第33話 再会

 心情的な決着も付いた今。戦略的にもこの誘いに乗るのは一つの正解だった。

 戦況が膠着し何も打開策が無い現状。危険な選択もやむを得ない状況だった。

 アリーさんの誘いに乗る、という決断を下し、俺は今彼女に連れられ王都の外れに来ていた。

 

 離宮の時と同じように、こんな場所に。という場所に転移の魔道具がある。

 夜半。アリーさんから魔晶石と要塞内の見取り図を貰い、侯爵家の軍服に着替え準備を整える。

 そして魔道具を発動した。


 光の奔流と目まぐるしい風に身を任せると、次の瞬間には要塞内と思しき場所にいる。

 侯爵家の私兵が用いる軍服を着ているとはいえ、俺は完全な部外者。もしも怪しまれ顔を見られるような事があれば一発で潜入がばれる。だが、堂々と振舞っている必要もあった。

 出来る限り、要塞内を見回っている歩哨に見つからないように、目的の場所、侯爵の私室へと慎重に向かった。


 そして私室の前に辿り着く。あっけないほど簡単に。

 転移の魔道具部屋に敵が待ち構えている、というケースも想定していたがこうして侯爵の前にまでやってこれてしまった。もし罠があるとしたら、この部屋だった。

 一度深呼吸をし、私室の扉を開けた。


 部屋の中には侯爵がただ一人でいた。

 こんな夜中にも関わらず、机に向かって事務仕事に没頭しているようだった。

 ランプの灯りに照らされたその顔は、少し老け込んだように見えた。年齢と見た目が乖離する若々しい人だったが、年相応の姿だった。それどころか落ちくぼんだ目やこけた頬を見る限り、やつれきったようにも見えた。


「いつか来ると思っていたよ」


 侵入者に気付いた侯爵は、穏やかにそう告げる。

 予想外の反応に少し戸惑ってしまう。


「暗殺者が幾ら来ても大丈夫な仕掛けがあるのですか?」


 少しズレた事を口走ってしまった。侯爵は俺の言を一笑し、答えを教えてくれる。


「この城の”転移”が出来る場所は限られている。知っている人間もね。誰かを連れてくるとしたら君だと、覚悟していただけの話だよ。 さて、出涸らしの紅茶ですまないが少し話でもしよう。そのくらいの慈悲は、あるのだろう?」

「…………」


 完全に彼のペースに乗せられている事は癪だったが、応じない理由は無かった。

 侯爵に促されるままに、ソファに腰かけ、彼が振舞ってくれたお茶を口に運ぶ。

 薄い紅茶だ。思わず顔をしかめると、侯爵が乾いた笑いを浮かべる。


「この味が好きだったんだがね。全て使ってしまった。今は本の慰みに出涸らしで飲んだ気になっているんだよ」


 別の紅茶を呑めば、と思うが口にはしない。侯爵は砂糖やミルクをたっぷりと淹れ、味を整えている。

 少し弛緩した空気になる。彼がカップを机に戻したのを見届けてから、ずっと抱えていた疑問を問う。


「何故こんなバカげたことをしたんです?」


 簡単に答えが返ってくる問いではない事は分かっていたが、尋ねずにはいられなかった。

 現状の戦況が示している通り、この反乱に展望は無い。王家に一矢報いる事は出来たかもしれないが、それだけでしかない。

 彼が狂った、という答えの方が余程納得できるほどだった。


「バカげたこと、か……。まぁそうとしか見えないよな。君にも随分迷惑をかけ、難しい立場に置かせてしまったし」


 彼が自身に問いかけるように、感情の無い声で言葉を紡いでいく。


「遅すぎた、くらいなんだよ。気が付いた時には滅びるしかない状況に置かれていたとしたら、君はどうする? 座して死を待つかね? 戦って誇りをもって散るかね?」

「………………」

「侯爵家だけを残す手段なら幾らもあったんだ。娘を君に嫁がせようとしたのもその一環だ。だがそれでどうなる? 各諸侯が王家によって簒奪される中、我々だけが生き残っても仕方がないだろう」

「……例えそうだとしても、それが内戦を起していい理由にはならないし、ましてやドラゴンを兵器として使っていい理由にはならないですよ」

「王国では、そう、なっているんだったね。ドラゴンを使ったのは我々じゃない。王家だよ」

「そんな筈はない。王都襲撃時に、王国自身が王都にドラゴンを放つ理由などない。馬鹿にするのもいい加減していただきたい」

「考えてみたまえ」


 つい声を上げてしまった俺を諭すような侯爵の低く冷たい声。


「そんなものを私が使えるなら、メリーナ領で娘を巻き込む様な形で実験を行うかね? 王都で無差別に暴れさせると思うかね? そんな訳がない。他の全てを置いてもまずは国王の首を狙っただろう。こんな消耗戦になる前に要所でとっくに投入していたとは思わないかね」

「……王家が、王都を滅茶苦茶にする理由がない、でしょう。そんなことをしても何の得もない」

「キレイに我々がクーデターを起こした事になったじゃないか。王都で我々がやったのは、学院の生徒を回収した事だけだ。何か不測の事態があった時に、後ろ盾のない者を保護するように決めていただけだ。それに、王都の復興は誰が担っている? 王家や法服貴族が自分の私財を投げ打つような事はあったかね?」


