第13話 王宮へ

 王都に戻ってきた。

 10日程しか離れていないのに、何だか懐かしい感覚を覚えるのは、ここの生活に慣れ始めているからかもしれなかった。

 

 学院の寮に戻り、荷物を置くと少しほっとした時間が出来る。

 馬車での移動は想像以上に体力を費やす。暇な時間だから色々思案を巡らすには良い時間だったのだろうけれどただ疲れだけを溜めた格好だった。

 このままベッドに沈み込んでしまいたい誘惑に駆られるが、体に鞭を打って、学生服に着替え王宮へと向かう。

 王宮は学院から徒歩で向かう事が出来る距離にある。学院生徒ならば荘厳なこの建物には見覚えがあることになる。ただし内部に入ったことがある人間は数えるほどになるのだろう。

 

 侯爵から預かった文書を王宮の入り口近くにある窓口の担当者に渡す。てっきり後日召喚されるものと思っていたがあっという間に王宮の中に通されてしまった。

 学院の貴族棟とは比較にならない程の壮麗な回廊に思わず委縮する。こういった建物はあえて権威を見せつけるために壮麗に作られているのだが、その術中にはまった格好だ。

 磨き上げられた大理石が続き、飾られる調度品の値段は考えたくもない代物ばかり。芸術品の目利きなんて自信の欠片も無いが、それでもここにこの国の粋が惜しみなく注がれている事は分かる。

 それに今日そのまま謁見とは思ってもいなかった。単にズルズル先延ばしてはいけないと思い、やってきただけなのだ。そういう意味でも心の準備が出来ておらず心臓が高鳴っている。

 そして控室らしき場所に通される。


 控え室は薄暗く、少し空気が濁っているような気がした。かび臭い訳ではないのだが、窓が無く四方を全て囲まれているせいで変な圧迫感があった。ここには俺以外にも3人、順番待ちの人間がいた。風貌からおそらく地方の貴族だと思われるが、俺以上に切羽詰まった顔をしており挨拶をするのも憚られた。

 気まずい沈黙を耐える時間が続く。しかし本当に彼らは落ち着かない様子で、貧乏ゆすりをしていたり、真っ青な顔で頭を抱えていたり、所帯なく歩き回っていたりする。

 俺としては作法通りに頭を下げて、侯爵が既に用意してくれた目録を渡すだけだと、割り切っているのだが、大の男達がここまで緊張を露わにしているとその緊張がどうしたって伝染する。

 俺のように気安い用事ではないのかもしれない。例えば家の存続がかかる重大な案件を抱えているとか。興味も湧くが、やはり気安く声をかけられるような雰囲気ではない。

 ため息をこぼさないように気を付けて、順番がやってくるのを待つ。

 

 とんとんと、控室にノックがされる。

 3人が一斉にドアの方を向く。そして深いため息をこぼす。控室にやってきたのはメイド服に身を包んだ若い女性だった。


「ロートブルグ様はいらっしゃいますか?」

「あぁはい、俺です」

「申し訳ありません。手違いでこちらに通されたようです。着いてきて頂けますか」

 

 メイドさんに助けられた格好で部屋を後にする。

 一瞬だけ振り返ると、彼らは凄い目でこちらを睨みつけていた。何か見てはいけないものを見たような気分になる。

 彼女に付いて王宮内を歩きながら、好奇心を抑えられず彼女に尋ねることにする。


「すみません、あそこはどういう方たちの控室だったんですか?」

「裁判の判決待ち、の方たちですね。ロートブルグ様にはおよそ関わりの無い方たちですよ」

「裁判所ではなく、王宮で、ですか?」

「えぇーと、そうですね。1年生だとまだ習いませんものね。

 では予習を行いましょうか。貴族籍を持つ方たちのある事柄についてだけは裁判所ではなく国王が裁判権を持ちます。それは一体何でしょう」


 唐突にクイズが始まってしまった。こちらから話しかけてしまった為答えない訳にもいかない。

 適当に答えてしまってもいいのだが、無い頭を絞る。


「たしか……反逆罪?」

「ちゃんとお勉強していますね。正解です。王国への忠誠を確かめる必要がある反逆罪の疑いだけは国王が直接裁判権を持ちます。つまり彼らはこの国に弓を引こうとした愚か者という事です。 そんな者たちと僅かとはいえ一緒にさせてしまい申し訳ありませんでした」

「いえ、それは別に構いません。結果的に学びに、なりましたし。 しかしまだ容疑者ですよね彼らは? やけに剣呑な雰囲気でしたが」

「反逆罪に容疑者はいませんよ」


 メイドさんの声に色は無い。淡々と事実だけを彼女は告げている。


「疑いがかかる時点ですでに粗方の調べはついているのです。問題は酌量の余地があるか否か。基本的にそんなものはありませんけどね。……っと、申し訳ありません。ロートブルグ様には関係の無い事で怖がらせてしまいましたね」

