第34話 最後の逢瀬

 ミスティリーナ侯爵家の冠を手土産に侯爵を討ち取った事を報告し、反乱軍の動きも鈍った事で、停戦に向けて話し合いの場が設けられた。

 徹底抗戦を訴えた者たちも旗頭が居なくなったことで空中分解を初め、数カ月もすればごく一部のものが反乱を続けているという状態にまで情勢は落ち着き、ミスティリーナ侯爵の乱と呼ばれるこの混乱は一定の落ち着きを見せた。

 もちろん、血が流れなかった訳では無い。

 侯爵が突然死んだことで、反乱軍の各将軍は思い思いの行動を取り始め、玉砕するために無謀な戦闘を仕掛けたものも大勢いた。

 それでも反乱に関わった者は全て根伐りになるなんて大粛清にならなかったのは、フィオナの戦後処理に拠るところが大きかった。

 だが、それだけでは収まらない。

 誰かが目に見える形で落とし前を付けなければ、この戦争は終われない。

 当初は反乱軍のNO2と呼び声が高かった、ガレンティーノ伯爵が、反乱軍の長として断罪され処刑されるものとの見立てだったが、実際にはフィオナが反乱軍の長として断罪されることになった。


 どこで、どういう力が働いたかは不明だった。彼女は裁判日までの間、王都の外れに在る監獄に収監されることとなった。


 この数か月。

 出来る限りの和平交渉の為に尽力しながら、侯爵の言葉を確かめるように王家と王家に近い筋を探りドラゴン召喚技術について調査を行った。

 

 そして一つの結論に辿り着いた。

 俺たちがドラゴンと思っていたモノが、ゴーレムだったというものだ。

 王太后の元で見た、モノを収納しておく魔道具がある。あそこに高カロリーとなるよう生物の死体を入れて携帯し、魔晶石を核とするゴーレムを生成する魔道具を起動すると、生物の死体を原料とした肉塊のゴーレムが生成す出来る。

 ゴーレムを生成する際にドラゴンの姿を模る様に設定すれば、突然ドラゴンを出現させることが可能ということだった。

 タネが分かれば腹立たしいものだった。

 だがそんな技術のお陰で数多の人間が死んだ。そしてこれからも死んでいく。

 生物の死体は何でもいいというのだから、どこまでもふざけた話だった。


 まんまと騙されていた訳だ。

 そして何も知らずに加担していた訳だ。


 侯爵の代わりに国王と刺し違えてやろうと何度も思ったが、俺には出来なかった。

 レイさんやイルティナ達、子爵家の家族や領民たち。そしてフィオナの命。俺が短気を起せば連座になる尊いものが多すぎるのだった。


 フィオナの収監されている監獄に足が向いたのは、そんな無力感に打ちひしがれている時だった。


 彼女自身が面会を断っている事もあり訪れたところで意味なんて無い。足が向いても引き返すのが常だった。しかし今日はどうしても会いたかった。

 恨み言の一つでも言って欲しいのだと思う。

 愚かな自分を誰かに責めて欲しかった。

 それすらも彼女にしてみれば冒涜行為かもしれなかったが。足が向く。

 彼女に合わせる顔など無いのは百も承知だが、このまま逢わないでいれば、おそらく一生後悔するであろう確信があった。

 

 

「これはロートブルグ伯爵閣下。よくおいでくださいました」


 監獄に訪れると、兵士からそう挨拶を交わされる。

 レイさんに促され最低限貴族らしい服装を心がけているが、一目でロートブルグだとわかるような紋章等は入れていない。

 この戦争であらゆる戦場に顔を出していたからそのせいで名前と顔を覚えられていたらしかった。

 

