第32話 裏切りと決断

「早速ですがアリーさん。王太后陛下からはどんな託を?」

「いえ、王太后陛下にお願いして私がレオナルド様にお会いする事を願ったのです」

「では俺に何の用でしょうか」

「フィオナ様の事です」


 分かっていた事だが、その名前が出た事で場の空気に緊張が走る。

 フィオナは俺の元婚約者で、ミスティリーナ侯爵が王国に反乱を起こした事で共に逆賊となった人。

 この1年で特に風向きが変わり、昔あった清廉潔白なイメージは無くなり、学院で数多の生徒を魔道に引き込み遂には学院を破壊するに至った稀代の悪女となってしまった。

 彼女を知る俺には複雑な心境だが。彼女はもう懸賞金が掛けられるような王国の敵だった。

 レイさんからすればもっと複雑な心境なのだろう。彼女はつとめて笑顔を浮かべているが、この笑顔を内心を隠す為の笑顔だった。


「詳しく話していただけますか」

「えぇ。私はつい先日までフィオナ様の元でメイドをしていました。あの方はとてもお優しい方で、私たちにお心を砕きながらお父上の仕事も良く補佐されています。今日まで侯爵領が持ちこたえているのは一重にお嬢様のお陰です」

「…………続けていただけますか」

「そのお嬢様が衰弱なさっておいでて、見ていられないのです。毎日、うわ言の様にあなたの名前を仰るんですレオナルド様」


 アリーさんの目が真剣に俺に向けられている。

 非難するよう、には見えない。でも何かを訴えるように強い意思が込められている。


 レイさんの様子はうかがう事が出来ない。

 この期に及んでまだ、清算しきれていない気持ちが残っているのかもしれなかった。


「……それが、わざわざ敵である俺に会いに来る理由になるのですか?」


 口を付いて出てきた疑問は、至極当然のものだった。

 そもそも彼女が王太后と連絡が付いた事すら驚くべき事だった。

 ユリ様の底知れなさを感じながら、彼女の答えを待った。


「侯爵家を滅ぼしてほしいのです。私は侯爵が拠点を置く城塞へと続く転移の魔道具の場所を知っています」


 信念が込められた淀みない言葉。

 だが何もかもが異常だった。

 一介のメイドがそんな事を知る事も、敵に伝えに来ることも、彼女の堂に入った覚悟も。


「それがどういう意味か分かっているのですか」

「もちろんです。私は主人を売りに来ました」

「……信じられると思いますか? 俺は貴女のことをほとんど知らないが、フィオナは貴女を姉の様に慕っているようでした。貴女自身も侯爵家から過分な待遇を受けていたでしょう。そんな貴女が主人を裏切る等到底信じられない」


 彼女の真意が分からず、問いただすように訪ね返しても、彼女の言葉には確固とした覚悟が見受けられる。

 つい横目でレイさんに助けを請うが、彼女も目の前の女性を計りかねている様子だった。

 

「姉の様に慕っている。レオナルド様からはそのように見えましたか」

「えぇ。俺にはそう見えましたよ」

「そう、でしたか。でしたらそれが答えですわ。私は侯爵がメイドに産ませた娘。フィオナとは異母姉妹ですのよ」


 彼女が髪をまとめていた髪留めを解く。

 ふわりと解き放たれた髪はフィオナと同じ紫髪に染まっていく。

 髪を解いたアリーの姿は、確かにフィオナと似ていた。髪色が違い装いや佇まいが違うせいで気にすることは無いが、澄ました顔で少し自信ありげな微笑みをその紫髪で浮かべていると、フィオナと面影が重なった。

 思わず面食らってしまうが、隣でレイさんがわざとらしく咳ばらいをしてくれたおかげで正気に戻る。


「驚きました。このような魔道具もあるのですね」

「えぇ。生まれた時から侯爵から与えられたものです。王国でこの色は目立ってしまいますから」

「……しかしそれが侯爵に反旗を翻す理由にならない。むしろ父親を売るということになります」

「えぇ、父親だから売るんです。むしろ私の手で彼を討ちたいのです」


 正体を現してからも、アリーさんの覚悟に満ちた様子は変わらない。

 そして俺の疑問に答えるように、口を開く。


「今、侯爵領は侯爵とフィオナの尽力で持っています。戦況が大きく変わらなければ十年でも持ちこたえてしまいます。王国を滅ぼす手段や他国との密約があれば話は別ですが、ただ成り行きで逆賊となった侯爵家は耐える事しか出来ないのです。十年もただ耐える戦争では領土と領民はただ疲弊するだけです。フィオナも、擦り切れるまで頑張ってしまうでしょう。誰かが幕を引く決断をしなければ」


