第31話 夜

 日が落ちて、星のきらめきがはっきりしてきた頃私たちは小さな小屋に到着した。

 家に入ってすぐ飾西君が湯を沸かし始めた。


「ここは飾西家の使っている隠れ家です。まずはお茶でも飲んで落ち着きましょう。今後の計画はそれからです」


 小屋の中に甘いが独特な香りを持つお茶の香りが漂い始めた。

 ああ。

 その香りを吸い込んでいると、徐々に私のこの世界での記憶が鮮明になってきた。



 外動さんの言うとおり、私はもともとマヌーレ様に仕える下女だった。親の居なかった私は、物心つく前から下働きとしてマヌーレ様のお宅に奉公に上がっていたのだ。


「おまえ、これを片付けておいて」


 名前は無く、呼ばれるのはすべて『おまえ』。呼ばれたときにはすぐ行かなければ折檻されるので、私は彼女が起きる前から寝てしまう前まで彼女の目に入らない部屋の片隅に立って過ごしていた。

 脱ぎ散らかした服の片付けや残飯整理。ほぼ同じ年齢の私はマヌーレ様の下女として身の回りの世話をする。マヌーレ様の機嫌の悪いときには食べ残しの入った食器や熱い茶の入ったコップを顔に投げつけられることもあったが、誰もそんな彼女をとがめる者はいなかった。

 それは彼女が獣人の女王で、獣脚丸の使い手であったから。


 彼女は盛り上がった二つの胸の間に獣脚丸を差し込んで持ち歩くのが常だった。時に胸から落ちることもあったが、彼女はそんな時足で獣脚丸を蹴っ飛ばすと、私に洗っておけと命じた。

 彼女は獣脚丸を嫌っていた。それは味方相手の練習試合で、過剰な攻撃をすると途中で変身が解けてしまったりするからである。相手の痛みを感じない彼女は、味方であっても興奮すると相手を半死半生の目にあわすことが多かった。


「たかが魔法具のくせして、なんて説教臭い奴なの」


 腹立ちの余り、壁に投げつけることも度々。

 彼女が去った後、私は床に落ちた獣脚丸を私は拾い上げ、柔らかい布で撫でるように拭いてやった。

 痛かったでしょう、すみませんね。許してくださいね。繰り返し謝りながら――。

 私には、棒がキラリと光って答えてくれるような気がしていた。



 戦争が始まって、マヌーレ様のその残虐さが美点としていかんなく発揮された。イスパニエル軍は彼女を見ると恐怖し、退却するようになり。小さなエスランディアがついに大国イスパニエル相手にしのぎきり、休戦に持ち込んだ。マヌーレは賞賛され、エスランディアの人気者となった。

 彼女はエスランディアの王子と婚約した。遠目でしか見たことがなかったその人は、輝くように美しい人で、私は一方的にかなわぬ恋をした。


 そして、あの日。

 呼ばれたような気がして私がマヌーレ様の部屋に行くと、洗面台の横に獣脚丸が転がっていた。今日は王子からの呼び出しで、トゥルーマの森で王子様とピクニックをすることになっていたはず。私は慌てて獣脚丸を布でくるんでマヌーレ様の居室に持って行く。


「お忘れです」


 彼女は豪華なドレスに身を包み、鏡の前で入念に最後のチェックをしていた。

 彼女の傍らには、料理人に作らせた大量の料理と食器が積み上げられている。


「お前はこの荷物を運んでおいで」


 獣人の私は身長は低いが、がっしりとした腕と足を持っており、大量の荷物を持たされることもしばしばであった。

 私が獣脚丸を差し出すと、彼女は目をつり上げてそれを私に投げつけた。


「今日はデートなのよ。血にまみれたそんな汚らしい魔法具を持って行ってどうするの」


 私は仕方なしに、獣脚丸を布にくるんだままテーブルの上の定位置に置いた。


 王子の呼び出しは、イスパニエルの罠であった。敵側の導師によって待ち伏せされマヌーレ様は過去の異世界に追放されてしまった。そして彼女をかばおうと飛びついた私も同時に……。



