第4話 学院での、ある意味での日常
この国の貴族制は歪な構造だ。
子爵以上の貴族は例外なく所領を有する。しかしそんな貴族よりも王都で行政に携わる官僚や男爵位の法服貴族の方が権力は強く富も得ている。
有力者が多い場所には金と人が集まる。それは貴族も例外ではない。今では社交のシーズンではなくても王都に居を構え続ける貴族が大半になるほどだ。貴族、という狭い世界では、横のつながりが何よりもモノを言う。社交を怠り、領地に籠り治安の為に武装強化するだけで反乱の意思有りと逆賊認定される有様だ。そんな醜い闘争が、この世界では当たり前に行なわれている。
お陰で官僚や法服貴族に取り入ろうとする貴族が続出した。具体的には官僚や法服貴族が主導する王都の拡大計画に、貴族がこぞって所領の富を王都の開発発展につぎ込む。結果、官僚は出世し法服貴族はその権力を更に確かなものとし、そのお零れに預かるために貴族が更に尻尾を振るという構図だ。
貴族はただ所領を護ればいいという時代はもう終わっていたのだ。
王都は拡大の一途を辿り、地方はさびれ続けていく。
そんな事情もあり、まともな貴族家は王都の貴族街に居を構える。ミスティリーナ侯爵家なんかはその筆頭で、貴族街の一等地に最も荘厳な家を持つ。邸宅の立派さが自身の権力を誇示するのだ。お陰で侯爵邸程ではなくても、建て増しや改築が繰り返され、貴族街は邸宅の壮麗さを競い合っている。
故に貴族のほとんどが邸宅から通い、俺の様に学院の寮を利用している貴族は極少数だった。平民の他は俺のように実家が悲惨なほど貧乏で王都に居を構える見栄すら張れない子爵家か、家に居場所のない三男や四男といった相続する可能性がほとんどない者たちだ。
そのため貴族用の寮は空き部屋が多い。こんな中途半端な時間に水を浴びても咎める者が居ない環境は俺には心地よかった。
汗を洗い流し、比較的真面な服装をクローゼットから引っ張り出す。
面倒な事になったとため息が零れる。
学院に入学して1年。フィオナ様からの誘いは出来る限り避けてきた。だからこうして学院の外で食事をするなんて事は初めての事だった。加えて今日の彼女は遠慮が無い。
ここが似た世界なんかではなく、本当に遊戯の世界なのではないかと疑いたくなるほどだ。今までだってイルティナとは友人として仲良くしてきた。それが、フィオナ様が知ったというだけで、こんなに色々と事が起こる。
このまま約束をすっぽかせば、嫌ってくれて、勝手に婚約破棄にならないだろうか。と、そんな事を思う。
”約束を破ったら嫌ですよ”
去り際にいたずらっぽく笑ったフィオナ様。彼女のそんな一面を見るのは初めてだった。
単純に俺が彼女を避け続けてきた証左なのだが。そんな彼女をわざと悲しませるのはひどく罪悪感が募る。
彼女の術中にはまっている感は否めないが、それでも、フィオナ様は本当に素敵な人なのだろう。何で俺なんかの許嫁とされたのか、彼女の不幸を嘆く。
彼女の家格、人格、才能、美貌、人望。その一つ一つが稀有な才能で、本来王族や他国の王家へ嫁がれるべき方だ。まかり間違っても我家のような貧乏貴族へ、加えて長男が廃嫡を望んでいるような所へ来られるべき方じゃない。
そんな方を市井の食事処へと連れていく。
彼女はおそらくどんな場所でも楽しそうにはしてくれるのだろう。だがこれがまた明るみになれば、またやっかまれる材料が増えるだけだ。火を見るより明らかだった。
しかし金もなく、王都に来てから日が浅い俺には王都で生まれ育ったフィオナ様を案内できるような場所を知らない。
気が進まないが、約束は約束。重い足取りを鞭打って進むのだった。
寮を出た時の事。5人ほどのグループがそこに居た。
「おい。お前がロートブルグか?」
「えぇそうですが、どなた様ですか」