「収監されている囚人に、フィオナ・フォン・ミスティリーナ嬢と面会がしたい」

「生憎ですが閣下、その囚人との面会は出来ません」

「せめてレオナルドが話したがってる、と伝えてはくれないか」

「申し訳ありません。国王陛下から直々に誰とも会わせるなと厳命されております」

「……そうか。お役目ご苦労」


 食い下がった所でなしのつぶて。本人からの面会拒否だけでなく、国王直々の厳命まである。自意識過剰かもしれないが、絶対に俺と会わせるな。ということなのだろう。

 兵士にもう一度向き合う。


「どうしても無理か」


 これでもかと近づいて彼と目を会わせる。脅す、訳では無いが自分の覚悟が伝わる様に。

 気まずく思わず目を背けてしまっている彼が、わざとらしくすっと道を開けてくれる。


「これは独り言ですが、西棟の最上階です」

「ありがとう感謝するよ」

「……バリエール平原では閣下に命を救われました。その閣下からの頼みですから。っとすみませんこれも独り言です」

「すまない。本当にありがとう」


 気のいい兵士に再度感謝して、西棟の最上階へと向かう。


 この石造りの監獄は、古い建物であり衛生的な面ではお世辞にもいい場所とは言えなかった。故に、貴族階級の人間が収監される時は、斜塔の出来る限り高い階層の独房に入れられる事になる。

 そこでは小さな隙間の採光窓から王都が覗けるらしく、思案に更けざるを得ないと聞く。

 今彼女は何を考えているのだろうか。そう想いを馳せながら階段を駆け上っていく。

 

 独房の前には1人の看守が居た。

 老齢の婦人だ。彼女は俺の存在に気付くと、眼鏡をかけながら話してくる。


「はて。誰も通さないということでしたがどなたでしょうか」

「レオナルド・フォン・ロートブルグと申します」

「あぁ貴方が噂の。お話は聞いていますよ」


 そう言ってぐっと力を込めて、よろよろと立ち上がる。


「貴方だけは通すなと王様から厳命されておりましてね」


 淡々とそう告げながら俺の方へと向かい、敵愾心もなく通り過ぎ、ゆっくりと階段を降り始めた。


「でも王太后様には随分助けていただきましてな。丁度用を足しに下に降りようと思っておりましてね。十分ほどですが、留守を頼みますよ」


 そういって看守の老婆は、不自然なほど重い足取りで階段を下りて行った。

 皆の心憎い対応に、少し目頭が熱くなる。


 会える、なんて思っていなかったのに。幸運が重なってこんな好機を得た。

 上気し興奮している自分を宥めるように息を整え、そして独房の重い扉を叩いた。


「誰です? 食事の時間には早いですよ」


 こんな所に居ても変わらない。鈴の様なフィオナの声だった。

 逸る気持ちを抑えながら言葉を紡ぐ。

 

「レオナルドです。無理を言って少しだけ時間を頂きました」


 俺の声にしばらくの間何も返答は無かった。ただ彼女が近づいてくる気配がして、そして扉越しにさっきよりもずっと近くから彼女の声がする。


「本当にレオナルドですか」

「えぇ、いや本当だよ。フィオナ」


 つい敬語になろうとする癖を止めながら、そう答える。

 今更何し来たのだと自分でも思いながら彼女の言葉を待つ。


「……ずっと、会いたかった」


 その言葉は俺には救いだった。罵倒されるのではないか、拒絶されるのではないか。そもそも取り合ってすらもらえないのではないかと、ぐるぐると頭を巡っていた者が一斉に四散する。

 胸の奥から熱くなる。贖罪が果たされたような気分になるほどに。

 かたんと音がして、扉横の小さな配膳用の窓から彼女の手が伸びてくる。


「手を、握ってくれますか?」


 断る理由があるはずなく、手と手が重なる。本当にお互いであるかを確かめるように触れ合った後、指と指が絡まる様な触り方で落ち着く。


「あぁ。本当にレオナルドだ」

「息災、でしたか? 何か困っている事はありませんか?」

「ふふっ。あいかわらずだねレオナルドは。敬語に戻ってる」

「いや、これは、その。……少し緊張しているんだ」

「うん。私も。まさか会えるって思っていなかったから」


 絡め合った指が少し力を込めて握られる。


「お父様の事、申し訳ありませんでした」


 もっと気の利いた、この場面で他に喋る事があるはずなのに、真っ先のその言葉が出てくる。

 ほんの少しだけ言い淀む様な沈黙の後、フィオナが答えてくれる。


「……最初は受け入れられませんでしたが、今はレオナルドが看取ってくれたと思えるようになりました。ここは考える時間だけは沢山ありますから。父は安らかな顔でしたし、彼の部屋から毒物の小瓶も見つかったんです」