 この世界での私の身分は、名前すら与えられていない底辺に近い使用人でしかない。

 外見もヘタすると今より酷い醜さだ。


「転生前も不幸だったのね」


 転生前後であまりかわらない境遇に思わずひねくれた笑いがこみ上げる。

 でも、大きな違いが。

 王子様の笑顔を思い出し鳩尾が熱くなる。

 あの人が、私を好きになってくれた。



 飾西君は私のために小さな部屋を用意して、ベッドとテーブルを入れてくれた。

 一人になった私は獣脚丸を取り出してそっと胸に当ててみる。

 お願い、小塚君に会わせて。

 私、このままでは気が変になりそう。

 その瞬間、ふと脳裏になにかボンヤリと浮かび上がってきた。

 しかし、いつもはすぐ鮮明になる画像が延々と霞がかかったまま。


 うっ、私はびくりと身を震わせた。

 聞こえてきたのは、激しい鞭の音、小塚君のうめき。


「マヌーレも持っていなかった。あやつは半裸だった、隠せるところもない。草むらに落としたと言っていたから探させてみたが見つからない。エスランディアにも戻っていないと報告を受けている。ラータ導師の作った女王の獣脚丸を持っているのはいったい誰なんだ」


 波打った金髪が腰にかかる、すらりとした軍服の男の後ろ姿。その手が鞭を振り上げて、振り下ろされるとまたくぐもったうめきが聞こえてきた。

 両手を縛り上げられ天井から吊されている小塚君にその男が情け容赦なく鞭を振るっている。


「お前は知っているんだろう。ええい、なんとか言えっ」


 冷たい声にかすかに反響がある、ここはどこかの牢獄なのかしら。余りにも酷い光景なのでもしかして獣脚丸が鮮明に映し出さないのかも。獣脚丸を持つ手が震える。

 ピクニックの時に来ていた白い上着に幾筋もの裂け目が入って……。あの時からずっとこんな目にあっているの?


「やめて、やめてっ」


 叫ぶが声が届いた様子がない。


「私って言って、獣脚丸を持っているのは黒田って。その情報さえ与えれば、あなたは別条件で人質交換してもらえるかもしれないわ」


 うめき声と、鞭の音が続く。

 言うはずがない。あの人が――。

 画面に血飛沫が飛んだ気がして、私は思わず獣脚丸を手から落としてしまった。脳内から画像がかき消える。


「黒田さん、どうしました、唇が真っ青です」


 二人が部屋に飛び込んできた。

 机の下に転がった獣脚丸を飾西君が拾い上げる。


「違うの、飾西君。一刻も早く助けに行かないと、王子が……王子が……」


 私はふらふらと立ち上がり、そのまま床の上に座り込んだ。


 羽光君が助け起こして、ベッドに座らせてくれる。

 小塚君が捕まったのは、私を助けるためだった。なんで私なんかのために。垣間見た光景を思い出すと心が切り刻まれる気がする。どうしていいかわからず、私はボロボロと涙を落とした。敵方に捕らえられているのだから、もちろん無事ですむとは思っていなかったけど、こんな……。


「見えたんですね、王子が」


 私の話を聞くと飾西君は小さくため息をついた。


「王子を助けるために僕らも全力を尽します。だから、黒田さんも気を強く持って」


 私は掌で涙を抑えながら私はただうなずくのみ。


「獣脚丸は心の通じ合った二人にしか、お互いの姿を写しません。マヌーレ様が食い下がっても、僕は王子の真のお相手はあなただと信じていますよ」


 飾西君の優しい言葉がさらに涙腺を刺激して、涙がとまらない。持ってきたハンカチがぐしょぐしょになった。

 飾西君がそっと肩に手を置く。


「王子は苦痛は感じておられるでしょうが、命には別状ありません。僕もその恩恵にあずかりましたが、あなたの涙の効果で傷の痛みはすぐ無くなり、快復も早いはずです。もし、口づけまで交していれば2~3ヶ月の間は少々切られてもすぐ修復し傷すら付かないでしょう、そしてもし二人が……」

「い、痛みが無くなる、ぐらいかなあ」


 淡々と語る飾西君をあわてて遮る。頬が赤くなっているから、気づかれているかも。

 キスしていればすぐ修復するんだ、良かった。


「まずは落ち着いてください、黒田さん。作戦を練りましょう」

「できるだけ早くトーガの居る『磨音城まおんじょう』に行くようにしますから」


 王子の騎士達はしっかりしている。私は自暴自棄になってつっ走らずにまずはお任せすることとした。



 その夜、私は小屋の二階から夜空を見た。

 細い月が一つ空に引っかかっている。それ以外は銀の砂を敷き詰めたような漆黒の星空。ケツァルコアトルスに乗って小塚君と見た夜空を思い出して、私は胸が痛くなった。

 頭の中では真っ赤なマグマが限界まで溜まって激しく煮えたぎっている。

 このマグマ、あのトーガという男の前で噴き出してくれるっ。


 大好きな闇の中でも、夜は嫌い。

 一人になると、再び苦痛を耐えるあの人の顔が頭に蘇る。こらえても漏れるうめき声や鞭の音が耳に響く。

 ああ、もうやめて。あの人を苦しめないで。

 私は無駄と知りながら、耳に手を当ててうずくまった。

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