第6話 エプロン似合いすぎです!
今日は小塚君としゃべる口実がある。それだけで朝の五時から目が覚めて、茶色がかったボサボサの髪をなんとかなでつけて、顔を2回も洗ってしまった。
「姉ちゃん、なんだよこんな朝っぱらから。昨日食ってないから腹減ったのか?」
六時前に目をこすりながら弟が部屋から出てくる。できるだけそっと支度したつもりだったが、狭いアパートでは、音が良く響くのだ。
「あれ、髪が整ってる。やっぱ、姉ちゃん変だ」
仁志は自分でパンの袋を開けてオーブントースターに入れながら、疑り深そうにちらりちらりとこちらを見ている。
「た、卵は、スクランブルエッグでいい?」
看護師をしている母は深夜帯勤務なので、まだ病院にいる。父は寝坊だから、弟と二人で朝ご飯を食べる事は少なくない。
まるで飲み込むようにパンとスクランブルエッグを平らげると、弟は「ちょっと早いんだけどやることないしもう行くわ」と言ってドアから出て行った――が。
「大変だ。来てるよ、彼が」
慌てて台所に駆け戻ってきた。「姉ちゃん、あいつヤバい奴じゃないのか。だってまだ六時半だ――姉ちゃん、死ぬなっ」
いきなりの展開に喉に卵を詰まらせて悶絶している私の背中を仁志がさする。
「だ、だ、誰が来てるって?」
「昨日の彼だよ」
「い、居ないって言って」
「居ないわけないじゃん、この時間に」弟が眉をひそめる。
「先に行ってもらって――」
頭がかあっと熱くなる。もうどうしていいかわからない。私はテーブルに突っ伏す。二人で登校とか恐ろしい、鬼女軍団と化した女子生徒の怨念を一身に受ける勇気なんか私にはない。再び弟が戻ってくる足音がした。
「姉ちゃん、心配だったから早めに様子を見に来たんだって」
「ありがとうございますって伝えて、先に行って貰って」
テーブルに顔を伏せて、私は闇の世界に逃げ込む。
「でも、姉ちゃんせっかくお迎えに来てくれているんだし、一緒に」
「行けるわけ無いでしょ。私みたいな不細工な奴が、王子様みたいな美形の彼と登校したら、物笑いにされるだけよ」
「でも――」
「仁志、お願い。お断りしてきて。私が横に居たら彼に迷惑だから」
「そんな理由ならお断りされませんよ。姫君」
暗闇の世界に風穴をぶち開ける、これまた破壊力満点のその透き通った声。
がばっ、とテーブルから身体を起こしておそるおそる振り返る。
そこには、頭の先から、真っ白い靴下までぴしっと決めた王子様が立っていた。
「なんで家の中に上げちゃうのよ、仁志。部屋が散らかってるのに恥ずかしいじゃない」
「だって、話してみたら礼儀正しくてむちゃくちゃいい人じゃないか。姉ちゃん、こんなカッコいい人と付き合えるなんて今後ないぜ。断って縁が切れたら大変だと思ってさ」
「ご支援ありがとう、仁志君」
にこりと小塚君が微笑む。「黒田さん、弟さんも公認みたいだよ」
気を利かしてか弟がトイレに立ったすきに私は小塚君にたずねた。
「そ、それはそうと、昨日は帰り大丈夫だった? 今日も大丈夫なの?」
「ありがとう。心配しないで、今日は護衛がいるから」
「護衛?」
「もちろん、黒田さんのことじゃないよ」
小塚君には、やはりなんだかとっても深い秘密がありそう。本当にどこかの国の王子様みたいだ。なんだか、このままでは終わらない予感がする。
沈黙を破ったのは戻ってきた我が弟だった。
「ああ、姉ちゃんのせいで、なんだか食べたような気がしなくなってきた」
まだ時間に余裕があるのか、仁志が食パンをもう一枚取り出す。
「朝食、作りましょうか? 僕、オムレツが得意なんですよ」
「お願いします、お兄様」
食べ盛りの仁志が目をキラキラさせている。ちょっと、なに図に乗ってんの!