「いえ、別に、構いません」


 恭しく頭を下げるメイドを改めて見る。

 金髪を綺麗にまとめ、あえて野暮ったい眼鏡をかけているが、その奥にある意志の強そうな緑色の瞳が特徴的だ。女性にしては背も高く、俺とほとんど年が変わらないはずなのにこの空間に物怖じしている様子はない、それに俺を学院の1年生と分かっている様子だった。質問をしたのはこちらからだが、反逆者の集まる控室に通すようなミスを王宮の人間がやるとは考えづらいから、あえて見せてこちらの反応を探っていると考える方が自然だろう。そもそも王宮でメイドをやることが出来る人間は身分や背後関係がしっかりしている人間であるのは最低条件であるはずだから、代々王宮に使える一族か何かなのだろう。

 そして恐らく彼女は俺を試す役の人なのだろう。

 

 何かやらかした、という自覚は無いが、それだけ王宮に出入りしている人間のチェックは厳しい、という事と考えればそこまで邪推という事も無いだろう。

 それに、ミスティリーナ侯爵家の一人娘と婚約し、ドラゴンを一人で屠ったという人物、おまけに実家は僻地で他の貴族家との交流も薄い、とくると警戒して当たり前なのかもしれなかった。

 自意識過剰でうぬぼれ過ぎで、証拠も確証も何もない話だけれども。


「どうぞ、お入りください」


 そしてメイドさんに通された部屋は、先ほどの部屋とは打って変って、落ち着いた雰囲気だった。部屋内には植物が生けられ、目を見張る様な美しい光景の絵画が飾られ、調度品も贅をこらしたものではなく招いた人間を落ち着けるようにシンプルなデザインだが品の良いものだった。何か落ち着く香の匂いが少しして、大きな窓からは庭園の美しさを一望することが出来た。

 極めつけが、ソファに座るとあらかじめ準備されていた紅茶が振舞われた。

 随分なVIP待遇だった。


「緊張しているのにからかってごめんね」


 いつの間にか眼鏡を取り、意志の強そうなその双眸を露わにしたメイドが、対面のソファに座っており、優雅に紅茶を口に運んでいた。


「あぁごめんごめん、ちょっと図々しかったかな。でもさ、陛下と謁見までまだ随分かかるから。話し相手が必要でしょ? それに去年まで私も学院生だったの、だからまぁ後輩と楽しくおしゃべりして合法的に仕事をサボれたらなって思うわけ。ちょっと付き合ってよ、レオナルド君」

 

 やりづらい人だな、と感じさせられる。

 猫を被っていたというより、オンオフの切り替えをしっかり出来る人なのだろうけれど、何が目的なのか分からない人は本当に苦手だ。特にその瞳。

 まっすぐに見つめてくる瞳には、俺を見透かそうとする意思が感じられて苦手だった。

 目を細め敵疑心を露わにしてしまいそうになる悪癖を無理やり笑顔を浮かべて押し込める。


「人が悪いですよ……えっと、何てお呼びすれば?」

「レイヴィン。っていうのが私の名前。君の好きなように呼んで欲しいな」

「では、レイさん。と」

「うん、改めて宜しくね、レオナルド君」


 にこやかな笑みを浮かべるレイさん。だがそれが手放しの笑顔であるはずがない。現状情報が足りなさ過ぎて何か出来る事はなかった。ただ和やかに、出来る限り穏便に済ませるのが関の山だった。


「そうそう、君を誤って裁判の判決待ちの控室に通してしまったのは完全なこちらの落ち度。それは本当にごめんね。いい訳だけど、最近この手の来訪ばっかりでさ、皆ちょっと参ってるんだよね」


 優雅な手つきで紅茶を口に運ぶレイさん。メイド然としていた時の様に頭を下げられることは無い。メイド服を着ているが、目の前にいるのは社交界という魔窟を生きる貴族が居ると思うべきだろう。洗練されたその動きは目を奪われるが、何か隙を見せれば、後からそれをネタに殺されかねない。

 出来るだけ笑顔を崩さずにこの場をやりきろうと、紅茶を口に運びながら頭を巡らす。


「何か本当にごめんね。君にリラックスして欲しいだけなんだけど、何か変に警戒させちゃったね。最初に王宮の怖いところを見せちゃったけれど、王宮に居る皆が君を歓迎しているんだよ。私も含めてね。自分の家の様に、ってのは無理だと思うけどそんなに気を張らなくても大丈夫。敵なんていないよ」

「……もしかして言葉にしていましたか?」

「してないよ。それは全然大丈夫。 でも肩が明らかにこわばっているし、そのせいで紅茶を口に運ぶ動作がちょっとぎこちなくなっちゃってる。それと後は視線かな。 警戒しないようにしてるってのが、分かっちゃうかな。笑っていても目の奥がこっちを睨んでいるっていうか、馴れ馴れしいメイドを見るにしては、ちょっと険が強すぎるかな」


 実に楽しそうに笑みを浮かべるレイさん。冷汗が頬を伝う。

 分かっていた事だけれど、やはりこの人は唯者ではない。

 降参したとばかりに軽く両手の平を見せて、少し空気の弛緩を試みる。


「恐れ入りました、何者ですか? 貴女は」

「ただの王宮で働く行儀見習いだよ。実はメイド服は借り物で、本当はただの貴族の小娘。今時行儀見習いなんて何周時代遅れだよって話だよね。 で、退屈して噂の英雄にちょっかいをかけてみてる訳」