話しかけてきた男たちを一瞥しながらそう返す。
学院の男子制服は軍の将官のデザインを元にしたもので、王族を除き全てのものが着用している。だから一目見ただけではソイツが貴族なのかどうか判別がつかない。そのため徽章を付けている貴族がほとんどだ。これが位階や派閥ごとにデザインが違うから分かりづらい事この上ないのだが、話しかけてきた男たちの一人は伯爵の子供で、その周りに居るのが伯爵家に仕える騎士の子供か何かなのだろう。
「無知を恥ずかしいことと思いもしない愚かな奴だな。俺の名前はヴィルツ家次男、ロンド・フォン・ヴィルツだ」
「そうですか。伯爵家のご子息がどのようなご用件ですか」
家督を継がない俺が言ってもしょうがない話だが、基本的に嫡男が家督を継ぐこの世界で、次男、三男の価値は薄い。家格が上でも、他家の長男には本来遠慮するのが、この国でのスタンダートな考えだ。
それだけ家が低く見られ、俺が侮られているという事だ。
「お前が身の程も弁えず平民どもの席でフィオナ様に昼食を摂らせたと聞いた。フィオナ様を悲しませたともな。 それだけでなくお前の蛮行は幾つも噂になっている。 お前には教育が必要だ。俺自らお前に貴族の矜持を学ばせにやってきたのだ」
「……そうでしたか」
噂だけを頼りにリンチしに来た。それを恥ずかしげもなく正当な理由だと思っているのだから、実家の権力を自分の権力と勘違いした貴族は見ていられない。
学院に来てから時々この手の手合いがやってくる。本当に俺が気に食わないのであれば闇討ちでも何でもすればいいのに、こうして正面から堂々とやってくる。それで自身の正義に正当性があると本気で思っている。
面倒くさい事この上無かった。
「だがここで手を付いて許しを請い、フィオナ様に今後一切近づかないと誓うのなら許してやってもいい」
「侯爵家からの申出を断れる訳ないだろうが」
「何か言ったか! ボソボソ喋らず堂々と話せ!」
「……何かご不興を買ったのでしたら謝罪をしましょう。しかし正当な理由もなく手を付くことは、まだ子爵家次期当主である以上出来かねます。フィオナ様との事は家同士の取り決めです。俺には決定権がありません」
両手を付き謝罪する。つまり土下座は、全面降伏という意味を持つ。学院ではその重みを知らずに力無き者や虐められている者が強制的にさせられているが、本来、首を差し出し生殺与奪を捧げるという意味だ。
仮にも貴族として家と領地を守る義務がある人間が軽々しくしても、やらせてもならない行為だ。
「ごちゃごちゃとうるさい奴だな。煙に巻こうとしたって無駄だ。
今から闘いの口上を述べる! 子爵家ごときがフィオナ様を娶る等身の程知らずだ。それが分かっているのならば相応の努力をするべきだ。しかしお前は平民どもの授業に混ざり貴族としての努力をしていない。結局お前は我が身可愛さにフィオナ様の幸せを踏みにじる卑怯者だということが分かった。故に俺は上位貴族としてお前に貴族の在り方を学ばせる必要がある。この闘いは正義の闘いだ!」
戦いの口上。決闘とは別に、他家に戦闘を吹っ掛ける際、その正当性を主張し大義名分を述べる一種の作法。
闇討ち、奇襲、騙し討ち、と何でもありの戦国時代の名残があった建国黎明期にあった風習だ。もめ事は戦争で解決という習慣に少しでも制限をかける為に生まれた苦肉の策で、法が浸透し始めた現代では廃れた風習だ。
しかし学院に来て建国記を学び始めると、黎明期はこの風習を利用して戦いが度々起きていたことを知る。その歴史を拡大解釈して暴力を振るう正当性が出来たと勘違いする輩がいる。
言ってみれば、学院内限定のローカルケンカルールみたいなものだ。
「決闘の方が好きなんだがな」
