第8話 絶体絶命(2)

 怖くて、悲鳴すら出ない。ようやく絞り出した声はかすれたガラガラ声。


「な、何するんですかっ」


 男子は見たことも無い顔、多分上級生だ。外動ういどうにはファンが多い。彼女に躍らされている信奉者達なのだろう。


「あんた、良くもチクってくれたわね」


 どこからか現われた外動が、般若の顔を私に近づける。


「し、知らない……」


 だらしなく震える私を、外動は鼻で笑った。

 次の瞬間、細い指で頬が破れるかと思うくらい掴まれて口の隙間からハンカチを無理矢理突っ込まれる。


「ごめんね、校庭で拾ったハンカチで。ふふふ」


 助けすら呼べなくなった私は逃げようとするが左右から固定されて短い足をバタバタさせるだけ。


「不格好ね。まるで丸焼きにされて悶えるオオトカゲみたい」


 甲高い笑いが木々に吸い込まれる。憩い園の奥には太い木が茂って、一部が周りから完全に隠れるようになっていた。一学年で数名はここで告白しており、悲喜こもごもの思い出とともに同窓会では必ず話題にあがる場所である。

 近隣からはそこそこの偏差値のお上品な学校と思われているこの公立高校の教師陣は、まさかここがリンチに使われるなど思いもよるまい。


「周りには誰も居ないわね」

「ああ、告白タイムだって言ってさっき追い出してやった」

「じゃあ、コイツを脱がして」


 冷石ひやいしが携帯を構える。


「ねえ、サウルス。恥ずかしい写真が出回りたくなかったら、朝のことは黙っておく事ね」


 彼女たちは見栄えの良い大学を目指している。いじめで内申に傷を付けたくないのだろう。

 顔も綺麗で、なんでもそこそここなせる。家柄も良くて、敗北という経験がない女の子達。普通は純粋でまっすぐなお嬢さんになるはずだが、彼女たちには何か心に暗いよどみがあるのだろう。他者を踏みつけにしないと心の平穏を得られない凶悪さが彼女たちにはあった。小塚君が自分達のグループの中から相手を選ばず、よりにもよってこんな私を追いかけるなど、プライドが許さないのだろう。


「犯罪よ、これは犯罪よっ」


 叫ぶが、ハンカチを噛まされた口からはもごもごとした音しか出ない。ごつごつとした男の手が、セーラー服の裾を掴んで荒っぽく引き上げる。


「へっ、恐竜の癖してご丁寧にセーラー服の下にシャツを着てるぜ」


 後頭部が熱くなるくらい怒りがこみ上げる。変身してやる、蹴散らしてやる、こんな奴ら。

 しかし、こんなに怒っているのに身体は何も変化しない。左の胸ポケットに目をやると、そこには頼みの獣脚丸が無かった。暴れながら引きずられた時、どこかに落ちたのか。背中に冷や汗が走る。


 だれか、助けて!


 身悶えする姿が面白いのか、冷酷な笑い声が上がる。


「さっさと脱がして」

「ちぇっ、こんな奴の裸なんて目が潰れるぜ」


 その時。

 一斉に彼らの携帯が鳴り出した。

 私に向けた携帯を下ろして、冷石が操作する。その顔から血の気が引いた。


『あんた、良くもチクってくれたわね。し、知らない……。不格好ね。まるで悶えるオオトカゲみたい。周りには誰も居ないわね。……じゃあ、コイツを脱がして。ねえ、サウルス。恥ずかしい写真が出回りたくなかったら、朝のことは黙っておく事ね……』


 再生された声を聞いて、外動の一味が硬直する。携帯から流れてきたのは今し方の音声だった。


「な、なによ、これ……」外動の目がつり上がる。

「送り主無記名のメールに添え付けられていたの。画像もある、って書いてあるわ」


 冷石の声が震えている。上級生が慌てて私から手を離す。


「す、すまなかったよ、サウルス。お、俺たち、外動に脅されてやっただけだからな」

「コイツに頼まれて万引きしたら、脅してきやがった。とんでもない鬼女だぜ。ちょっとした悪戯だよ、悪かったな」


 彼らは大声で叫ぶと踵を返して走り去っていく。


「待ちなさいよっ」


 目を血走らせた外動は、歯を食いしばり口を歪めて私を睨む。


「卑怯者。この恐竜女」


 彼女は思いきり私をひっぱたくと、逃げるように走り去る。


「わ、私、外動さんに言われただけだから」そう言い捨てて、慌てて冷石も後を追った。


 私はへなへなと短い草のうえに座り込んだ。

 朝礼前の時間に担任が来たのも教師間の通信ネットワークに情報が飛んだからみたいだった。

 だけど、パスワードも知らない部外者がネットワークに侵入しようとすれば、セキュリティを解除せねばならず、相当な専門技術が要るはずだ。

 今回も彼らの声を録音し、なぜわかったのか彼ら自身の端末に流してくれた。助けてくれたのは多分同じ人だろう。

 誰か、クラスメートの中に情報処理に詳しい味方がいる。

 一人取り残された憩い園の樹木の下。私は口からハンカチをとって視線を上にあげる。もし録音していたとすれば、集音マイクを持って茂った木の上に隠れていたのだろうが、そこには誰の気配も無かった。



 でも、私を助けてくれた人は切り札を切らなかったらしい。放課後担任から呼ばれたときも、先ほどの動画は送りつけられてはいなかったようで、その件についての話は無かった。

 私は朝の事について型どおりの質問をされ、「まあ、あいつらは調子に乗ってからかっていただけだから、今回は許してやれ」という一言で片付けられた。外動さんと冷石さんの家族は政治家だったり地方では有名な会社の経営をしていたり……いろいろ事情があるらしい。


 職員室の横の面談室から出てきた私は、部活から帰る一団とすれ違う。ぼおっと歩いていたからだろうか、どん、と大柄な誰かにぶつかり身体が跳ね飛ばされた。

 床に尻餅をつく、と思ったその寸前、ふっと身体が止る。

 じろり。

 汚いものでも触ったかのように右腕を払うと不機嫌そうにこちらを睨んで上級生は去って行った。こういった反応には慣れている。残酷な美醜の差を思い知らされる一瞬だ。


「大丈夫?」


 静かな声に、振り向くと細い影が視界に入った。肩に添えられた手がそっと離される。彼が受け止めてくれたらしい。

 影と思うくらい地味な容姿。目にかかりそうな前髪と、取り立てて形容するところの無い平均的な顔。無理に特徴を探せば、じっと目をこらすとわかるほっぺたのそばかすぐらいか。


飾西しきさい君」


 同級生の彼はいつも居るのか居ないのかよくわからない、透明とも言えるくらい存在感のない人だ。ある意味とってもうらやましい。


「ありがとう」


 ぺこりと頭を下げる。今日は辛いことが多くて、親切が身にしみた。

「いいえ」かすかな笑みを浮かべて、彼は会釈をすると去って行った。


「え?」


 私は左胸にかすかな違和感を覚えて、視線を落とす。

 そこには、細い草の切れ端が付いた獣脚丸が入っていた。


「もしかすると……、憩い園で助けてくれたのは飾西君?」


 すでに彼の姿は無く、目の前には延々と廊下が延びているだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る