第29話 エスランディア

 目を開けると、眼下には濃い緑の平原が広がっていた。縦横無尽に平原を走る川が光を反射してキラキラと輝いている。周囲をなだらかな山が取りまき、視線を上げれば青い空には黄色い太陽が一つ。見渡す限り私たちの世界と同じ景色だった。

 風に乗って飛んでいくと、徐々に円い屋根の家がポツポツと現われた。草原や森の緑と相まってまるで色とりどりのキノコが生えているようだ。牛や馬、羊などが広い牧場を走り回っている。

 すすむにつれ家は増えていき、彼方に城郭に囲まれた都市が現われた。中心に向かうほど、公共の施設が多いのか建物は装飾的で、大きくなっていく。


 ケツァルコアトルスはどんどん高度を落としていた。

 畑で仕事をする人々が、私たちを見つけて手を振ってくれる。ケツァルコアトルスは人気者なんだ。思わず私も振り返した。


「あれが城です」


 飾西君が指さしたのは金色の円錐屋根を乗せた赤い円筒をいくつか寄せ集めたような背の高い建築物であった。周りを色とりどりの花が咲いた庭園が取り囲んでいる。


「グアアアアアアアアアッ」


 羽光君は合図をするかのように叫び声を上げて、城の周りを三周回る。庭に集まった茶色の軍服の兵士達が、手に赤い旗をもって彼を誘導した。城に隣接する小さい草地の四隅に兵士達が立っており、ここに降りろとばかりに青い旗を振る。


「いつもながら窮屈な場所だな」


 文句を言いながらもケツァルコアトルスは兵士に囲まれた狭い草地にぴったり着陸した。

 着地とともに拍手が沸き起こる。

 けっこうな時間乗っていたので、首から降りると足がよろよろした。草地は香草が植えられているのだろうか、座り込んだとたんに地面から立ち上る青くて甘い香りが鼻腔に滑り込んでくる。


「ようこそ、エスランディアに」


 人型に戻った羽光君が高く上げた右手を胸に当てて大げさに頭を下げる。

 周囲を見回すと、まるでヨーロッパの田舎町みたいな風景。

 マントをなびかせて城からあたふたと駆け寄ってきた赤い服の兵達が、ぴんと背を伸ばして羽光君と飾西君に敬礼する。


「騎士様ご苦労様であります。お休みの後、王が面会されるとのことです」


「こちらにどうぞ」


 兵達は私たちの荷物を持つと、円筒形の建物の中に案内した。


「羽光君はご家族がこちらでしょ、会わなくていいの?」

「ええ。家族全員辺境警備で飛び回っていますからなかなか会えないんですよ。姫の世界でも言うでしょう。便りが無いのは良い便りってね、元気すぎるほどの人たちだから大丈夫ですよ」


 お互いに何かあれば、第六感のような知らせを感じるようだ。

 私には経験が無いけど、この世界で生まれた獣人はそういう能力があるのだろうか。私は受精卵にこの世界の波動が上書きされただけだから、そういう能力が働いていないのかもしれない。


「王子は今どうしているんだろう」

「大丈夫ですよ。王子は気丈な方ですし、あなたの涙も飲まれているようですから私たちがお救いするまで絶対持ちこたえてくれます」


 黙ってしまった私を、飾西君と羽光君が代わる代わるに慰めてくれる。

 無我夢中で付いてきてしまったけれど、私はここで何ができるのだろう。

 急に、足手まとい、無力、身の程知らず。ネガティブな言葉が頭の中をぐるぐると回る。私は彼らの言葉にただうなずくしか無かった。


 赤い軍服の兵士に案内され、私たち三人は休憩のため別々の部屋に通された。

 入ってすぐ私は獣脚丸を胸に当ててみる。

 しかし、銀の棒は私に何の画像も見せてくれなかった。

 この王宮は結界に守られているので、獣脚丸で王子の様子は見られないでしょうと飾西君が言っていた。

 獣脚丸は使い手の心にダメージを与えるような凄惨な画像や、逆探知されそうな場合にも、画像をつなげないとのこと。もしかして、小塚君が酷い目にあっているとか。不安いっぱいで私はもう一度獣脚丸を胸に当ててみる。しかしやはり頭の中には何も浮かんでこなかった。


 あきらめて、部屋の中を見回してみる。

 私の通された部屋は淡い桃色の部屋で、レースのカーテンがかかっている。綺麗に整えられたベッド、傍らの小さい円テーブルにはクッキーらしきお菓子と果物が盛られていた。

 案内してくれた女性は、城の水は地下から井戸でくみ上げている清浄な水だから飲んでも大丈夫ですと言っていた。私は急に喉の渇きを感じ、水差しの水を一口飲んでみる。それは今まで飲んだことのない爽やかな口当たりで、かすかな甘みがあった。


