第48話 捨て身

 ケツァルコアトルスのくちばしが結界に包まれたハサニゲルをくわえる。ハサニゲルの姿はすでに無くまるでガラス玉のなかで火が燃えさかっているようだ。首には携帯を持った飾西君が飛び乗り、二人は瞬く間に小さくなって行った。


 私は跳躍を重ねて階段を降りる。ハサニゲルの術が消えたためか、すでに兵達は消え去って王宮塔の中はガランとしていた。

 1階のエントランス。

 造竜が燃えた場所はほぼ修復されているが、よく見るとうっすら黒い焦げ目が残っていた。床もまだ濡れている。

 戸が閉めきられて暗いエントランスにトーガと冷石が立っている。二人はじっと私の方を見つめていた。憤怒の形相で。

 彼らの足元、王子は広間の床の上にうつ伏せで投げ出されていた。

 担いでいた甲冑兵たちが消え去ったためだろう、トーガと冷石の周りに彼らを守ろうとする者は誰も居なかった。彼らの人望の無さが透けて見える。


「もう、あなた達に味方する者は居ないわ。観念して、王子を返して」


 私は二人に呼びかける。


「近寄るな」


 トーガが床に横たわった王子の首に剣を突きつけて叫ぶ。その斜め前に冷石が鞭を持って立ちはだかった。


「ねえ、エスランディアに何の恨みがあるの? 両国が平和に暮らせばそれでいいじゃない」

「そう思えるのは、何不自由なく生きて来た奴だからだ」


 トーガは王子の顔を足で小突く。

「特にこいつのように、生まれてすぐに銀糸の入った布で抱き上げられるような奴にはな」

「乱暴は止めて」


 私が前に出ようとすると、冷石が鞭を掲げてけん制する。

 獣脚丸はもう剣の姿を保つのが難しくなっているのだろう。細長い棒に変化している。ひびはさらに深く長く広がっていた。正直どこまで持つかわからない。


「私はイスパニエルの寒村の十人兄弟の五番目として生まれた。小さい頃から飲まず食わずの生活。これほど美しく、そして頭も良いのに寒村の貧しい家の生まれだからといって誰にも顧みられず成長した。常にみすぼらしい格好で周りの者から馬鹿にされながらな」


 トーガは眼下の王子をにらみつける。


「この世界は世襲が基本だ。12歳の時に歯を食いしばって働いて得た収穫が悪天候ですべて潰えた時に私は考えた、このままでは素晴らしい才能のある自分が、一生荒れた大地を開墾して埋もれて死ぬだけだとな」


 ふと見ると、トーガの手はゴツゴツと荒れていた。


「ある冬、夏の飢饉が響き食べ物が足りなくなった。どの家に頼んでも食料をくれることはない。くれたとしても兄弟で取り合いになった。私は兄たちから小さい兄弟を森に置き去りにする役目を言いつかった。俺はそれを実行し、次に食料が無くなると兄達を、そして父母をも手にかけた。そしてなけなしの金をかき集めて村を去った。俺は成り上がりたかった。権力が、強さが欲しかったのだ」

「あなたの生い立ちには同情するけど、今の行いを正当化するものは何も無いわ」


 もともと彼も弟たちを殺したくは無かったのだろう。だが、それを強要されたことで彼の中で倫理のたがが外れてしまったのか。


「しばらくは盗賊のまねごとをしていたよ。だが、その時にハサニゲルに出会い、俺は王の器だと告げられたんだ。初めてだったよ、認められたのは。それからは民衆を扇動しまくった。この国は汚職三昧で国王は好き勝手し、民衆は疲れ果てている、と。政権を覆すのは今だとな」


 そして私はやってのけた。と、トーガは得意げに顔を上げた。


「ハサニゲルは自分の貧相な見かけでは民衆が付いてこないとわかっていた。だから、私を担ぎあげ、自分は民衆から徴収した金をふんだんに使い、新たな戦力となる造竜の研究や、磨音杖の設置を行ったのさ」

「あなた達は、汚職と税に苦しむ民衆を救うため政権を奪取したのではないの?」

「私は権力が欲しかっただけだ。そしてハサニゲルは自分の魔術を完成させるための資金が欲しかった。たとえ国庫が空になってもな。そして、国庫の残金が少なくなった時に我々は戦を始めた。エスランディアを得ることで、小さいが豊かなあの国の財が手に入る。民衆の気も反らす事ができる。そして戦を始めてわかったのだが、戦の最中は権力者の支持が高まるのだ。我が名を連呼する民衆に心が震えたよ。自分たちの金が湯水のごとくに使われているとは知らないおろかで愛すべき民衆にね」

「あなたとハサニゲルは我欲を満足させるためだけに戦を始めたのね」

「ふん、そう言いたければそう言え。大きな誤算はエスランディア王の指揮が巧みで、獣人どもが勇敢だったことだ。あいつらさえいなければ、とっくの昔にエスランディアは消滅していたのにな。それにしてもこちらの民衆のほうが先に音を上げたのは計算外だったな」

