第39話 延焼

 造竜は見上げるほどの巨体であった。

 2階ぶち抜きの構造でも頭がつかえていたのではないかと思えるほどに。尻尾も負けずに太い。一番太い所では大人の背丈くらい直径がありそうだ。

 鋭くて長い牙の並んだ頭はほぼ大人の男性ほどの大きさがあり、真っ赤な口も小さな小屋なら飲み込みそうに大きい。大きな身体を支えるがっちりと筋肉の盛り上がった太い足の先には3本の尖った爪が並んでいた。

 恐竜図鑑ならティラノサウルスに一番近い。

 だが、この造竜は腕が短くはなく、尻尾で上手くバランスを取りながら器用に動いている。

 そして、恐竜との徹底的な違いは、時折口から炎を吹き出すことであった。

 鋭い歯は火に炙られてか、黒光りしている。


 ギロリ、とその目が私を捉える。

 私は立ち上がって、後ずさる。

 変身しても私の体長はちょっと大きな女性くらい。

 正攻法では目の前の小山のような造竜には太刀打ちできるはずがない。

 造竜は上体がのしかかるように前傾して、長い手で私の居た場所を勢いよく振り抜く。

 風圧に翻弄されながら、私は思いっきり跳躍する。

 だが、それを待っていたかのように、大きな口が目一杯に開き炎が噴出された。

 目の前に炎が迫り、熱風が吹き付ける。思わず私は目をつぶった。

 

 ドゥウウウウッ――――。


 思わず口から発される、女子とは思えない大音量の太い音。

 間一髪すり抜けたのか、目を開けた私は炎を吸い込むことなく着地した。

 足先が焦げたのかプスプスと煙が上がっている。


 コイツを止めたい。

 ならば、脚か。


 私は炎を避けて、造竜の下に潜り込んで脚を切りつける。

 しかし、導師ハサニゲルが強化しているのか、獣脚丸では歯が立たない。

 まるで甲殻。電信柱を木刀で叩いているような感じだ。鈍い音を立てて刀が跳ね返る。

 切りつけるのに夢中で、私は音の注意を怠った。

 はっ、と気がついた時には遅かった。

 いきなりの強い風圧とともに、私は壁にたたき付けられる。

 間一髪、身体への直撃は避けられたようだが、勢いよくぶつかった右足が変な音を立てた。

 なんとか立ち上がれたが、鋭い痛みが走る。ヒビでも入ったか?


 ここは逃げる一択。

 私は右足を引きずりながらドアを体当たりで突っ切る。そこは王宮塔に通じる長い大理石の廊下であった。逃げる私を餌と思っているのか、屋根を壊しながら造竜が私を追ってくる。

 警備していたイスパニエルの兵達は戦うどころか、私の姿と造竜を見て慌てて逃げ始めた。

 後ろを振り向くと火を噴きながら造竜が追ってくる。

 ずん、と廊下に足踏みの振動が伝わり、私の身体は宙に飛び上がった。

 おっとっと。

 体勢を崩しそうになって、私は思わず尻尾でバランスを取る。


 尻尾。


 ティラノサウルスに似た造竜は、身体を左右にずらしながら太い尻尾でバランスを取って歩いていた。

 脚がダメなら、あの尻尾を両断できればバランスを保ちにくくなるはずだ。

 尻尾は見たところ鎧のような筋肉を持つ脚よりは柔らかそうだった。

 脚は魔術で強化していても、もしかして尻尾は無防備かもしれない。


 しかし、どうやって。

 右足をかばいながら、なんとか左足だけで跳躍しながら進む私に攻撃は難しい。

 先に王宮の塔に入った兵士の仕業か、目の前で石の扉が閉じられた。

 振り返ると、獲物が逃げ場を失って止ったのを見た造竜がゆっくりとこちらに向かってきた。


 大きく開かれる鋭い牙が並ぶぬらぬらとした真っ赤な口。

 思わず目をつぶる。

 

 カラン、カラン、カラン。


 甲高い音。そして次の瞬間、大きな地響きが続いた。

 慌てて目を開けると、そこには横倒しになった造竜が。

 そして、覚えのある良い香り――。


「え?」


 目の前の大理石の床には金だらいが転がっている。そして、濃縮タイプの洗剤の入れ物も。恐竜の足元の大理石は泡だった洗剤で濡れていた。

 窓の外から女達の歓声が上がる。



「クローダ、早くしな。こっちだよ」


 廊下に取り付けられた窓を開けてリゴン達がのぞき込む。


「すぐ行きます」


 私は獣脚丸を振り上げ、横倒しになった造竜の尻尾を一刀のもとに切り落とした。尻尾から勢いよく血が噴き出す。造竜は怒り狂って口から炎を上げるが、顔の方向を自由にできず、手をバタバタさせながらいたずらに反対側の壁を燃やすのみであった。