 あっけらかんと白状するレイさん。全部は語っていないが話した事に嘘は無いだろう。でなければメイドと言い張っている訳なのだし。


「一応確認しますが、本当はさっきの控室で待っているのが正しいっていうオチですか?」

「あぁごめんごめん。私が本当にややこしくしちゃったね。君が間違った場所に連れていかれたのは本当。王様の謁見にまで時間がかかるから話し相手を命じられたのも本当。でもちょっと揶揄いたくってメイドの振りをしちゃったの。本当にごめんね、考え無しに動くアホなんだよね、私」


 ネタ晴らしとでも言わんばかりににこにこと話す彼女、少し毒気が抜けたような気分になる。

 回りくどい事をしている面倒くさい人、という印象も強いが、面白い人、という認識も強い。何だかするりと警戒心の隙間を抜け、近くにまで来られたような印象だ。そしてそれが嫌ではない、不思議な人だった。

 少なくても、俺が今まで出会ってきた貴族という人たちの中で、彼女のような人物は間違いなく初めてだった。

 

「おっ、やっと笑ってくれたね。ちょっとはリラックスできた?」

「笑っていましたか? 俺」

「笑ってた、笑ってた。 口元が少しだけにやっとしてた。 いやー良かったよ。ゲストを困らせたってバレたらさ、後で凄く怒られるんだよね。お姉さん、助かったわ」

「……ははは」

「あれ? もしかして3つも年が違うともうババアじゃんとか思っちゃう人?」

「いやいやそんな事無いですよ、何言ってるんですか」

「ははーん。こういう攻め方の方が動揺を誘えるんだ。覚えちゃったな」

「あの本当に勘弁してください、こういう絡まれ方はあんまり好きじゃないんです」

「あはは、少し顔が赤いよ。レオナルド君。 ウブだねぇ。 でもその位の方がいいよ君は。すかした男を気取ってるのは似合わない。こっちの素直な方が素敵だよ」

「いやもう本当に、あまり揶揄わないでください」

「あはは、何かごめんね。 少し仲良くなれたみたいで嬉しくてなっちゃった」

 

 そうして一息つく。紅茶を飲み干すと、何も言わないのに2杯目がカップに注がれる。こうして黙っていると本当に綺麗な人なのに、話し始めると愉快な人だった。そして俺に見せてくれた面ではなく、まだまだ隠しているものもある。恐らく彼女が話した言葉の中に幾らか嘘も混じっているのだろう。

 本音も虚実も、幾らでも違う顔を持つ、捉えどころのない人だった。


 それからしばらくレイさんと談笑を交わし、時間が過ぎていった。

 部屋から除く庭に、木々の影が長く伸び、芝生の緑に茜が差すような夕暮れが近づいた頃。はたと、彼女が会話を打ち切った。


「いい加減そろそろだね。準備しよっか」


 唐突に彼女はそう言い立ち上がると、俺の事も立ち上がらせ、持っていたブラシで服の埃を払ってくれ、ネクタイの歪み迄直してもらってしまった。

 そして髪まで整えて貰ってしまう。そこまでしてもらう訳には行かない、と言葉が出かかったが、メイド服姿であまりに機敏に動く彼女を止める事は出来なかった。それに、彼女の談笑で考えずに済んでいたが、これから国王との謁見がある事を思い出すと緊張がぶり返してきたせいでもある。


「これでよしっと。 うん、格好いいよ」

「すみません、レイさん。 本当に助かりました」

「いいのいいの、今の私は謎のメイドだから」

「ははっ、何ですかそれ」

「ね、何だろうね」


 そんな軽口の応酬。国王との謁見までにこれほど待つことになるとは思わなかったが、レイさんという話し相手がいて本当に助かった。


「あ、ごめん。 髪にごみついてるからちょっと屈んでくれる?」


 そう言われ、素直に指示に従った時だった。

 不意に彼女が近づいてきて、唇に彼女の唇が触れられた。

 柔らかい、感触。


 吃驚して後ずさった時、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。

 何故そんなことをしたのか、唇が柔らかかったとか、頭が混乱している最中、彼女が声を震わせながら口にした。


「メリーナ領のこと、本当にありがとう。私の家族も、あの街に居たんだ」


 それだけを告げて、彼女は脱兎のごとく部屋を後にした。

 放心していると、開け放たれた扉の隙間から彼女が顔を覗かせてまた話し出す。


「もしもまた会う事があったら、もっと仲良くなりたいな。それじゃあね」


 それが最後のセリフだった。

 頭の中で色んなことがぐわぐわんと回り、動揺が隠せないでいる時、本の数分程しか経っていないのに、黒い執事服に身を包んだ男の姿があった。彼が大仰に告げる。


「レオナルド・フォン・ロートブルグ様ですね。大変お待たせ致しました。国王陛下がお呼びです。謁見の間へご案内いたします」

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