 部屋にシャワーはないが、陶器の大きな入れ物に水が入っていたので、備え付けのタオルで身体を拭いた。その時、少し離れた所の尖塔で鐘が鳴る。飾西君が、あの鐘が鳴ってから30分ぐらいして迎えに来ると言っていた。


 お会いするのは、国王陛下らしい。すなわち、小塚君のお父様。

 そういえば、今まで小塚君からご家族の話を聞いたことが無かった。こちらから聞いてはいけないような気もして。

『もともと意見が合わず、お父上とはあまり仲が良いとはいえないのです。御母様は早くにお亡くなりになって……』

 ここに来る途中で、羽光君はそう言って言葉を濁していた。

 さみしかったのかもしれない。私は黒田家でオムレツパーティをしたときの彼の心底嬉しそうな顔を思い出し、胸が締め付けられる。


 コン、コン。ドアを叩く音がする。


「黒田さん、準備はいいですか?」


 ドアを開けると、正装した二人が立っていた。いつもとは余りにも違う姿に私は息をのむ。

 後ろには彼らに付き従うようにずらりと兵士達が並んでいる。飾西君と羽光君、王子の護衛を任されると言うことは二人ともけっこうな地位なのだろう。普通に付き合っていたけど、本来なら私なんか顔を見ることもできない人たちだったのかも。

 廊下にならんだ兵達はいずれもきちんとアイロンがかけられた赤色の上着に肩章と白の細いモールを付け、黒いズボンとブーツというかっちりとした礼装に身を包んでいる。

 でも、彼らがかすんでしまうほど二人はカッコ良かった。


 飾西君は、上下黒。細い身体の線にぴったりな前開きの上着とズボン、黒いブーツという出で立ち。長めの上着は、腰の黒いベルトで締められている。黒の肩章や服には細い銀色の縁取りが入り、よく見ると上着の前面には銀糸でエスランディアの紋章が縫い取りされていた。左の腰には細いサーベルを下げ、胸から右肩には銀色の細いモールを三連で留めている。モールと同じ素材で前胸部の前に垂れている紐の先端には矢をかたどったアクセサリーが付けられていた。上着の上は銀の縁取りが入った黒い外套をベルトで留めて左肩のみに引っかけている。


「この外套は姫の世界で『ペリース』と呼ばれるものに似ています。飾西家は情報に関わる仕事が多いのですが、この国ではもともと軽騎兵が情報伝達や情報探知の仕事をしていました。彼らは剣を扱いやすいように右肩を開けていましたが、これはその名残のデザインです」


 あまりに私がガン見していたからか、飾西君が教えてくれた。

 飾西君が黒とすれば、羽光君は赤。というより、極彩色。

 金色に縁取られた鮮やかな赤の上着とズボン、黒いブーツ。金色のモールと紫のベルト。そして前胸部には金色の糸でエスランディアの紋様が縫われている。マントは外が緑で内側が黒。飾西君と違って普通のマントだが、背中には翼竜の羽の紋様が赤く染め抜かれていた。目がチカチカしそうな派手さだが、それを難なく着こなしてしまうところがすごい。さすが芸能事務所にスカウトされただけある。


 ふと、自分のみすぼらしい格好を顧みて、ため息をつく。身に合いそうな着替え用のひらひらドレスも衣装棚にあったのだが、着る勇気が無かったのだ。それに、万が一何かあったときにはこのセーラー服だと安心して変身できる。背中に担いだ薄汚れたリュックには今の私の全荷物が入っていた、謁見の時も手放したくない。


「さあ、行きましょう」


 二人はみすぼらしい私の姿を気にすること無く、左右から肩に手を当ててドアに誘ってくれた。

 磨き立てられた廊下を先導の兵士について歩いて行く。行く先々で先導の兵士と警備の兵士が敬礼をしあい、次々にドアが開けられていった。王子のことがあったせいか、かなり警備は厳重だ。


 最後の扉を開けたその先には、美しく装飾された空間が広がっていた。

 壮麗な部屋とは対照的に、壇の上に設えられたのはお洒落だが簡素な白い王座。そこに腰掛けていた男性が立ち上がって私たちのほうに階段を降りてきた。人払いしているのか、兵士達は部屋に入ってはこず、広間に居るのはその人だけ。全面に金糸の縫い取りの入った赤い上着に赤い線の入った黒いズボン、上から金色のマントを羽織ったスラリとした中年の男性だった。

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