第12話 避暑地での最後の夜

 屋敷の主人である侯爵閣下が突然戻った事で、屋敷中が慌ただしい時間を過ごしていた。

 絶対安静である俺には、関わりの無い話だったけれども。

 フィオナ様やイルティナ、レグゾールとディリアス達が、お見舞いがてら顔を出してくれたがそれは本の少しの時間の事。何もせずにただ佇む時間は随分と久しぶりの事だった。

 もっとも、薬が切れて全身が非常に痛むし(魔薬中毒になる可能性があるからと痛み止めはもらえなかった)、気を抜くと国王との謁見の事を考えてしまい胃がキリキリとする。

 何かに没頭しようとして、結局部屋の中で炎魔法の研鑽に励むことにした。ただ炎を顕現し維持するだけだが、この状態が通常の状態だと脳が誤認するくらい、四六時中炎魔法と戯れた。

 これで少しは過剰に魔法が反応することは抑えられるだろう。


 目が覚めてから3日目。医者からもう完治したとお墨付きを頂いた。今日一日は自由に過ごし、明日は王都に向かう事になる。侯爵閣下が恐らく使ったであろう魔道具で、王都に戻ることが出来ないかとも思ったが、向こうからそんな打診をしてくる気配は全くなく、大人しく馬車で王都に戻る事になる。

 思いがけないこの旅行は、更に思いがけない形で終わりを告げる。忙しないし慌ただしいが、少し名残惜しくもある。


 3日間安静にしたくらいで体が鈍るような鍛え方はしていないが、気分転換も兼ねて屋敷内を歩いていた時だった。

 ばったりとフィオナ様と出会う。


「レオ様! もう歩き回ってもよろしいのですか?」

「えぇ、お陰様で。ご心配をおかけしました」

「いえそんな……、私は何も出来ませんでした。 助けていただいただけです。本当に、有難うございました」

「目を覚ました時にも言っていただきましたから、あんまり畏まらないでください」


 そしてお互いに会話に詰まってしまう。

 俺は元々無口だし、会話を広げる様な気の利いた事ができない人間だからこれが普通だが、フィオナ様は意外だった。そうは言っても魔物なんてマトモに見たことが無い人がいきなりドラゴンと遭遇し、命の危機に脅かされる等、随分と怖い思いをしたのだから彼女に元気が無いのも当然なのかもしれなかった。


「……父から聞きました。明日、王都に戻られるのですね」

「えぇ、そうなりました。 王様に謁見だなんて柄じゃないんですがね」

「そんな事ありません。 レオ様は本当に素晴らしい事を為されたと思います」

「ははは、ありがとうございます。 王太后陛下のパーティーに、一緒に行けなくてすみません」

「そんなことは構わないのです。……いえ、そうですね。残念です。一緒に行きたかった」


 強引な所もあるが、基本的に自分の想いを口にすることがないフィオナ様が、そう告げてくれた。


「せっかく衣装まで用意して頂いたのに、無駄になってしまいました。何かの機会に着用させていただきますね」

「あはは。それはちょっと難しいかもしれませんね」


 おかしなものでも見たと言わんばかりにフィオナ様が笑い声をあげる。思わずきょとんとしてしまい、彼女の真意を問う。


「言っておりませんでしたね。陛下のパーティーは毎年仮装パーティーなのです。招待状にお題が書いてあって、当日まで皆様秘密にして楽しむんです。お茶目な方ですよね」


 くすくすと笑みを浮かべるフィオナ様をよそに、俺はすーっと血が引くような感覚に襲われる。

 気心が知れた友人だけのパーティー。誰もが王太后に近づこうとしその招待状にはとんでもない価値があるのだが、それが誰かに譲られたという話も、招待された者に頼み込んでも連れて行って貰うことがなかったという話に、全て納得が行く。

 本当に気心が知れた人間だけの集まりだとは、誰もが思う訳が無かった。

 そしてある一つの事に気が付いて、思わず訪ねてしまう。


「もしかして本当に最低限のマナーが出来れば良かったのでしょうか?」

「えぇそうですね。 実は陛下のお付きのメイドさんのお子様も招待されたりしていますので、本当に楽しむためのものなんです。避暑地とはいえ夏場は暑いですから、本格的に踊る人も珍しいですし」