 冷汗が止まらない。

 ぱちりぱちりと、脳内でパズルが組みあがっていく。


「信じ難いだろうがね。王家にとって我々は共に王国を盛り立てる仲間ではなく、王国を蝕む害虫でしかなかったのだよ。どんなカラクリか終ぞ分からなかったが、ドラゴンという兵器を手に入れた事で国内の掃除を始めた訳さ。そしてその野望は国内だけに留まらず大陸中に恐怖を撒き散らすだろう」

「そこまで分かっているなら――――」

「だから最初に言っただろう。遅すぎた、と。いつからこんな画が描かれていたかは知らないがね、メリーナ領でドラゴンが召喚された時には全て決着していたのだよ」


 言い返す言葉が見つからなかった。

 確証はない。確たる証拠はなく侯爵の言葉だけだ。

 だが、目の前の男は無念を、恨みすら籠ったような眼を浮かべている。

 俺が知る限り、この人は道理に外れる事が出来ない人だ。必要なら数千の命を見捨てることが出来ても、己の私欲の為に犠牲にすることは出来ない人だ。


 それにすとんと腑に落ちる事もある。

 王都で放たれたドラゴンは6匹。内5匹は王家の騎士団が討伐した。壊滅したとか、甚大な被害があったとは聞かなかった。自分を棚に上げる訳では無いが、事前の準備なしで討伐が出来た等考えにくい。

 まだ確証はない。

 

「さて。紅茶も飲み終えてしまったし、君は君の為すべきことをしたまえ」


 そう言って侯爵が短剣を差し出してくる。

 

「恨んでいないのですか、俺の事?」

「恨む? そんな理由などどこにもないよ。思う所が無い訳ではないがね。だが、全ては巡り合わせが悪かっただけさ。義息子になったかもしれない者に介錯されるなら悪くない」

「介錯って、どういう意味ですか侯爵」

「末期の水、じゃないがね。さっきの紅茶に毒を入れたんだ。もちろん私の分だけにな。数分後に私はもがき苦しみ死ぬだろう。その前に介錯を頼むよ」


 侯爵の眼に、先ほどまでの強い意思がない。あるのは何もかも諦めた諦観だけ。

 

「勝手が過ぎますよ」

「いささかくたびれたのだよ。反乱など私の柄ではなかった。そして罪人として裁かれて死ぬのもごめんだ。格式ある死を頼むよ」

「貴方はそれでいいかもしれませんが、この戦争をどうやって決着させるつもりです」

「王国の新たな英雄が、反乱の首謀者を討ち取った。これ以上ない筋書きだろう」


 そこまで言って、侯爵がひどくせき込み始める。


「頼んだよ、レオナルド」


 この1年で、良くも悪くも人の死には慣れてしまっていた。

 敵兵を屠るだけでなく、助からない味方も幾人も殺めてきた。

 侯爵が渡してきた短剣は、刃の付いていないミセリコルデ。天使の意匠があしらわれたその短剣は使い込まれた形跡があって、この戦いで彼もまた数多の命を看取ってきたのだった。


 一撃で、うめき声も無く、命を終わらせる。


 侯爵の表情に苦しみは無かった。

 胸に突き立てたミセリコルデはそのままにして、彼の服装を整える。暗殺者の手にかかったのではなく、自ら死を選んだことが誰からも分かる様に。

 そうして、その場に侯爵の遺体を残し、彼の首の代わりに冠を拝借し、この場を立ち去ろうとした時だった。

 トントンと部屋がノックされ開け放たれる。


「お父様? こんな時間にまでおしご――――――」


 一番、見られてはいけない人に見られてしまった。

 久しぶりに見るフィオナは、少し痩せたように見えた。けれど簡易的な装いながら、それがかえって彼女の魅力を引き立てているようで、この1年でその美しさに磨きがかかったみたいだった。


「何故、ですか? レオナルド」


 俺がここに居る事に対してか、侯爵の胸に短剣が刺し貫かれている事に対してか。定かではない。

 彼女は叫び声を上げるでもなく、罵声を浴びせるでもなく、茫然とするばかりだった。

 

 この場所に来たときは、炎魔法の行使をチラつかせて侯爵に降伏を迫るつもりだった。そうでなくても交渉の窓口が作れればと思っていた。

 それが暗殺者紛いの事をしているのだから、ままならない。

 フィオナとも、何か言葉が交わせるかもしれない。そんな甘い期待があった。

 だが、父親殺しの仇となった今。俺が言って許される言葉は何も無かった。

 信じられない、或いは信じたくないものを見る様な目でこちらを見ているフィオナに、意識して平坦な言葉を紡ぐ。

 

「侯爵閣下は亡くなられた。彼の死を理由に反乱を止めろ。これから先の死は完全な無駄死にだ。俺も出来る限りのことをするから」


 出来る限りの事とは何か。随分白々しい事を言っている自覚があったが、言わずにはいられなかった。


 フィオナとすれ違う。

 背後で、彼女が膝から崩れ落ちる音が聞こえた。だが振り返る訳にはいかなかった。

 罵声を浴びせられたり、背後から刺してくれればよかった。

 彼女なら甘んじて受け入れるつもりだったのに。聞こえてくるのは彼女のむせび泣く声だけだった。

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