第10話 夜のデート
深夜、2時。
かすかに鳴った目覚ましを布団の中に引っ張り込むようにして、止める。
寝てしまうかと思ったけど、やはり全然寝られなかった。
私は布団を蹴っ飛ばすようにして起きる。
なんたって、初デート。公園でお別れするときに、『今日の星空を君と見たいんだ』って。
きゃああああああ。
すでに準備万端。ズボンと、ゆったりしたトレーナー。トレーナーは胸元に可愛い花の刺繍と小さいガラスのビジューがちりばめられた勝負服。大きいサイズってあんまり可愛いのが無いから、これを見たときに間髪入れずお小遣いをはたいて買ってしまった。ずっと大切にとっておいたが、初登場が今日という日で、きっとこのトレーナーも喜んでる。寒いって言われたから、スカーフも用意してきた。
それにしても、ベランダに合図するって……、ここ五階だよ。
自分が変身してから、もう、なんでもありな気がしてそれ以上聞かなかったけど。
コン、コン。
来た。私は静かに忍び足でそっとベランダのカーテンを引く。
そのとたん、二つのまばゆい黄色の光がガラス越しに飛び込んできた。
こ、これって。
よく見ると、ベランダに厚手のコートを着た小塚君が立っている。
そしてその向こう、すなわち空中には――。
「さあ、ケツァルコアトルスで星空散歩に行こう」
目の前に羽根を広げたら10メートルは優にありそうな巨大な翼竜が、夜陰に紛れて宙に浮いていた。3メートルはあろうかという長い首、そして同じくらい長いくちばし。頭には赤い鶏冠が付いている。
小塚君が手を振ると、翼を上下しながらベランダすれすれに寄って来て、長い首をベランダの手すりに乗せた。
ベランダに出ると、ひょい、っと彼が私の足と背中をすくい上げる。こ、これは俗に言うお姫様抱っこっ! 前回は意識が無くて覚えていないので、私としてはこれがお姫様抱っこ初体験だ。体重を感じさせないように全身に力を入れる。
「大丈夫? 翼竜の首の上に下ろすよ」
彼はそっと私を首の上に載せると、翼竜に付けられた金鎖の手綱をもってふわりと私の後ろに腰掛けた。後ろから彼の左手がそっと胸の下に回って私の身体を固定する。
「怖い?」
ううん。小塚君となら、怖くない。
って、有頂天で恐怖感麻痺してる、多分。
「僕たちはいつも翼竜に乗せて貰って飛行しているから慣れているんだけど。気分が悪くなったら言ってね。今から高度を上げるよ」
翼竜の首には輝く細い鎖でできた手綱が2本付けられている。それは細い鎖を三本、繊細な編み方で束ねられたものだった。
「黒田さんはこれを持って」
彼は短いほうの鎖を私に持たせ、そしてもう1本の金鎖の手綱を優しくゆらして合図を送った。翼竜は羽ばたきながら上昇し始めた。
翼竜は飛ぶのが下手って本に書いてあった気がしたけど、けっこう上手。気流をうまく利用して滑るように滑空している。
しかし、スピードを上げれば上げるほど、前にいる私のほうには激しく風が吹き付けてきた。
「寒くない?」
正直こんなこととは思わなかった。コートを持ってこなかったのを私は心底後悔し始めている。上空の風は情け容赦ない、身体の芯まで急速冷凍されそうだ。
「失礼」
彼は厚手のコートを開けて私の身体をすっぽり包み込むようにその中に入れる。思ったより熱い彼の体温が伝わってきて、私の頬はいきなり上気する。
街を離れて、山の方に向かう。どんどん空は澄み渡り、星の数が増えてきた。
「見て、新月で星を見るにはうってつけだ。今日は特に満天が澄み渡っているよ」
上を見上げた彼に誘われるように、私も上を向く。漆黒の中、距離感が消え失せ二人でまぶしいほど光り輝く星の世界に溶けて行くような気分。
今日あった嫌なことがすべて闇の中に消えていく。
そのうち夜空の一部が星の光で帯状に白くけぶっているのに気がついた。
「天の川って、本当に見えるんだ」
感動でため息をつく。
「こんなに沢山の星、見たことな――」
私は言葉を止める。
いや、見たことがある。もっと星の数が多くてまぶしいほどの夜空。
「緊張しなくてもいいよ、絶対に落とさないから。もっと僕に身体を預けて。昔みたいに」
そっと背中の力を抜いて寄りかかる。小塚君の左手がコート越しにぐっと私を抱きしめた。
「そ、そこは――小塚君が来た場所は、どんなところなの?」
沈黙の中、銅鑼を鳴らすような胸の鼓動が伝わりそうで慌てて私は口を開く。
「豊かな自然に満ちあふれている場所だよ。そうだね、この世界より文明はゆっくり進んでいるかな。一部には、魔法に近い科学もあるけどほとんどの住人はそれに頼らずに自然に従って生きているんだ。だって、動力は力の強い獣人たちがいるし、空を飛びたければ翼人たちがいるから。そうそう医学も余りすすんでいないんだ。それはね獣人の免疫が優秀な上、再生力がとても強くてあまり必要無いから。最近は僕たちも多かれ少なかれほぼ全員が獣人との混血で、寿命は長いし怪我にも強い。ガンもないし、感染症もほとんどないんだ」
「そう言えば私も……」
「君のリゾチームは極上品だ。口に含んだとき、僕は身体の芯までとろけるような気がした。獣人の免疫力は強力で、涙のひとしずくで僕たち人族は元気になることができる。きっと君も、小さい頃から傷はなめていれば治ったんじゃないの」
確かにそう。小さい頃からけっこうな傷をしても、洗って唾を付ければみるみるうちに治っていた。偶然見ていた友達から、化け物って言われたこともあったっけ。
「ねえ、小塚君は私の涙で元気になった?」
私は顔を捻って後ろを向く。
「ああ、数ヶ月はきっと怪我や病気をしてもすぐなおる」
夜のとばりに包まれているはずなのに、彼の笑みがはっきり見えた。
「それなら、わ、私、毎日涙を絞り出してくるわ」
「いやいや、君の涙はみたくないよ。それより、知ってた? 唾液にもリゾチームが含まれているってこと。その他にも、ラクトフェリンや免疫グロブリンなんかのいろいろな免疫物質が――」
王子の顔が覆い被さるようにそっと近づいてくる。背景はうっとりするような、銀砂をちりばめたような空。
こ、これは、く、くちづ……私は顔を後ろに捻り上げたまま、思わず唾を飲み込んだ。
ぐ、ぐひっ、ぐひっ、ぐひっ。
気管に唾が飛び込む。私は上半身を跳ね上げるようにして咳こんだ。
「だ、大丈夫、黒田さん」
彼は焦って、悶絶する私の背中を叩いたりさすったり。
「ごめん、ごめんよ。無理な体勢だったね」
グアッ。翼竜が短く鳴いた。
「星が薄らいできている。夜明けが近いな」
まだゼイゼイ言っている私の背中をさすりながら小塚君が辺りを見回す。
「よし、もう戻ろうか、ハーミ」
けっこうな距離を飛ばされて疲れたのか、ケツァルコアトルスは嬉しげにもう一度鳴いた。
ああ、こんなにも日の出が恨めしかったことは無い……。
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