 先に行って欲しかったなー、という思いが湧く。同時に先入観で勝手に思い込んでしまった自分の短慮を呪う。

 あのスパルタ合宿は全く無意味、という事だった。

 放心している俺を見て、彼女がまだ笑っている。いたずら好き、というのは本当の様だ。道化を演じた訳だが、彼女が元気になってくれたのなら言う事は無い。


「その、レオ様。 パーティーは明後日ですから戻ってくるのは無理ですが、王都での用事が済みましたらまたこちらに戻ってきては頂けますか?」

「申し訳ないのですが、一度領地に戻ろうと思います。ドラゴンから得た素材を国が買い取ってくれるのでまとまった金が出来るのですが、私が持っていても持て余すだけですから」

「……そう、ですか。そうしましたら次に会うのは休暇明けと、なりますね」


 俺の返答に、彼女がすっと目を伏せる。

 今までずっと遠巻きにし、関わろうとはしてこなかったから分からなかったけれども。フィオナ様は気持ちを隠すようなことはされない方だ。自分の望む様に打算的に動くことはあっても、声や仕草や演技で、人を謀る事はされない方だ。

 彼女が本当に残念に思っている事は、痛いほどに伝わる。


「衣装はもう、出来上がっているのでしょうか?」

「え? えぇ、一応完成しております。腕の良い職人ですから直す必要も無いとは思います」


 自分らしくない事をしている自覚があるか、今はそういう気恥ずかしさに気付かないふりをする。

 意を決して彼女に手を差し出し、告げた。

 

「今夜、一緒に踊っては頂けませんか?」


 顔が真っ赤に染まっているのが分かる。気恥ずかしすぎて死にそうな程だ。

 けれども彼女から視線を外すことは無い。それだけは意地でも守った。


 彼女も意図を汲んでくれたのか、みるみる内に顔を真っ赤に染めていった。

 そして俺が差し出した手に震える手が重ねられる。


「とても嬉しいです。承りました」


 彼女の返答に、心が沸き立つ自分がいた。



 フィオナ様と約束を交わしてからは、とにかく忙しかった。侯爵閣下に事情を話し、玄関ホールを借りたいと申し出ると、急遽楽隊を呼び、ドラゴン討伐の慰労会も兼ね酒や宴席が設けられることになり、あくまで侯爵家の身内だけではあるが結構な規模のパーティーとなってしまった。

 本当にささやかに、2人だけで一曲踊るだけと思っていたのに、とんでもない事になってしまった。

 極めつけは与えられた衣装。王太后陛下の仮装パーティーに着用するはずだったその衣装は、最近王都で流行っている演劇の主人公の衣装を模したものであるらしく、装飾がごてごてに盛られた真紅のテールコートだった。

 人生で、こんな恥ずかしい衣装を着る事になるとは思いもしなかった。


「くっくくく。レオ、サイッコーに似合ってるぜ」

「いや本当にマジで。そのまま劇団に行けるぜ、プッハハハハ」


 レグゾールとディリアスは後で殺す。

 ふと目が合ってしまったイルティナは速攻で俺から目を逸らし、笑いをかみ殺している。


 全ての準備が終わり、約束の時間も訪れ、俺たちは玄関ホールでフィオナ様の登場を待っている。

 俺は今回の主役という事でホールの中心に立たせられていて、フィオナ様とファーストダンスを踊った後、パーティーが始まる事になる。

 ドラゴンと対峙していた方が余程楽なような、得体の知れない緊張がある。しかしもう覚悟を決めるべきだろう。

 目を瞑り、一度深呼吸を行う。

 こういうのは照れるのが一番いけない。覚悟を決めて堂々と振舞おう。


 うわ、すごいキレイ。お嬢様本当に素敵。妖精姫の衣装だ。

 そんな感嘆の声が周囲から上がる。

 ふと玄関ホールから伸びる大階段の上を見ると、侯爵に手を引かれた彼女の姿があった。


 異国様式の純白のドレスには、淡い色のレースがいくつもあしらわれ、彼女が歩くたびに揺れて、キャンバスの上に様々な色が踊っているようだった。髪の結い方も特徴的で、厳かなハイポニーテールだが、髪留めが金属製の特徴的なもので、動くたびにシャランと音を奏でる。

