第34話 イスパニエルの都

 私たちが着くとすぐさま、食事が並べられた。


「すみません、こんなパンしかなくて」


 見慣れた真っ白いパンではなくて、パンの中に茶色の粒が混じっている全粒粉のパンだった。むしろ大好物である。

 チーズもバターもふんわり軽い味で、口の中で消え去る食感は天使の羽衣ってかんじ。

 牛乳は甘いし、もうベーシックなこれだけで大御馳走である。

 何かわからないが黄色いベリー系のジャムもとても美味しかった。

 羽光君はもとより、空腹感など知りませんと言った顔の飾西君までが夢中で食べている。


「紅茶もどうぞ、先ほどのジャムも入れてね」

「僕はその切ったレモンをいただけますか?」


 レモンは先ほど切られたもので、こちらまでとっても良い香りが漂っている。


 飾西君がぎゅうっとレモンを絞った瞬間、羽光君の顔に汁が飛んだ。


「ぎゃああっ」


 彼は飛び上がって椅子から転げ落ちる。


「だ、大丈夫」


 私は慌ててハンカチで顔を拭く。


「悪い、悪い」飾西君が頭を下げる。

「僕は柑橘系が大好きなんですが、こいつは苦手なんですよ。酸っぱい酸っぱいってうるさくてね。寝坊して起きないときにはレモンを持っていくと目が覚めるんです」

「悪かったな、人それぞれなんだよ」

「翼竜は獣人とは言え、爬虫類からの進化ですからね、人族や獣脚の方々とは嗜好が異なるところもあるんです」


 人族の飾西君はまたレモンを手に取ると平然と搾り始めた。


「おい飾西っ、静かに絞れ、飛ばすなっ」羽光君が顔をしかめる。


 ああ、ここに小塚君がいれば楽しいのに。


「大丈夫ですか、なにかお口にあわないものが?」


 テイベの母が心配そうに出てくる。


「ここのお食事は最高ですね、本当に美味しいです」


 羽光君の言葉に呼応するかのように、テーブルの上にハムと真っ赤に熟れたすももが出てきた。


「僕は酸っぱいものが苦手なんですが、この李は甘くて美味しいですね」


 羽光君の言うとおり、美味しい食事の中でも特筆すべきは李だった。爽やかな香りとしっかりとした甘酸っぱさがあって、かぶりつくなり幸せで頭の中が一杯になる。


「エスランディアは農業国で有名ですが、こちらはこんなものしかなくてお恥ずかしい限り」


 しきりに恐縮するテイベの親。


「でもさ、これ家にあった最高の食材なんだよ。明日からまたしばらくチーズの切れ端とくず野菜で我慢しなきゃ」

「こ、こら」慌てて父親が子供の口をふさぐ。「お前のために命をかけてくださった方だぞ、どんだけ礼をしても足りないくらいだ」

「そうですよ。この村の者はみんな感謝しています」


 気がつくと食事がほぼ終わった事が知らされていたのであろうか、村の人々が手に手にお礼の品をもって立ち並んでいた。


「これ、たいしたものではありませんが」次々に差し出そうとする村人達。「村の子供はみんなの子供です。村中あなた方に感謝をしているんですよ」

「いや、本当にお気持ちだけで」慌てて断る飾西君。

「まあ、そういわずに」押しつけられそうになった、その時。


 村の中央部に立てられた杖から、男の声が流れてきた。

 それは朗々と響きのある艶のあるまだ若い男の声だった。


「トーガ様の夕べの教誡きょうかいだ」

「教誡?」

「ええ、新国王トーガ様は何も知らなかった我々に、この磨音杖で毎日朝と夕に教えを垂れてくださっているんです」

「ト、トーガ様ってどんな方なんですか」


 小塚君を自ら拷問していた黄金色の髪を持つ男の姿を思い出す。


「いい国王ですよ。それまで汚職とえこひいきを重ねた前国王を追い落とし、戦う力を強化し、この国の真の力を国民に、そして外国に知らしめようとされているんです。戦争はあったけど、搾取もなくなって暮らしは上向いたし、あの方になって良かったなあと思っているんです」


 人の良い村人達は皆大きくうなずいた。

 お礼の品は固辞し、私たちは小屋を出ようとした。


「お待ちください、お送りしますよ。どうせ貴石の密輸かなんかで都に行きなさるんだろう。イスパニエルは獣人傭兵を募っているから、エスランディアは獣人に通行書を出さないからねえ」