「そう言ってもらえると、少し胸のつかえがとれました」

「良かったです。いえ、良くはないのですけれど、でも良かったです」


 彼女の言葉に、涙が音もなく頬を伝っていた。

 慌ててそれを強く拭き取る。ここに誰かが居る訳でもないのに。

 許されない事をした。彼女が許してくれたとしても、生涯この棘は残り続ける。それでも、許された気がした。

 今何かを喋ると涙声になってしまいそうで言葉を紡げない。フィオナも何を話すべきか戸惑っているようだった。

 あまりにも色んなことが起きたから、俺達の間の距離は随分と広がったものになってしまっていた。


「……1年、逢わなかったというだけなのに、すっかり他人に戻ってしまいましたね。もしもレオナルドと逢えたらどんな話をしようって空想していたのに、いざ逢ってしまうと何を話せばいいか分からないのですね」


 苦笑交じりの彼女の言葉に、努めて能天気な事を言ってみる。

 

「でしたら何か楽しい話を、しようか」

「楽しい話?」

「えぇ。昔した設定を、やってみたい事を話してみましょうか。ただのレオナルドとフィオナで、何でも出来るとしたらどんな事がやりたいか」

「何でも、って範囲が広すぎませんか?」

「では真っ先に思ったことで。一番最初にやってみたいと思ったことを教えてください」


 いつかした、ままごと。

 こんな空想は叶わない出来事で、意味のない事だけど。慰みにはなることを願って。


「そう、ですね。レオナルドと冒険者になって旅に行きたい、かな」

「冒険者ですか? 意外なところが来ましたね」

「えぇ。フィオナさんとお話しする機会があって、冒険者の夢の事を教えてもらいました。もしも叶うなら私も旅がしてみたいです」

「いいね。何処かの草原で野営して、満点の星空を眺めたいね」

「星が見たいって話、覚えててくれたんだ」

「自分で言った事だからな。旅で他に行ってみたい所はある?」

「それならお婆様の故郷に行ってみたいかな。いつも故郷の事を話してくれたから、ずっと行ってみたかったんだ」

「いいね。旅に張り合いが出るね」


 話が弾んでいく。

 話始めれば、両者の時間の溝は急速に埋まっていく。

 

 でもいつまでもそうしていられる訳じゃない。

 制限時間付の逢瀬だから。夢だけを見ている訳にはいかない。

 誰かが階段を登る音が聞こえて終わりが迫っている事を知らせる。

 冒険者の夢の話が一区切りすると、用意していた話題をするように整然とフィオナが尋ねてくる。

 

「ねぇレオナルド。メリーナ領での最後の夜の事覚えてる?」

「覚えてるよ。フィオナが妖精の仮装で俺が真っ赤なテールコートを着て、ダンスを踊ったよな」

「よく覚えてくれてるね。……うん、その時の衣装の演目の話を覚えてるかな。第一幕が一夜限りの逢瀬のお話で第二幕が覚悟のお話って話」

「あぁ。第二幕は戦争の話で最近は演じられることが無いって言ってたよな」

「うん。その2幕ではさ、ヒロインは自分の種族を裏切ってでも主人公の下に行って同胞と戦うんだよね。……時間があるから、そのお話の事をどうしても考えちゃうんだけど。あのヒロインと私が置かれた状況はとても似てたよね」


 厚い扉で隔たれて、小さな窓から差し出された手だけが繋がっているだけだから、フィオナの様子が分かる訳なんて無いのに。彼女の瞳から涙が零れ落ちている幻視をする。


「でも何度考えても、レオナルドと一緒にお父様と戦う事は出来ないの。何度考えても。

 私はどうしたってミスティリーナ侯爵令嬢だから。貴方の重荷になるだけなんだよね」


 繋がれた手が一際強く握られる。


「今でも私と貴方は運命だって信じてる。生まれた時から決まっていて、貴方だけを見て、いつもドキドキしてた。でも赤い糸じゃなかったみたい」

 

 そしてすっと擦り抜けるみたいに手と手が離された。


「来てくれて、最後に想い出をくれてありがとう。レイヴィンさんと幸せになってね」

 

 それが最後の言葉だった。

 もう看守の老婆が戻ってきていて、この逢瀬を続けることは許されなかった。

 俺がここに来たことが公になってはいけないから、申し訳なさそうな顔をする兵士たちに監獄の外にまで連れ出されてしまう。

 別れの覚悟を決めに行ったはずなのに。フィオナはどんな顔を浮かべていたのか。

 そればかりが気になった。

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