 侯爵に手を引かれ彼女が階段を下りてくる。

 間近で見ると、口紅が青かったり、目尻に紅い化粧が施されていたりと、人ならざる姿だった。誰かが言った、妖精姫、という言葉がぴたりと当てはまる、背筋がゾクゾクとし全身に鳥肌が立つような妖艶な装いだった。

 けれどもその瞳だけは彼女のもので、少し安心をする。


「お待たせしました、レオ様」

「えぇ、驚きましたフィオナ様。一瞬本当に人ではない存在かと思いました」

「ご存じありませんでしたか? これ、陛下が好きな演目のヒロインの衣装ですよ」


 そう言って彼女は茶目っ気たっぷりの笑顔を一瞬浮かべ、そしてすぐに何処を見ているのか分からない瞳になる。


「愛しき人の子よ。時の異なる我らは共に生きる事は叶わぬ。なれば今宵だけでも我は其方の妻となり、其方は我の夫となりて、この一瞬を永遠にしようぞ」


 凛と通る彼女の声。そのセリフを言い終えると、周囲から歓声が上がる。分かっていないのは俺だけのようで、彼女の装いの人物の有名なセリフであるらしかった。

 彼女が目配せして俺に手を出すように促す。動揺が表に出ないように出来る限り悠然と彼女に左手を指し出し、手を握り返されると右手を彼女の背中に回す。空気を読んだ楽隊が音楽を奏で始めファーストダンスが始まった。


 ダンスは愛を伝える方法であり、言葉を超えた絆を築く。とは誰の言葉だっただろう。前世で、何かで見た誰かの言葉だったが、彼女と踊っている間、その言葉をひしひしと感じた。

 誰かを魅せるダンスなんて踊れない。それどころか簡単なステップを繰り返す事しか出来ない。

 しかしそれで十分だった。

 彼女は何をしても画になる人で、拙い俺のリードでも会場中が羨望の眼で彼女を見ていることが分かる。

 吐息がかかる距離で相手と向き合わざるを得ないから、彼女の体温も肌触りも、息遣いや心臓の鼓動、汗の書き具合や骨のきしみ方、体重の掛かり方、腰の細さや柔らかさ、何を感じているか。あらゆるものが肉体を通して伝わってきて、百の言葉よりも雄弁に、彼女の奥めいた部分に触れたような不思議な感覚があった。

 夢中で踊り、もう終わってしまう。

 会場中から拍手が喝采し、恭しく彼女がお辞儀をする。

 踊り終えた彼女と目が合った時、彼女は満面の笑みを浮かべてくれていた。

 俺は、この数分が楽しかったと、思う。彼女もそうだと嬉しかった。


 ファーストダンスを終えると、他の人たちも次々にダンスを始める。

 一通りダンスも終わると、立食パーティーとなり、歓談に花が咲く。

 フィオナ様は様々な人に取り囲まれ凄い人だかりで、応対に追われている。俺は俺で、一緒に哨戒任務を行った騎士やその家族の方が来訪してきて忙しかった。

 

 そんな挨拶も終わって、ようやく一人の時間が出来た後、堅苦しい衣装を緩めたくて庭に出る。季節は夏で、随分と日の沈む時間が遅くなった。それでも遅い時間だから空には星が瞬いていた。

 王都での学院生活では夜空を見上げる余裕なんて無かったから、随分と久しぶりの事だった。

 加えて、今の俺は気持ちが浮ついている。星なんて方角を知る道標でしか無かったのに、美しいと数多の人間が言ってきた理由が垣間見えた気がした。


「こちらに居られたんですね、レオ様。 捜してしまいました」


 庭のベンチに腰かけていると背後からフィオナ様に声をかけられる。改めて見ても妖艶な衣装だった。決して露出が多い衣装ではないのに、どうしても目を奪われる。

 彼女が俺の隣に腰かける。


「お疲れさまでした。 フィオナ様は本当に皆様から慕われておられますね」

「衣装のお陰ですよ。普段はなかなか話しかけてくれないメイドの子も声をかけに来てくれて嬉しかったです」

「キレイな衣装ですからね」

「……ありがとうございます」


 そしてやってくる沈黙。ただし学院で何度も味わった気まずい沈黙ではなく、心地よいとも違う、何だか落ち着かず手持無沙汰になるようなものだった。

 何か話したいことがあるはずなのに、言葉が見つからない。そんなもどかしい感じ。

 だから言葉を濁すように別の話題を用意する。


「王太后陛下のパーティーでも評判になるのは間違いないですね」

「そうですね。そうなりましたらいいですね。 でも相手がいないから、今回はお断りしようと思います」

「……勿体ないですよ。そんなに素敵な衣装をお披露目しないなんて」

「でも役目は果たしましたから。レオ様は演劇に興味がおありでないから知らないと思いますが、この衣装は妖精のお姫様が恋をした人間の騎士と、たった一夜の逢瀬の為に誂えたドレスなんです。それに準えるなら、このドレスは役目を終えました」