「え、え、まあ……」


 けちな密輸業者、まあそういうことにしておこう。皆そっと目配せする。

 テイベの父親の案内に従って、近くの小高い山に向かう。


「都とは反対の方向のようだけど、大丈夫かい?」


 ええ、と、うなずきテイベの父親は崖の一部に巧妙に隠された石のドアを開ける。


「ここが秘密の通路なんで」


 そこから大きな洞穴がつながっていた。


「ご案内します」


 テイベの父が松明を掲げて先に歩き出した。



 洞穴を出ると、そこはもう国境から遠く離れたイスパニエルの中であり、そこから二日歩いて私たちは首都、ジクスヘーネに着いた。

 アーチを描いた大きな石の門。草むらと畑のなかに街や村が点在していた今までの景色とはうってかわって、ジクスヘーネは壮麗な石の建築が立ち並ぶ、賑やかな場所だった。

 門から続く大通りにつながる右横の小道からは市が立っているのか物売りの快活な声が聞こえてくる。

 大通りを歩いて行くと、円形の大きな広場に突き当たった。そこから放射状にいくつか道が出ている。広場の真ん中には円形の模様になるようにタイルが敷き詰められ、模様の中央には、光るタイルらしきもので表面を覆われた1本の背の高い円柱が埋め込まれていた。


「音がする」


 私は二人にだけ聞こえる声でつぶやいた。


 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ――


 これは理科室で聞いた導師ハサニゲルが持つ杖の音に似ている。

 発信源をたどると広場の中心にある棒が震えて音を出していた。


「あの村で聞いたように、放送を行うのかしら」

「首都に結界を張る機能もあるみたいですね」


 飾西君が周囲を見渡す。

「入れるけれど、怪しい者は出さない。みたいな」 


 よく見ると、あちこちの塀の脇には村で見たのと同じような棒が立っていた。


「トーガはこの磨音杖を使って、各所に自分の声を伝えて洗脳しているのでしょう」


 飾西君がつぶやく。

 私は村の人々の透き通った綺麗な目を思い出す。村の子供を全員で慈しみ、私たちを心から歓待してくれた。この国の人々は決して悪い人ではない。エスランディアとの戦闘では、双方で人が亡くなったのであろう。こうして付き合ってみると悪い人たちではないのに。心から悲しくなる。もう二度と戦争は起こしてはいけない。


「今日は宿を取って、策を練りましょう」


 私たちが選んだのは、王宮に近い小さな宿『雌牛のため息亭』であった。乳製品が売りの狭いがこぎれいな宿で、寝室とテーブルのある場所がカーテンで区切られているため飾西君が選んでくれた。野宿でも雑魚寝であったが、二人とも紳士で気を遣ってくれるので申し訳ないぐらいだ。

 買い出しに行った飾西君がテーブルの上に果物とパンを並べながらため息をつく。


「王宮の周りを歩いてきたのですが、獣人の傭兵によって周りを固められ、絶えず透明人の警備兵がぐるぐると周りを回っています。これから私たちが行わないといけないのは、さっき見た広場の円柱と各所に立っている魔力を伝達する棒――携帯の基地局みたいなものですね、に細工をすること。そして王宮内に潜入することです」


 パンを小刀で切りながら、宿がサービスでくれたチーズを載せて羽光君が皆に配った。


「ちょっと聞いてみた所、王宮の使用人、特に女性は頻繁に募集されているようです」

「棒に仕掛けをするのは飾西しかできないでしょうから、俺と黒田さんが潜入するしかないかな。黒田さん一人に王宮に入らせるのは心配だし」

「しかし、ハーミ。君や黒田さんは顔が割れているのが問題点なんだ」


 この世界に来てから飾西君は羽光君をハーミと呼ぶことが多い。そう言えば小塚君もケツァルコアトルスの時の彼をそう呼んでいた。これが本来の彼の呼び名なのかもしれない。

 ハーミと私は鳴弦岳で先頭に立って戦った。導師や透明人の記憶に顔が記憶されている可能性はある。


「仕方ないなあ、俺、派手な顔だから」

「そう思って、これも買ってきた。店屋の主には変な顔で見られたが」


 飾西君が机の上に出したのは化粧品セットだった。


「女官ハーミの誕生だ」

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