「仁志、お名前は小塚さんよ。あ、そんな、いいから座ってて、インスタントでよければ私がコーヒーを入れるから」
「エプロン借りるよ」
さっきまで私の使っていたエプロンを頭から被ると小塚君は水切りかごに入っていた小ぶりなボールに片手で卵を数個割り入れて、菜箸でかき混ぜ始めた。それにしても、白いエプロンがスリムな身体に似合いすぎ。
かき混ぜている姿も素敵。思わずぼーっと見とれてしまう。が、横から弟がにやにやしながら横目で私を見ているのに気がついて、緩んだ頬を無理矢理引き締める。
「いいからいいから、二人とも座っていて、すぐできるよ。オリーブオイル借りますね」
あっけにとられている私と仁志を尻目に、小塚君は手早く卵を焼きはじめる。フライパンを握る手の付け根を反対側の手でぽんと叩くと層になった卵がまるではしゃいでいるかのようにフライパンの上で回転する、程なく私たちの前に大きなオムレツがプルルンと震えながら出現した。
「う、うまいっ、口の中でほろりとほどける」
仁志が涙目になっている。「生まれて初めてこんなうまいオムレツを食べた」
「何の騒ぎだね」
欠伸しながら出てきた父親が、小塚君を見て硬直している。
「昨日姉ちゃんを送ってきてくれた彼氏が朝食を作ってくれているんだ」仁志がオムレツで口を膨らませながら言った。「このオムレツ、ここは貴族の館か、って感じだよ」
「初めまして、黒田さんと同じ学年の小塚巧です」
エプロンをしたまま、小塚君が頭を下げる。
「い、いつも娘がお世話に」
明らかにパニクっている父は、深々と頭を下げた。娘と比べて段違いにハイスペックなのが一目瞭然なのだろう、通常の父親に良くある娘の彼氏を前にした逆上はないらしい。
「父さんもいただきなよ、むちゃ美味しいから」
「ほう」
一切れ頬張った父親の顔が輝く。「こりゃ、プロの味だな。いや、プロのオムレツを食べたことは無いけどね」
結局もう一つオムレツが作られ、父は満足げにそれを平らげた。
そんなこんなで、早朝だったはずなのに、気がつくとけっこう押し迫った時間になっていた。
一足先に出た仁志以外の三人で家を出る。
その頃には小塚君と父はすっかり打ち解けていた。小塚君の餌付けが成功らしい。しばらく歩いて、父はご機嫌で駅方向に分かれていった。
で。
私たちは二人っきりになる。
他に人が居るときには二言三言話せていたのに、二人っきりになるとなんだか言葉が出てこない。今日は小塚君も私に話しかけてこない。なんとなく二人の間に沈黙のベールがおりている。
二人で登校する、っていうのは初めてだ。きっと周りが静観してくれる訳はないだろう。と、思っていたが案の定。学校に近づくにつれて、周りのざわめきが大きくなる。時折悲鳴が混じるが、それは明らかに私たちに対するものだった。
「小塚君、なんか注目されているみたい。ごめんなさい」
「僕こそ、朝っぱらから押しかけてごめんね。なんだか一刻も早く君に会いたかったんだ」
なんでそうぐいぐい押せるのか、私ごときに。
昨日の変身がなければ有頂天だったかもしれないが、自分に何か大変な秘密があることを知った今、手放しで喜ぶわけにもいかない。
「実は、私、小塚君に教えて欲しいことが沢山あるの」
「僕も君に話したいことがあったんだ。放課後君のクラスに迎えに行くよ」
クラス中が大変な騒ぎになるのが目に浮かぶ。私は大きく顔を振った。
「本当はあの公園が穴場でいいんだけど――」
「じゃあ、そうしよう。部活を早めに切り上げるから六時半でいい?」
「はい。でも同じ場所で昨日みたいに変な奴らが現われないかしら」
「大丈夫、今日は奴らが現われることのできる座標では無いし、護衛も揃いそうだし」
不思議そうに見上げる私を見て、小塚君が微笑む。
「そのうちすべてを思い出すよ、マヌ……いや、姫」
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