第37話 潜入
新規採用の女性は私以外に数人いた。毎回こんなに採用があるのだろうか。
私以外の彼女たちは、おたがい適当に会話しているが、私はうまくその中に入れない。
自分の周りの空気が、まるでチクチクと刺すように感じ始める。しばらく忘れていた暗い感情が波のように押し寄せてきた。
あの人は私のことをどう思っているんだろう。あの人は、あの人は、あの人は。
不細工、どんくさい、暗い、うざい……。
一人一人の目が怖くなって思わず私はうつむいた。
「おい、お前。さっさと歩くんだよ」
使用人頭の男に叱られてますます私は萎縮する。
私たちが連れてこられたのは、二階までぶち抜きの天井が高い場所であった。そこでは、頬から下に三角巾の様なマスクをまいた女性達が黙々と掃除をしていた。
おおい、交代が来たぞ。という叫びに、何やら黒い泥状のものをシャベルで袋に詰めていた女達がほっとしたように振り向く。
隣とは陶板のようなものでできている表面がすべすべの壁で仕切りがされている。床と接するように作られた四角い窓のような所では、黒い塊が大量に積み重なり、その上どんどん流れ出していた。
皆がなぜマスクを付けているわけがわかった。その塊は鼻が曲がりそうに臭いのだ。
形容しがたい、なにか腐ったような匂い……。
「荷物はあの棚に置いておけ。これを取り終わったら、ここを綺麗に清掃するんだ。中に居るやつはきれい好きで、匂いが残ると暴れ出すからな」
仕切り壁の向こうから、地響きのような咆哮が聞こえた。
「こ、この声は――」
「お前さん、ここでは疑問を口にしてはいけないんだよ」
隣でシャベルを動かしていた女性がぼそりと言う。
「部屋の隅に布があるからそれで顔を覆って、さっさと手伝っておくれ」
部屋に近づいたころから、足の裏に大きな振動を感じていた。
なにか、二足歩行の恐竜の様なものがいる。それも、巨大な。
「袋に詰めたら、糞捨て場に持って行くんだよ。燃料にして使うんだ」
巨大な生物らしきものの排泄物の処理でその日は暮れていった。排泄は朝1回だけのようだが、とんでもない量だ。これでは逃げ出す者も多いだろう、常に募集をかけている理由がなんとなくわかった。
王宮の塔の上にあるベルがなり、女達は手を止める。
「終業だよ」ひときわ身体の大きな女性が皆に声をかけた。疲れ切っているのか、みなのろのろとドアに向かっていく。
どうしていいかわからずに荷物を持って付いていくと、ドアを開けたところに、大きいが薄汚れた風呂場があった。風呂場と言っても、大きなぬるま湯の溜められた浴槽と、洗い場があるだけ。女達は身体と髪を水で流して、積み重ねられた共用らしき布で身体を拭いて上がっていく。彼女たちの脱いだ服は大ぶりの桶に無雑作に放り込まれていた。
桶の前に新入り数人が集められて、リーダーが洗濯の説明をする。
「服はみんなまとめて残り湯で洗うのさ。洗濯は持ち回り。この中にクローダはいる?」
「あ、はい」急に呼ばれてびっくりしながら返事をする。
「今日は新入りのお前が洗っとくれ。洗濯が上手いって聞いたから期待しているよ」
いきなり言い渡され、私は桶一杯の洗濯物と一緒に取り残される。立ち去りかけたリーダーに私は慌てて声をかけた。
「あ、洗ったものは――」
「階段を上がったところの、干し場にかけとくれ」
風呂場には階段が付けられ、中二階の外にはベランダがあった。そこには軒の下に長い物干し場が作られており、取り残された服が所々、ペラペラと風になぶられている。
『いなくなった者の服が残っているかもしれないから、要れば勝手に使って』
リーダーが言っていた。しかし、どの服も私には小さすぎてちょっとため息をつく。
大きな桶に残り湯を入れて、汚れのついた服をざっと下洗いする。今までは洗濯機に入れてスイッチを押すだけだったから、正直洗濯の方法などよくわからない。くさい匂いと戦いながら、次は持ってきた液体石けんで洗い始めた。干し場に皆の服を干し終わって少し残していた湯で、簡単に身体を洗う。服を着ようとして、はたと気がついた。
着る服がない。
セーラー服は目立つから、街で買った大きめの服を着てここに来た。しかし、洗ってしまった今、着る服がない。仕方なくリュックの底からセーラー服を取り出して身につける。
皆が出て行ったドアを開けると建物の外に出た。どこに行っていいかわからずにうろうろと歩き回る。
ふと、急に虚無感が押し寄せてきた。
私、こんなことをしている場合じゃないのに。
一刻もはやく小塚君を助けなきゃいけないのに。
切なくなって、獣脚丸を取り出す。
しかし、胸に当てても脳には何も映像が浮かんでこなかった。
『逆探知されそうな場所では獣脚丸が働かないことがあります』飾西君の言葉を思い出す。
王宮だし、実験棟と言っていたから、ここは重要な施設なのだろうか。
その時、私は数人の連れを従えてゆっくりと階段を上がっていくフードを被った男に目を留めた。手に持っているのは飴色のひときわ年季の入った杖。
慌てて私は木の陰に隠れる。
紛れもない、あれはハサニゲル。
あいつはここで何の実験をしているのか。私は息を潜めて彼らの会話に集中する。
小さい声だが、鍛え上げた私の聴力はその言葉を拾い上げた。
「磨音杖があちこちで壊されている。はやく賊を見つけないと、毎回わしが行って
磨音を織り直さねばならない。なんとかしてくれ」
彼は傍らの軍服の男に大きな声で文句を言っている。男は恐縮してうなずくばかり。
「毎日飛び回っていては、
造竜? 私は口に出してつぶやく。何それ。
「機嫌を取るために、女官から生け贄を出しましょうか。以前、事故で女官を食べてから、奴は味を占めてしまって」
生け贄。私の足が震える。
まさか、ここの女官を頻繁に募集している本当の理由、って……。
彼らが行ってしまった後も、私はしばらく呆然と立ちすくんでいた。
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