第49話 決着

 ふと気づくと、私は揺れていた。

 腹部に自重が押しつけられている、担がれているようだ。手が自由に動かない。

 左手が元の手に戻っている、変身が解けているようだ。

 真正面から風が吹き付ける。ようやく開きかけた目に、金髪が舞うのが見えた。

 そして、黒いマントと地面。

 私はトーガに担がれているのか。

 背中に頭が当たってガンガンする、暴れようにも体が動かない。


「姫を返せ」


 その声。私の目が大きく見開かれる。

 涙が、あふれて額の方に流れていく。

 姿は見えないけど、私の一番会いたかった人の声だ。


「小塚君、私のことはいいから――」

「良くはない、君は僕の魂の半分だ」


 血の臭いのするボロボロのセーラ服。その左胸のポケットにもう獣脚丸はなかった。

 おそらく、感電したときにかなりのダメージを受けて弾け飛んだのだろう。

 もう私にできることは何も無い。


「動くな。王子、あの翼竜を呼べ。安全な所に付いたら翼竜だけは解放してやる」

「だまれ、もうこの塔は民衆が包囲している。お前は逃げられない。裁判を受けて、戦争や財政の責任を取るのだ」

「私は優秀な人間だ。私をすげ替えて次の政権がまともな仕事をするとは限らないだろう。またエスランディアに攻め込むかもしれないぞ」

「それを決めるのは民衆だ。国はそこに住んでいるみんなのものだ。誰か一人のものではない。統治を任されたら、国のためを一番に思って尽すのが施政者の役目だ」

「ふん、愚民が正しい施政者を選ぶとは限らんぞ」

「その時はまた民衆が選び直すだろう」

「また、血が流れるぞ」

「そうだとしても、お前をこのまま国王の座に置くわけにはいかない」

「世迷い言を聞くのもここまでだ。そろそろ私はおさらばする。王子、剣を置け」


「置いちゃだめ、トーガを信じちゃだめ」


 私は少し動くようになってきた体をばたつかせて叫ぶ。


「王子、この娘の足を少しずつ切り落としていけば気も変わるかな」


 左足の膝の裏に、剣のひんやりした感触とかすかな痛みが。


「止めろ」


 剣が放り出される音がした。


「わかった、翼竜を呼ぶ」


 嫌だ。やっと会えたのに、またお別れするなんて。

 本当に、自分で何かできることはないの?

 小塚君が呼んだのか、ケツァルコアトルスの羽根音が近づいてきた。

 羽根。

 私にできることが――――ある!


「お前を生かしておくと姫が吹っ切れないだろう。王子、ここでお前の命をもらっていく」


 お願い! みんな!

 腹の底から噴出するように、恐竜声が響き渡る。

 空の一角が黒くなった。

 そして、まるで弓矢のように一直線になってこちらに向かってくる。


「ええいっ」


 剣を振り下ろすトーガ。

 しかしそれは王子の立ち位置とは見当違いの場所を叩いて跳ね返った。

 彼の頭の周りをびっしりと黒い塊が覆っている、それは鳥たちだった。


 戦いに巻き込んではいけないと思っていたけど、お願い今は力を貸して。


 トーガの視界が閉ざされたのを見て、王子が一旦は投げ出した剣を掴む。

 トーガは鳥を払いのけて、王子に切りかかった。

 王子は振り下ろされた剣を鋭い振りで跳ね上げると、ぶつかるようにして私を奪い取る。

 そして。

 私をそっと下ろすと、トーガの方を向き直った。


「助けてくれてありがとう、黒石さん。次で決めるから」


 トーガが切りかかる。

 言葉通り、王子の一撃はトーガを貫き、イスパニエルの王は左上腹部から血を沸き立たせながら塔の上に仰向けに倒れた。


「急所は外しています。悔しいですが姫、あなたの涙を奴に飲ませてやってください。数時間で意識が戻るでしょう。彼には裁判を受けてもらわなければなりません」


 私はうなずいて、うれし涙のあふれる目から数適、彼の口に指でそっと押し込んだ。

 いや。正確には、押し込もうとした。

 だけどトーガの唇に涙が溜まった瞬間、私の体は抱き上げられて――――。


「もう、待てない」


 視界は何も見えなくなるくらい、彼で一杯になって。

 お願い、息をさせて。


「ごめん、苦しかった?」


 震える唇が再び固定されて――。


「奴に君を奪われたら、と思うと」


 彼の完璧な頬のラインを銀の雫が伝う。それは、すっきりとした顎に到達すると、ポトリと私の頬に落ちた。


「お、おとぎ話だと、こういうきっかけで姫は絶世の美女になるんだけど」


 淡い期待をもってちらりと自分の身体に視線を送るが、何も変わらない。


「何を言ってるんだ。これ以上美しいものはないから」


 彼の顔が、私の首筋に埋まる。猫吸い、ならぬ『恐竜吸い』……。


「だめ。汚れる……小塚君が」


 背中は迷宮で造竜に噛みつかれて多分ばっくりと開いている。おそらくセーラー服は血のりで赤黒くなっているだろう。


「汚れたっていい。君が生きていてくれたことだけで充分だ」


 彼の右手が頬をそっと撫でる。


「どんな姿をしていても、僕にとって君は君なんだよ……」


 強く抱きしめられて、息が止る。

 無意識のうちに逃げた唇が、戻されて。

 お願いそんなに責めないで。

 また、歩けなくなってしまうから。




 空からケツァルコアトルスが近寄ってくる音がする。




「なあ、飾西。俺たちいつまでこうやって旋回していればいいんだ。もしかして明日までか?」

「まあ、野暮なことは言わないでおきましょう。久しぶりの再会なんですから」


 戦いで研ぎ澄まされた私の耳に、風に乗って二人のつぶやきが運ばれてきた。

 ごめんね、まだ終わりそうにないの。

 今度、なにかおごるから。もう少し待って……。

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