「離れそうな民衆の心をつなぎ止めようと、ハサニゲルが洗脳を始めたのね」

「ああそうだ。王権の元で団結を賛美する我が言葉は、学のない民どもに砂に巻いた水のように浸透した。音を上げかけた民衆はまた馬鹿正直に戦い始めた。民衆というものがこれほど愚かだとは、権力の頂点に立たなければわからなかったよ」


 トーガは私に向かって手を伸ばす。


「獣脚の姫。お前の勇気は民衆の心を掴むのに役立つ。そして最強の獣人ディノ・フェニックスはハサニゲルなど居なくてもエスランディアを倒すことが可能だ。私と手を組んで、この世を統べよう。常にまっすぐ目的を見据えるお前の瞳は、この上なく魅力的だ」

「ば、馬鹿にしないで」


 私は怒りのあまり小刻みに震えている。

 マヌーレの侍女であった時代の記憶が蘇る。先の戦では沢山の大切な人々が亡くなった。本来なら死ななくて良い人々が次々と死んでいく、突然の別れと苦しみ。それはイスパニエルの人たちも同じだろう。だが、厭戦気分はあの洗脳で抑制されてしまった。

 かり出されて戦う人々は皆犠牲者なのだ、憎むべきは戦いの原因。すなわち、お前だ。


「王子を返せ」


 トーガに向かう私に、冷石が鞭を振り下ろす。間一髪、私は跳躍して難を逃れる。が、先ほどより素早い振りで、なかなか先端を掴む余裕はない。相手も同じ過ちは二度繰り返さないだろう。

 鞭の先端が床に当たり、激しい火花が散った。

 跳躍して降りてきた私のつま先が床に触れると、かすかに痺れが走る。

 床が濡れているから、通電するんだ。

 冷石もトーガもブーツや靴底に厚い木のようなものが付いている。彼らはこれで絶縁しているのだろう。


 突如、外から地響きのような音が聞こえてきた。固く閉まった石の扉が丸太のようなもので叩かれて揺れている。


「良くもだましたな。戦で失った命を返せ」

「民衆というものがこれほど愚かだ、と? 儂らを馬鹿にするな」

「いつも言っていたことは大嘘か」


 まるで塔の周囲を民衆が取り巻いているようだ。


「な、何だ……」


 トーガがうろたえる。


「さっきの会話が、磨音杖を伝ってイスパニエル各地に流れていたみたいね」


 多分飾西君の仕業だ。

 王宮内の音が磨音杖を介して各地に流れるようにしたに違いない。塔に上がってくるときに仕掛けをしたのだろう。


 どんっ、と激しく塔が揺れて、入り口から人々が飛び込む。


「ええい、愚民どもがっ」


 冷石が飛び上がって、鞭を振り下ろす。再び床に電撃が走った。

 足に電気のしびれを感じたのか人々が驚いて出口に後ずさりする。しかし、ビリビリした感覚が一瞬の変化だと気がつくとぞろぞろと戻ってきた。


「お前達、まだ懲りないのか。本気の雷光を喰らえっ」


 冷石は先端が見えなくなるほど光らせると、鞭を振り上げた。

 人々はわっ、とばかりにまた塔の外に退散する。

 王子が倒れている床も濡れていた。落雷の後、雷電が地上を伝わって広がることがある。その時伏して床に心臓が付いていると心臓に強い電気が流れて危ない。

 あれは止めないと。

 電流が流れる時間は長くない、一瞬の電撃を防げれば。

 私は冷石を誘うように、位置を変える。

 彼女の片足が水たまりの中に踏み込んだ。間に合うか。


 だが鞭の動きは速かった。先端がかぎ爪をすり抜け――――させるわけにはいかない。

 先端を床に落として、大きい電流をそのまま床に広げるわけにはいかない。

 私は先端を右肩で受け止める。

 逆立つ髪、鈍器で頭を殴られたような衝撃。意識が無くなる――――。

 ごめんね、小塚君。私、あなたを助けに来たのに。


 体がのけぞり、右手で握った獣脚丸が持ち上がった。しかし、満身創痍の棒にはいつものような手応えは無く沈黙している。手にもすでに力が無い。

 でも、それでいい。握ったまま、落ちれば。

 ぽん、と棒が冷石の肩に当たった。吸い付くように。

 肩と獣脚丸との接点がまばゆい白に変わって。

 私の中に通った電撃は、そのまま冷石へと流れこむ。

 彼女の靴底の木は深くたまった床の水を吸い上げていた。

 髪の毛を逆立てた冷石が、後頭部からのけぞる。

 助けを求めるように大きく開けられた口、しかしもうその口から叫びが出てくることは無かった。


 急速に私は、意識を失っていく。

 獣人で良かった。ここまで持ちこたえられた。

 でも、さすがに相打ち、か。

 暗闇に引きずり込まれながら、私は遠くで私を呼ぶ何か懐かしい叫びを聞いた気がした。

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