「ちょっと大げさですよ。 仮装パーティーにしか使えないのですから、参加された方がいいと思いますよ」

「でもレオ様がいませんから」


 彼女と目が合う。真摯な何かを訴えかける目がじぃっと俺を射貫いている。


「少し意味深だとは思いませんか? 種族、という身分が違い、思い合っているのにたった一夜の逢瀬を交わすことしかできないヒロインの衣装を着てくるように指定するなんて」

「……まぁそうかもしれませんね」


 曲解してその意味を捉えればこの婚約が実らないものだと暗に伝えているようにも見える。

 だが聞く限りではもっと緩そうなパーティーだから単に流行りの衣装を着せたかっただけのように思う。実際、フィオナ様が着た妖精姫のこの衣装は匂い立つような美しさがあり、はまり役だった。

 そもそも彼女のパートナーが、婚約者である俺とは限らない訳だし。


「時間が長いから今は一幕の上演だけなんですが、ずぅっと昔は2幕構成の演劇だったんです。この物語。1幕は悲哀の物語で、2幕は覚悟の物語だったそうです。祖母……、祖母と陛下が友人だった関係で私の事も気にかけてくださるのですが、彼女たちの時代は2幕目の方が評価されていたそうです」

「……どんな内容だったんです?」

「戦争の、物語だったそうですよ。人と妖精の戦争。お姫様が葛藤の末、一族を裏切り騎士と共に戦うというお話。彼女たちの時代は戦争が身近にありましたし、他国から嫁いできても夫の家の為に、という封建的な考えが本当に強い時代でしたから」

「なかなか過激なお話ですね」

「えぇ、長くなりましたが、その2幕の主人公が赤い甲冑に身を包んでいるんです。そのためレオ様には赤いテールコートを着て頂いたんです。2幕目までちゃんと知っていて、その上での覚悟だぞって、ちょっと狙いすぎかもしれませんけどね。

 だから、レオ様がいないのにこんなものを着る必要は無いんです」


 彼女の言葉に、どう返答をしていいか分からなかった。

 フィオナ様の覚悟と行動はいつも驚かされる。祖父たちが勝手に決めた、政略結婚よりも性質の悪い彼女には何のメリットもない約束なのに、ある種盲目的に彼女は従っている。

 自分の覚悟の無さが浮き彫りになり、居たたまれなさを強く感じさせられる。


「フィオナ様の本懐が遂げられたのなら良かったです」

「ちょっと大仰な物言いですね。でも、その通りです。レオ様のお陰で満足出来ました」


 にこりと、満足げな笑みを彼女は見せてくれた。

 それは本当に素敵な笑顔だった。叶うなら、ずっと傍に居たくなる。そんな魔力がある。

 この甘い夢にずっと微睡むことができればどれほど幸せな事だろう。けれども夢は覚めるものだ。覚めなくてはならないものだ。

 2幕目の存在しない世界では、夢から覚めた騎士は辛い現実に打ちのめされながら生きていかなくてはならない。

 フィオナ様と結ばれることは、前世の俺が許さない。

 

 風がざあと庭の木々を揺らす。浮ついた気持ちを押し殺せるくらいには脳が冷えてきた。


「そろそろ戻りましょうか。夏とはいえ、少し冷えてきましたから」


 立ち上がり、手を差し出して彼女にそう促す。

 手を取ってくれ庭での細やかな逢瀬を終えこの甘い夢を終えようとした時に、彼女は後ろ髪を引くような事を言う。


「学院でも、今日の様に仲良くして頂けると嬉しいです」


 ずるい俺はその問いに曖昧な笑みを浮かべるだけで返事はしなかった。

 宴の中に戻り、その後フィオナ様と話すことは無かった。

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