「決闘等野蛮な騎士の風習だ。お前も貴族の端くれだ!数もまた貴族の力だ! ボロボロにされたからといって教師に泣きつくような惨めな真似はするなよ」
「えぇ分かりました。 君もそういう恥ずかしい真似はしてくれるなよ」
「抜かせ! さぁアイツをやっつけてしまえ!」
戦いの火ぶたが切って落とされた。といっても学生のちゃちなお遊びだ。相手は5人、飛びかかってきたのは取り巻きの4人。皆武装しているが木剣だ。流石に刃傷沙汰になればお咎めは免れないことくらいは分かっているようだ。骨の一本二本でも折れば決着が付くと思っているのだろう。
こういう輩には何が正解なのだろう。一発で倒した方が効果的なのか、指の骨でも折って数か月は痛みを覚えてもらってリベンジなんて考えられないようした方がいいのか、それともいっそ再起不能にでもして強制的に退学にしてもらった方が俺の人生は楽になるかもしれない。
しかしそれは余りにも八つ当たりが過ぎるか。
結局、順当に全員を戦闘不能にする。
本当の闘いのプロならば、複数対一なら、複数組は犠牲を覚悟で相手に取り付いて行動力を奪うのがセオリーだ。しかし相手はこっちを舐めた様子だから飛びかかってくることはなく、ただ木剣を振りかぶるだけだった。
前世では争いごとには全く無縁の人生だったから格闘技に興味なんて無かった、だが今世では違う。時々降りてくる前世の記憶を見るたびに優れた芸術だなと感心する。
例えばボクシングは予備動作なしで相手に先制する攻撃が基本とされている。剣での戦いに置き換えれば、振りかぶって剣を振るうやつ等、軌道が読み易過ぎて話にならない。
最初に切りかかってきた二人は剣の軌道を半身で避けた後、両者の顎に一発ずつ掌底を喰らわす。こうして喧嘩をふっかけてくる連中のお陰で一発で昏倒させる角度と力加減は身に着けていた。意識を刈り取られた二人が力なく倒れる。後ろから回り込んできた奴には後ろ蹴りの要領で鳩尾に一発喰らわす。それで相手は悶絶する。さらしを巻くでも布を詰めるでも固めておけば良かったのに、可哀そうにもんぞりうって苦しんでいる。
一息で三人倒した事で恐慌状態のもう一人にはローキックを喰らわす。それで痛みにうずくまってしまう。
それで、残りは一人。
「ま、待て。何の魔法を使った! 卑怯だぞ」
この手の手合いの面倒な所は、これでも彼は伯爵家の人間だという事だ。ガキの喧嘩と割り切ってくれればいいが、家同士の揉め事のタネになるのは避けたい。
そう冷静に考えている一方で、言われ放題なのには多少ムカついていたらしい。相手が何かする前に距離を詰めて、腕をひねり上げ、腕固めの要領で相手を拘束し、体は地面にたたきつける。
体はまともに動かせないが足はばたばたともがいていて、何か喚き続けている。
こういう時、一発で相手の心を折る手段が欲しい。
何も思いつかず、結局水魔法の水生成を唱えて冷水を頭にぶっかけてやる。
「この距離なら水弾でも殺せたよ」
そんな言葉を無感情に耳打ちして、相手の拘束を解除する。
ちなみに水生成と水弾とは初球の水魔法で、水生成は水を創り出し、水弾は精製した水を指先などから打ち出す初級魔法だ。水魔法の適正さえあれば、誰でも使う事が出来る。
諦めずに何か仕掛けてくる事も考慮したが、それで伯爵の子は戦意喪失してくれたらしい。
軽く土ぼこりを払う。
「それじゃあ俺はもう行くけど。 リベンジとかは遠慮してくれないか。次は多分手加減しない」
そしてその場所を足早に去る。背中を見せた瞬間に攻撃を喰らうなんてみっともないから警戒をしていたのだけれど、結局襲われることは無かった。
思いがけず時間をロスしてしまい、フィオナ様との約束の時間まであとわずかとなっていた。
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