第22話 激しすぎて……
その日以来、私はまた闇に潜り始めた。クラスの中にも『小塚君に捨てられた』という心ない噂が立ち始めている。と言っても、以前よりはずいぶん過ごしやすい環境なのだが、私の心の急降下を止められるものは何一つ無かった。
羽光君と飾西君は心配そうに時折チラチラこちらを見るが、今、彼に関するすべてのことを遠ざけたい私は露骨に下を向いて彼らの視線を遮断した。
本当の事を聞いてみないと。小塚君と話さないと。
とは思うけど、萎縮してしまった私の心には行動する勇気の欠片も無い。真実は、量子と一緒。見なければ確定しないのだ。
終礼後は小塚君が迎えに来れないほど早く教室から出るようになった。
私の心は闇の中に沈殿したまま、とうとう、一学期の終業日が来てしまった。
――夏休みにはピクニックに
彼の言葉が遠い昔のことのように思い出される。
明日から夏休み。終礼が終わり、机の中を綺麗にして絵画などの荷物を大きな紙袋に詰め込んだ私は一人よたよたと下駄箱に向かう。
どんくさい私は荷物を入れるのに手間取ってしまい、辺りはひと気も無くガラン、と静まりかえっていた。そろそろ梅雨明けか、カサの要らない日が増えてきた。上履き入れを荷物の上に押し込み、下靴に履き替える。
「黒田さん」
心臓が止るような思いで、顔を上げる。
そこに立っていたのは、小塚君だった。なんとなくやつれているように見える。
「部活は?」
「休んだ」
ぶっきらぼうに答えると、右手でさっと私の持っていた大きな袋を取り上げる。
「送るよ」
足が動かない。付き合いを解消しようと言われるのが怖いのと、会えて嬉しいのと。
きっとその思いは顔に出ていたのであろう。
「ごめん、連絡取らなくて」
彼は深々と頭を下げる。その他人行儀さがさらに不安を増し、私の足が震える。
「さあ、行くよ」
私の荷物を持ったまま歩き出す。いつにない強引さで、私は仕方なく後ろを歩く。
無言のまま、どんどん家に近づいていく。何か言わないと、何か聞かないと。焦るけど、口が動かない。
結局何も話さないまま、私のアパートの前に着いてしまった。階段の上がり口、各家の郵便受けが並ぶ一角で彼は足を止める。
「持たせてごめんなさい。ありが……」
私が荷物を受け取った瞬間、いきなり彼の右手がぐいっと私の肩を引き寄せた。
顔が胸に苦しいくらい押しつけられる。左手はいつの間にか腰に回されていた。抱き寄せられた力が強くて、すとん、と私の手から荷物が落ちる。
上履き入れの落ちる乾いた音が響いた。
「好きだ、君の事が好きだ。愛している」
耳元で何度もささやかれる。うれしさと安堵で私の目が潤む。
「こづ……」
言葉は続かなかった。彼の唇が私の口をふさいだから。
右手で頬を固定されて、何度も、何度も貪るように口づけが繰り返される。
頭の芯から痺れて、腰から下の力が徐々に抜けていく。立っていることもままならなくなり、ぐったりと私は彼に寄りかかる。でも彼はまだ許さないとばかりに腰を抱く腕に力が入れて私を引き寄せる。
口づけだけで、こんなに体中がとろけるような感覚になるなんて。
「好きだ」
顔を離して彼はじっと私のほうを見つめる。うなじから顎に掛けてそっと撫でる彼の指が優しい。
彼の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。
「君を離したくない」
そして、私の唇は再び自由を失う。
幾千の言葉より、その口づけがすべてを語ってくれていた。
正直どうやって部屋に戻ったのかも覚えていない。激しすぎたファーストキスに私はフラフラで、結局家の前のドアのところまで小塚君に抱きつくようにして送って貰った。
「忘れないで、ピクニック。次の新月の日」
両手で握られた右手の中に残されたのは小さく折りたたまれた手紙だった。
「それまで会えないかもしれない。でも、きっとその日は迎えに来る」
もう一度私を抱きすくめた後、彼は何かを振り切るように足早に廊下を去って行った。
朦朧としながら部屋に入ると、私はベッドに横になって目を閉じた。まだ胸の高まりがおさまらない。
外動さんのことを聞き損ねたが、今となってはどうでもよかった。
小塚君は、私を愛してくれている。
封印を解くかのように私の唇に重ねられた彼のひんやりした唇。最初はまるで確かめるような繊細な優しさだった口づけは、徐々に嵐のように激しくなって、身体全体が翻弄されるような……。
飽くことなく唇を求められ続けるうちに、私の心の底で今まで無かった何かが生まれていた。それは、自信とまでには行かないが、脆くてくずれそうなヘタレの自分を支えてくれる温かくてしっかりした感情だった。
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