第4話 爆誕! 恐竜乙女

「ちょっとだけ、公園で缶コーヒーでも飲んでいく?」


 今歩いている道から少し住宅街に入ったところにこじんまりとした公園があった。遊具はあるが、この時間さすがに子供の姿は見えない。日の入り直前だからか柄の悪い人の姿もなく、ロマンチックにオレンジ色に染められた公園は静かで治安の悪くない、まさに初心者向け恋人タイムだ。


 ガランとしたひと気の無い公園。二人だけの貸し切りである。

 小塚君は私をベンチに座らせて、自販機のコーヒーを買いに行ってくれた。私はもう一度辺りをうかがうように見回す。

 良かった、誰もいない。いや誰かいて見て欲しいような気も、でも……。


 ざわっ。


 突然、背中に戦慄せんりつが走る。一瞬、息が止った。

 先ほどまでの甘い悪寒ではない。それは、もっと何か――。


「はい、お待たせ」


 小塚君にミルクコーヒーの缶を渡され私はふと我に返る。


「ごめんね黒田さん、喫茶店とかじゃなくて」

「いえ、公園のベンチで小塚君と座れるなんて、こ、光栄の極みです」

「また、他人行儀な」


 笑いながら缶コーヒーを飲むシルエットが、夕陽の逆光で浮かび上がる。

 その絵が美しすぎて、私は声を失った。

 やっぱり夢? でもこのリアルさ、現実よね。


「これを君にあげたかったんだ」


 セーラー服の左胸ポケットに、何かが差し込まれた。布地を介して胸に伝わる刺激は、まるで細い矢で心を串刺しにされたようで、両手にコーヒーを持ったまま固まってしまう。


「こ、これは?」

「ん、正確に言えば、返すって感じかな」


 胸ポケットに、万年筆ぐらいの長さの細い銀色の棒が入っていた。


「君の獣脚丸じゅうきゃくまるだよ」


 ざわり。先ほど差し込まれた『獣脚丸』から全身に奇妙な振動が伝わる。


「これが、君に会わせてくれた――」

「こ、小塚君っ」


 急に全身が震えだした。

 この、感覚――。インナースペースの闇に閉じこもっていた時に感じたことがある。

 しかし、これは今まで感じたことが無いほどの、


 敵意! 憎悪! 危険っ!


 頭の中でまばゆい閃光が走り、いきなり情報がなだれ込む。

 と、同時に、


 左後方、来るっ!


 いきなり足の先からふくらはぎにかけて電流が流れたような衝撃が走った。


 ボシュッ。


 通学用の黒いローファーが引き裂かれて、その先からは黒光りするかぎ爪が飛び出した。


 バシュッ。


 同時にふくらはぎと太ももに無理矢理引き延ばされるような痛みが広がる、スカートの上から押さえた右手に、さらに太くなった筋肉質の足が触れた。スカートからはみ出している足はみるみるうちに羽毛に包まれる。


 なに、これ。


 仰天……狼狽ろうばい……だが、あっけにとられている暇は無かった。

 頭の中でガンガンと自分自身の叫び声がこだまする。


 危険、危険、危険。敵意MAX!


 無意識のうちにかぎ爪のついた足が地を蹴り、小塚君を抱きかかえてベンチの横に転がる。

 巻き上がる砂塵。しかし、今まで小塚君が座っていたところには、何かが刺さったような痕と同心円状に広がる亀裂が入っていた。


「伏せて、小塚君」


 かすかな音。今度は上からっ。思うより先に身体が浮き上がった。瞬時に今まで頭があった高さに到達すると思い切り足を振る。何かを蹴り飛ばしたたような反動、光の反射で回転しながら遠ざかるその輪郭がうっすらと見えた。それは人の形をしていた。

 透明な何かが向かって来る。

 宙で一回転して着地する。なぜ、こんなことができるの――考えている暇は無かった。


 小塚君、いや、王子が危険っ。


 頭の中が激しく点滅する黄色と赤の信号で一杯になる。すでに思考は本能に操られていた。

 羽根を広げるように両手をまっすぐ左右に伸ばす。飛ぶと同時に、剣を振り上げて王子に切りかかってきた一体の頭部を、身体を前に倒し腰をひねって背中に着くほど引いた右足で思いっきり蹴り上げる。敵は空中にめり込むように身体を曲げ、そのまま後ろ向きに落ちていった。

 薄暮の中、わずかな屈折率の違いで、敵の輪郭だけがかろうじて見える。だが、周囲には何体も敵がいる気配。透明な上に素早く動かれると目がついていかない。


「王子、囲まれています。私の後ろに隠れて」


 王子を左手でかばいながら自分の後ろに立たせる。


「すまない、僕には奴らの姿が見えないんだ」

「私にお任せを」


 だが。はっきり見えない透明な敵。どうすれば、どうすれば、切り抜けられる。


 ふと。

 何も見えない闇の中で、ただ耳をそばだてていた日々が頭をよぎる。

 悪意を避けるために、恐怖に震えながら微細な音に心をとがらせていた日々。

 あの時、音は周囲の画像となって再生され、私の頭に投影されていた――。


 ならば。

 ふおおおおおっ。私は一回転しながら喉の振動を極限まで上げる。

 その途端、周囲に立つ敵の姿が脳内にありありと映し出された。

 剣を手にした、すべて同じ形の、人、人、人……。全部で十二体。


 それはまるで産婦人科で胎児を写す超音波の画像。声の反響は敵の姿と位置をはっきりと私に教えてくれた。

 奴らは、私がまだ見えていないと思って油断している。


 今だ。


 敵が動くと微細な振動として頭の中に伝わっている。初期値から刻々と脳内画像が映り変わり、今の私は彼らの動態が手に取るようにわかっていた。

 こちらに飛びかかろうとしている敵に向かって右手を水平になぎ払う。

 無意識のうちに胸ポケットから引き抜いていたのは、銀色の刀に姿を変えた獣脚丸。

 鋭い切っ先が襲撃者ごと宙を切る。すぱり、と分かれた空間から暗い闇が覗き、透明な人影が数体吸い込まれるように消え去った。


 足を左回旋して、王子に手を掛けようとした敵を蹴り倒す。背後から向かってきた一体の姿が頭に飛び込んでくる。長いかぎ爪が生えた左手がそいつをむんずと掴んで、頭上でミキサーのように振り回す。透明な影はちぎれて消え去っていった。


「ふおおおおおおおおおおおっ」


 私は自らを鼓舞するように両手を肩の高さで曲げ、激しい咆哮を上げる。恐れを成したか取り巻いていた影がふっつりと姿を消した。

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