第7話 絶体絶命(1)

 だが、放課後までの時間も平穏では無かった。

 クラスに足を踏み入れた途端、半分は敵意、半分は好奇の視線にさらされる。


「ねえねえ、黒田さん。小塚君と朝一緒だったじゃ無い、どうしたのお」


 優等生で可愛いが性格は最悪の外動ういどうさんが寄ってきた。彼女の口火をきっかけにどどどっとばかり女子が押し寄せて私を取り囲んだ。


「ぐ、偶然出会って」


 無視するわけにも行かずうつむきながら小声で返答する。


「昨日って、お姫様抱っこされてたわよねえ」


 キャーーー。まるでアイドルのコンサートのような嬌声がクラス中に響き渡る。


「二人、付き合っているの?」


 否定も肯定もせずに、私はさらに顔を下げる。否定しない私の反応に、取り巻いた人々にざわめきが走った。


「なに? もしかして小塚君ってゲテモノ好きなの?」


 外動の取り巻きの一人、冷石ひやいしさんの声に、皆が噴き出す。


「恐竜好きかもよ。男子って小さい頃ハマるんでしょう、怪獣とか恐竜に」

「んじゃあ、黒田さんってビンゴだったのかしらあ」

「サウルスだもんねえ」

「そういえば良く鳥にたかられてるじゃん、恐竜だけにしんせきぃ?」


 私を取り巻く人垣から次々と心ない声が上がる。


「やめてやれよお、本当の事いうのはさあ」


 男子の声に、教室中が震えるほどの笑いが上がる。

 皆、これを『幸せ者をいじってやってる』ぐらいの感覚で言ってるのかもしれない。でも、辛辣な言葉は私を通り越して小塚君までおとしめているようで、心が哀しみと怒りでぐらぐら揺れる。


 ブルッ。


 左胸のポケットに差したままになっていた獣脚丸が震えだした。身体中にびりっと電気が走り、太ももに張りを感じる。

 まずい……、あの時と同じだ。変身する。

 私は慌てて怒りを収めようとするが、その努力を無にするように次々と情け容赦ない悪口が浴びせられる。


 もう、無理。全身が小刻みに震える。

 上履きを履いたつま先が痛い。

 ボシュッ、机の下に隠れた足先から黒いかぎ爪が――。


 その時。


「お前ら、黒田を取り囲んで、何してるんだ。黒田、何かあったのか?」


 大声と共に、大股で教室に入ってきたのは担任の木村先生だった。

 予鈴よりもずっと早い到着に、みんなあっけにとられている。


「今、2-Bで一人の女子を囲んでクラスメートが悪口を言っています、ってメールが教員共有ネットに回ってきたんだ。まさかと思ったが、本当にお前ら……」


 直情型の木村先生の顔が赤くなっている。


「黒田、嫌な思いをしたのはお前なのか?」

「い、いえ……」私は慌てて首を横に振る。正直に言おうものなら、後々どんな目に会うかわからないし、私としては悪口を表立って言われないのであれば、もうこのまま穏便に事が済んで欲しい。

「まあいい、放課後詳細を聞かせてくれ」


 いつの間にか、太ももとつま先の痛みが消えている。そっと見てみると両方の上履きのつま先には小さな穴が開いていた。危機一髪、下手すれば明日の全国ネットニュースのトップを飾っていたかも。


「お前らさっさと席に着け」


 小声で文句を言いながら、皆はガタガタと机や椅子を揺らしながら席に座る。

 人垣が崩れる一瞬、私は風のようにそっと人影が教室の中に滑り込んでくるのに気がついた。

 誰かはわからなかったけど、もしかして、クラスの中に私を助けてくれた人が居る?

 辛い朝の時間だったがなんだか一条の光明が見えたようで、私の心は少し温かくなった。




 だが、騒ぎはそれで終わらなかった。

 授業中、私の元へ小さく折られて結ばれた手紙が回ってきたのである。

――サウルス、昼休み憩い園いこいえんに来て。

 中身を見て固まる私を、前に座っている者達がちらっと後ろを向いて忍び笑いする。その中にはあの悪の女王、外動さんも居た。

――もし来なければ、小塚君に迷惑がかかることになるわよ。

 私がどうなっても迷惑なんかかからない、とは思うけど……。もし、なんかうるさいことになって小塚君に迷惑を掛けるのだけは絶対に避けたい。とりあえず行って、心当たりの無いことも全部謝ってなんとか取り繕おう。

 彼に近づくなって言われてお付き合いが後退してもいい。物陰から彼のことをそっと見ることができて、儀礼的な挨拶を交すだけで充分。嫌われてないならそれでいい。

 私には自信が無い。今ですら小塚君が本当に私のことを好きなんて、正直思えない。

 だって、私は自分さえ好きになれないどうしようもないへたれ女だから。



 昼休み、おずおずと私は憩い園に顔を出した。憩い園とは、校庭の一隅に設けられた中規模の植物園で、セメントでできた丸テーブルと藤棚があり、昼食はそこで食べても良いことになっている。昼食を終えた仲良しグループがちらほら弁当を持って教室に戻り始めていた。私は教室の中でうす暗く一人で食べているほうが落ち着くので、このようなさんさんと日が照った場所には、たとえ昼休みであっても出て行かない。

 青春だわ、あの人たち。何かまぶしいものを見ている気がして、私は青い襟をはためかせて笑いながら校舎に向かう白いセーラー服の後ろ姿から目をそらす。


「サーウールースー」


 憩い園に着くと、奥から地を這うような意地の悪い声で呼ばれた。これは冷石さんだ。うんざりしながら声の方に顔を向けると、いきなり両側から出てきた身体の大きな男子が肩を掴んだ。暴れても、がっちりと押さえつけられて、私はそのままずるずると物陰に引きずりこまれた。

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