「ありがとうね、本当にありがとう」


 窓から引っ張られて私が出て行くと、リゴンが泣きながら抱きついてくる。


「リゴン、今、それどころじゃないからさ。彼女困ってるよ」


 彼女は仲間に引き剥がされた後もずっとお礼を言ってくれた。


「あんた、足をやられたのかい」

「はい、でもそろそろ大丈夫そうです」


 足の痛みはかなり引いていた。骨芽細胞が必死になって修復してくれたようだ。

 がっちりした身体のリーダーが肩を借してくれた。


「獣人って初めて見たけど、かっこいいねえ」


 小走りで逃げながら、しきりに女達が褒めてくれる。


「あんたが男だったら、すぐ嫁入りしたいぐらいだよ」


 ……喜んでいいんでしょうか、そこ。





 どん。いきなり低い響きが背後から波動となって押し寄せる。

 振り返ってみると、王宮塔と廊下の境目で炎が噴出していた。


「まさか、造竜が動いている?」


 窓から、よろよろしながら王宮塔に向かう造竜が見えた。ティラノサウルスより長い手で這っているのか。仕切っている扉は、頭突きでぶち破ったようだ。


「みんな、早く逃げて」


 私は立ち止まって王宮のある塔を見上げる。


「え、あんたは?」


 皆怪訝そうな顔でこちらを見る。


『ここは王宮塔の一番上の牢獄だ』


 王子の言葉が私の頭の中で反響する。


「助けないと、私の大切な人があの塔の一番上に居るの」


 塔の一階の窓からは煙が立ち上っている。廊下から延焼したようだ。

 そして、いきなり小さな爆発が起って、皆慌てて地面に伏せる。


「みんな早く逃げて。もし造竜自体が大爆発したら塔が崩れるかもしれない。さよなら、みんなありがとう」


 言い捨てると、私は王宮塔に走り出した。足の痛みは引いている。

 私とは反対に、王宮塔から沢山の人々が駆けだしてきた。

 獣人の私にびっくりした顔の様な人もいるが、皆逃げるのに必死で、軍服を着た者ですら私のことなど関心を持たずに逃げていく。


「ねえ、一番上の牢獄は? エスランディアの王子は?」


 すれ違う人に聞いてみるが、みな振り切るように去って行く。


「知らねえよ、牢番も逃げ遅れてるんじゃないか」


 たまにふりむきざまに答えてくれる者がいてもこの程度だ。


「傭兵か、お前も逃げろ。すぐ爆発するぞ」


 ふと見上げると三階のところで窓から多数の人が手を振っている。


「助けて――、煙が階段から上がってくる」


 階段に火が回っているのか。

 人波に逆流して私は王宮の一階に飛び込んだ。あらかた人は逃げているのか、一階の広間はガランとしている。

 広間が炎で燃え上がっていて、階段の下に倒れて息絶えている造竜がいた。造竜の周囲からどんどん火が広がっている

 可哀想に、この獣ははじめから苛立ちがひどかった。作るときの失敗で、頭をやられていたのだろうか。訳もわからず人を襲い、失血で歩行ができなくなっても闇雲に炎を噴いて、自分も巻き込まれて死んでしまったのだろう。


 窓が開け放してあるため、空気が入ってきている。ある程度息はできるが、このままここに居ては酸欠や一酸化炭素中毒で死んでしまうだろう。


 爆発するぞ。


 すれ違った男の声が蘇った。

 あの便の臭さ、あの体格。腸の中には相当なメタンがあるだろう。

 引火したら、大爆発になる。私の全身から冷や汗が垂れる。


 王子の居るところは、一番上の迷路の中。誰もそんな場所に居る捕虜を助けにいくはずがない。王子は置き去りにされているだろう。

 この炎をこのままにして助けに駆け上がったとしても、すぐには王子を救えない。その間に爆発で塔が倒れてしまうかもしれない。

 それに、この高い塔が倒れたら市街地にも甚大な被害が出るだろう。

 人も沢山残っている。

 なんとしても消火しなくては。


 だが、導師どもは居ないのか、術でなんとかできないのか。

 しかし、ここに来るまで彼らはすでに逃げ去ったのかどこにも見当たらなかった。


『ハサニゲル以外はたいしたことありません』飾西君の言葉を思い出す。


 もしかして導師達は消火中に造竜が爆発することを恐れたのか。

 ええい、頼りにならない奴らだ。

 まわりを見回すが、水があるような場所がない。入るときに見た庭園にも、水はなかった。数個おけが転がっているが、火の勢いが強くてこれぐらいの量ではどうにもならなくて逃げたのだろう。

 ここは、イスパニエル。理科室みたいにスプリンクラーなどあるはずがない。

 一体どうすれば……。



 一人で居た時間は無駄ではないよ。


 ふと、小塚君の声。


 君の過ごしてきた時間に、意味の無い時間は無いんだ。


 私の頭に閃光が走った。

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