第13話 理科室の戦闘(2)

 ゆ、許せない。

 頭の中が煮えくりかえる。


 何か叫ぶ飾西君の頭を戦士の一人が先の尖った金属の靴で踏みつけた。深い傷の入った額から血が流れ出す。だが、もう抵抗する力も無いのか飾西君は弱々しく顔をしかめるのみ。もしかして、休んでいたのはこいつらに捕まっていたから?


 小塚君はそれを見て血相を変えて飛び出そうとする。羽光君が後ろから羽交い締めにして引き留める。

 理科室には大きな実験用の机がいくつも固定してあるし、彼がケツァルコアトルスになっても羽を広げて戦うには狭すぎる。それに、二人がいくら運動神経が良くても、武器を持った敵に素手でどこまで対応できるか……。人質も取られているし、勝敗は目に見るまでもなく明らかだ。


 これ以上考えている余裕はない。

 助けないと、私が行かないと。

 靴を履く時間が惜しい。私はスリッパを脱ぎ捨て、裸足でドアから飛び出す。

 足に強い張りを感じる。あの時と同じだ。

 階段を蹴ると、一気に一階分跳躍した。四階、三階……、瞬く間に出口に着く。

 足はすでに獣脚と化しているのだろう。道を蹴る感覚が違う。一蹴り一蹴り、スピードがぐんぐん上がりついには道の両脇の建物が、横線となって流れていく。私が通り過ぎても誰もこちらを見ようとはしない。多分、風よりも、鳥よりも早く走っているに違いない。誰にもその姿が見えないぐらい。


 信号は赤。

 目の前の大通りを左右から車が行き来する。

 待っている暇は無い。これくらいの距離なら充分行ける、と私の内から声がする。


 思い切り腕を振る、太ももの大腿四頭筋が収縮してぐぐっと盛り上がる。張り詰める太もも、膝関節が勢いよく上がって――足が地面を蹴った。

 舗装された地面がめりこんだ、感触。

 次の瞬間、私は宙を飛んでいた。まるで空気に頭突きを喰らわすような勢いで私は空を切る。横断歩道を遠く越え、人の居ない道にぴたりと着地を決める。と、同時に下腿三頭筋が反発して、再び地面を蹴る。


「おかあさああん、人が、人が出てきて消えたっ」


 後方から小さな子の泣き声。驚かせてごめんね、本当にごめん。

 でも、私はいま全力で走らないといけないの。みんなを助けるために。


 行程はまるで一瞬。私はあり得ない速さで校舎にたどり着くと、砂埃を上げて停止する。

 肩で息をするのは苦しいからじゃない。怒りが全身を覆ってもうどうしようも無いくらい憤っているから。

 頭の中に理科室の情景が浮かぶ。

 王子と羽光君の前に進み出た甲冑の男達。無防備な二人をあざ笑うかのようにゆっくりと剣が振り上げられる。

 羽光君がすばやく王子をかばうように前面に出る。押しのけようとする王子だが、羽光君は譲らない。


 一刻の猶予も無い。階段では間に合わない。

 私は四階の理科室の真下に走り込むと、窓に向かって跳躍した。顔の前で腕を交叉すると、ガラスに向かって頭から飛び込む。


 ガシャン。


 飛び散るガラスの破片と共に、一回転して着地する。

 白刃が――考える前に右足が回旋し、兵の顔を覆った兜と胸甲の間を蹴り上げる。振り下ろされた白刃は、羽光君の鼻先で空を切った。兜が変形して喉にめり込む、そのまま兵は教室の隅に飛び去った。


 間に合った。

 どよめきと共に、甲冑の兵達が後ずさりする。

 思いも寄らなかった闖入者ちんにゅうしゃだったのか、こちらを見る導師の目が大きく見開かれていた。


「この結界を破るとは――獣人かっ」

 フードを被った導師がしわがれた声を上げる。「結界の強度を上げねばならぬな」


 ヴヴヴヴヴヴヴヴ。


 蚊の羽根音にも似たかすかな音があたりに広がっていく。


「黒石さんっ」背後から小塚君の声がする。「頼む、危ないから君は下がってくれ」


 振り向かず、敵をにらみつけたまま私は首をゆっくりと横に振る。

 そうはいきません、王子。私は戦うために来たのですから。


 ふおおおおおおおおおっ。


 無意識のうちに両横に広げた腕を肘から折り曲げて、私は本能の命ずるままに腹の底から雄叫びを上げた。

 その瞬間。


 べりべりべりべりべりっ。ぶおっ。


 白いセーラー服が、いや、私の身体を覆っていたすべての布が細片となって吹っ飛んだ。辺りをひらひらと舞う紙吹雪のような白い布ぎれが視界を埋め尽くす。


 え。

 この、布きれ、私の服……。

 きゃああああっっ。


 王子の前で……私、全裸?! おそるおそる視線を下に向ける。


 いや、そこに人間の裸体はなく、かぎ爪を持ち極彩色の羽毛に彩られた人間に近い体型の二足歩行の恐竜の姿があった。全身に筋肉が盛り上がり、両腕の肘側には極楽鳥のような派手な光沢のある羽が付いている。しかし、右手だけはかぎ爪が無く、人間の手に近い。

 そこには、獲物に飢えてギラギラと光る銀色の刀――獣脚丸が握られていた。


「この姿ならば、憂いは無いっ」


 私は右肩に背負うように獣脚丸を振り上げ、ふわりと飛び上がる。全身変化すると、骨が中空だけあって飛ぶのも軽い。

 この足に触れようものならかぎ爪で八つ裂きにしてやる。

 慌てて後退した敵と飾西君との間に隙間ができた。


「飾西君を早くっ」


 降下しながら振り下ろした一撃は導師を袈裟懸けにし、後方によろめいた身体をそのままかぎ爪の足が蹴り飛ばす。着地後、間髪を入れず返す刀で左から右、甲冑を着た男達に向かって横一直線に切りつける。三体が甲冑ごと二分割になり、床に金属音を立てながら転がる。

 甲冑の中身は空であった。こいつらは人では無いのか。

 残念ながら導師への一撃は軽かったらしい、奴は血が噴き出した顔を押さえながら壁に寄りかかっている。甲冑の男達が素早く導師の周りを固めた。


 このヘタレ女がっ! 私ははっきり人とわかる者を両断する勇気が無かった自分を叱咤する。

 再び飛び上がると、空中で一回転して私は彼らの後方をとった。

 飾西君は羽光君にひきずられて、王子の後ろに救出されている。


「姫、遠慮するな。甲冑の兵は導師が魔術で作った透明人だ」


 私は小さくうなずく。

 王子様、不細工で何の取り柄も無い私に愛を教えてくれたのはあなた。

 これまで掛けていただいた温情は、私の骨の髄まで沁みわたっております。

 ここからはお任せください。


 この、不肖ヘタレ女が全力で皆様をお助けします!!!

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