第15話 理科室の戦闘(4)

 王子の左半身が空間に引きずり込まれるように透明になっていく。

 どうにかして結界を壊して、助けを呼ばないと。


 以前、彼らの使っている力は、『科学に近い魔法』だって王子が言っていた。

 力には、何か原動力があるはず。この世界だって中世の人が見たらすべて魔法。きっと、異世界の力だって、この世界の物理法則の何かを使っているはず。

 例えば、電気とか、熱とか、磁界とか、波とか……。


 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ。


 そう言えば、私の耳にこのかすかな音がずっと響いていた。聞こえるか、聞こえないかの高い、高い音……。もしかして部屋に満ちるこの音が彼らの結界を構成する力だとすれば。


 ホワイトノイズ――この音を水の音で遮断すればいい!


「羽光君っ、水よっ」


 ここの理科室にはスプリンクラーがある。でも火をおこしている暇は無い。この学校のスプリンクラーは、先端の蓋が水を遮断していて、熱で蓋が溶けると水を放出するタイプ。だったら――。


 私は跳躍して、ヘッドをかぎ爪でたたき割る。

 激しい音と共に視界を遮るほどの水が噴出し始めた。羽光君も変身してくちばしで次々と粉砕していく。


 ヴヴ――。


 水の音にかき消され、ふっ、と音が消えた。同時に空間にヒビが入り始め、そこかしこの結界がボロボロと崩れ落ちる。硬直していた王子の身体が揺れて、透明な空間から半身が抜け出た。


 魔法の源である音波が消されたからか、甲冑兵が、一人、また一人、と消えていく。

 冷石が自由になったのを見て、外動は導師を思い切り突き飛ばして二人で王子に向かって駆けて行く。小塚君が二人を抱きかかえながら、後方に退いた。

 スプリンクラーの噴水に晒されながら、私と導師は対峙する。


「やるな、獣人。しかし、これで終わったわけでは無いぞ」


 一人となった導師は、赤い目でこちらをにらみつける。額の左上から頬に掛けての刀傷からは血が滲んでいた。


「わしに血を流させたことを、後悔させてやるからな」

「黙れっ」


 私は獣脚丸を振り下ろす、だが、枯れ木のような人差し指を私に向けて、ニヤリと笑うと導師は空間に吸い込まれるようにするりと消えていった。

 獣脚丸はむなしく空を切った。


 水浸しの理科室と、割れたガラス窓。


「何があったんだ」


 先生の声がする。駆けつける数人の足音。


「結界は崩壊している、窓から逃げるぞ」


 小塚君の声と共に一旦人型に戻っていた羽光君が慌てて窓から飛ぶ。全身ケツァルコアトルスに変化した彼に全員が飛び移る。

 最後に、私も。

 どんっ。勢いよく私が乗ると、翼竜は一旦数メートル下降して慌てて体勢を立て直した。

 理科室の割れた窓から、先生達があっけにとられてこちらを見ている。


「先生にばれるわ」外動が叫ぶ。「内申が悪くなるっ」


 クイイイイイイイイッ。


 私の喉から思わず出た咆哮。


 すると四方から鳥の大軍が校庭に集まってきた。上空を埋め尽くした鳥で、ケツァルコアトルスの姿が隠される。


「お、重いっ。制限重量オーバーなんだけどさっ」


 羽光君は、叫びながら歯を食いしばって羽ばたく。

 フラフラとよろめきながらだが、翼竜は上昇して雲の中に入り込んだ。







 明日臨時休校になると、学校から連絡があったのはその日の夜だった。


「空飛ぶ怪獣が出たってすごく噂になってる」


 校庭にはパトカーや消防車が来て、警察のヘリコプターまでが飛んでいたとか、図書館にこもっていた弟までが知っていたのだから、相当な噂なのだろう。


「そ、そうなんだ」


 努めて平静を装うが、現場には私のセーラー服の切れ端が散乱しているに違いないし、恐竜になった姿を見られたかもしれないし、もうどうなってしまうのか自分でも見当がつかない。セーラー服を洗った直後で、慌てて名札と生徒手帳を家に忘れたのは不幸中の幸いだ。


「鳥の大群が来たらしいから、見間違いじゃ無いのかしら」

「姉ちゃん詳しいな。確かにネットにもそう出ているよ、怪獣を見たのは集団ヒステリーかって」


 私は安堵のため息をつく。小塚君が言っていた。人は自分たちが理解できない大きな事件があると、それが大きければ大きいほど、正常バイアスが働いて日常に戻ろうとする習性がある、って。


「ところで姉ちゃん。今日は帰りが遅かったけど、どこに行っていたの?」

「さ、さあね、ふふっ」


 突然の核心を突く質問に、私は引きつった顔で微笑む。彼氏とデートだから察しなさい的なオーラを漂わせたつもりだが、やはり無理があったようだ。弟が眉をひそめている。悪かったね、経験不足の姉ちゃんにそんな『匂わせ』ができるはずが無かったよ。


「だって、僕が帰ってきたときには履き物が二足ともあったし、何履いて出て行ったの?」


 弟よ、お前は探偵か。

 恐竜に変身したので靴は履きませんでした――なんて説明できるわけないじゃない。

 助け船かと思うようなタイミングで母親が呼びに来た。


「ご飯よ、二人とも。ねえテレビ付けて、ニュースでやってないかな、竜子の高校の怪獣騒ぎ」

「単なる噂だよ。全国ニュースで、出るわけ無いじゃん」

「でも、パトカーとか出動したんでしょ」母は不満げだ。


 弟は携帯を見ながら夕食の席に着く。


「行儀悪い」

「今日は特別だよ。ネットのほうが情報が多いんだ。玉石混交だから、何を信じていいのかはよくわかんないけど」


 母の出してくれたカレーの味がよくわからない。

 私は上の空でスプーンを口に運びながら、あれからのことをぼんやり思い出していた。

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