。力を入れているのかもしれないけど……。


「い、痛くない」


 やっぱ、夢なの?

 夢ならば、もっと一緒に居たい。


「も、も、も、もっ……」


 舌がもつれて、後が続かない。夢なんだからしゃっきりしろ、睡眠中も脳は眠らないんだろっ。ええい働け、脳っ。脳に鞭を打つイメージを浮かべると、無意識のうちに顔が左右に動く。何してんの、私!

 後ろから来た人が私を怪訝そうな目で見て追い越していく。


「せっかくだから、僕はもう少し黒田さんとお話ししたいな」


 初夏に向かう今、夕陽はまだビルのてっぺんに乗っている。いっそ五寸釘で天空に打ち付けておいてやりたい。

 彼の手がそっと私の左肩にまわる。びくり、と肩が震えて足が止る。チラリと見上げると、いつもと同じ優しい目がこちらを見ていて、幸せの断崖絶壁から砂糖水の海に飛び込む気分。


 もう、どうなってもいいです、自分……。

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