 確固とした覚悟の理由が明らかになった。

 彼女の言葉に、どこまで真実があるのか検討の余地はあったが。嘘はないように思えた。


「随分高潔な決断ですね」


 皮肉たっぷりの俺の言葉に、彼女は笑っていた。

 毒を呑み干す覚悟が定まっている。その姿は少し眩しい。

 

 

 アリーさんを下がらせた後、妻であるレイさんとの2人きりとなる。

 すっかりと冷めてしまった紅茶を飲み干しながら、彼女の意見を求める。


「信用してもいいと思う?」

「……普通なら罠だと思うよ」


 彼女の答えは至極当然のものだった。

 俺ではどうしても正常な決断は出来ないから、彼女のその冷静な意見は有難かった。


 アリーさんは侯爵が居る要塞へ繋がる転移の魔道具の場所を知っていると言った。それを使って送り込める人間は1人だけ。敵地にわざわざ人質となる人間を送り届ける様な行為だ。

 俺に話を持ってきたということは、反乱軍も俺を危険視しているということだ。

 フィオナの事で俺を釣って、のこのこ現れた所を謀殺する。救国の英雄なんてものになってしまった俺の首を取れば、王国の士気は大いに下がり、反乱軍はうなぎ登りとなることだろう。

 そうではくても、たった一人で数千を薙ぎ払う怪物はどうにか駆除したいはずだった。

 それが分かっているのに。

 これが絶好で最後の好機だと思ってもしまっている。


 フィオナと話が出来るとしたらこのタイミングだけだった。

 

 それに、彼女は王国を滅ぼす手段はない、と言い切った。それは、ドラゴンの大量召喚がもう出来ない。という物言いにも聞こえる。あるいはドラゴン召喚の技術などそもそも無かったとも。

 確かめようと思えば、直接侯爵に問いただすしかなかった。


 死地に飛び込む。

 これがどんなに危険な行為だと分かっていながら、気持ちが逸る。


「俺はこの誘いに乗ってみようかと思う」

「……それはフィオナさんに会いたいから?」


 レイさんの問いに、明確な答えを持っていない。

 今更会ってどうしようというのだろう。断頭台に彼女を捧げなければこの内戦は終わらない。

 だから今更会ったって詮無い事だ。


 魂を削る力ではあるが、炎の魔法を使えば数多の命を道連れに出来る。

 そういう力を持つ人間が、この死地に飛び込むべきだと思う。

 そう合理的に思う反面で、やはり確かにフィオナの存在がちらつくのも事実だった。


「心の一部はそう思っているのかもしれない」


 馬鹿正直に話さなくても、嘘を付くことも時には必要だと分かっているのに。馬鹿正直に俺はそう答えている。

 この1年。俺は彼女の存在なしに自分を保つことは出来なかった。だから彼女を自分の傍に留め続けた。

 だから彼女を一番に想い、その献身に報いなければならないのに。

 俺に愛想を尽かし離れてくれるなら、それが一番楽だとも思っている。


 レイさんの答えを待って。彼女は何かを言葉にする代わりに俺を強く抱きしめてきた。


「レイさん……?」


 返事を促しても、彼女は何も答えなかった。ただただ俺を強く抱きしめるだけだった。

 毎日、毎日。この温もりのお陰で生き永らえてきた。

 それを思い出させられるような行為だった。


「必ず帰ってくるから」


 結局根負けして柄にもないそんな事を答える。彼女の背中に手を回し、優しく擦れば、抱きしめてくる彼女の力が少し弱まる。

 自分が情けない奴だという事を思い知る。

 そして彼女がいるから今時分が生きているという事実も強烈に思い知った。

 この温もりを、手放すことが出来ない。

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