第35話 帰ってきた日常
内戦が一定の終結をみせ、俺達は王都で時間を持て余していた。
崩壊した学院の再会はまだ目途が立っていない。学院生だったものには卒業証明証なるものが配られる事になり学院を卒業した事になるらしい。
あの場所で友達と呼べる人間は俺にはごく少数だったけれど、大勢の生徒が死んだ。
王家としては侯爵家の力を削いだ今、強制人質供出システムの役割は終えたということなのだろう。王家がこの一連の騒動で得た領地とドラゴンという兵器があれば、王国内のパワーバランスはもちろん、大陸でも有数の力を手に入れた事になる。
そこに、正義とか、人を惹き付ける魅力があるのかは疑問だが、お得意のプロバガンダでどうとでもするのだろう。
自分の身の振り方については答えが出ない。
心情的には王家に忠誠を誓うのは死んでもご免だった。だが、そんな心情を押し殺してでも守らなくてはならないものがある。
だから、領地に引きこもり何も見ないフリをするのか、王の元で尻尾を振りながら寝首を掻く好機を待ち続けるのか。という2択になる。
その決心について答えが出ない。
王都の、間借りしているブラックウェル伯爵家の一室に、レグゾールとディリアス、そしてイルティナが訪れてくれていた。
レイさんが気を回してくれ、度々彼らを呼んでお茶会が催される。
最近はどうしても深刻になりがちなので、彼等の明るい様子は非常に眩しく、ありがたかった。
「……という訳でよ。俺の恋は終わりを告げてしまった訳だ。もう吹っ切れたがな」
今はレグゾールの失恋話で話に花が咲いている。
もうずいぶん昔の事に思えるが、メリーナ領で仲良くなった恋人と最近まで関係が続いていたそうだがこの戦乱で思う様に逢えなくなり会う頻度が月1のような状況が続いており、相手から”運命の人と出会ってしまった”と別れを切り出されたという事だ。思わず酒でも提供してやりたくなる話題だが、彼は努めて明るく、笑い話として話してくれている。
「まぁ次の恋を探しなよ」
ポンポンと肩を叩いてやるイルティナ。
「その、なんだ。この後に告げるのもなんだがな。実は俺には彼女が出来た」
「は? てめぇなんで親友が失意のどん底にいるってのに幸せになってやがんだ」
「幸せになるのは俺の勝手だろう。大体俺とお前は断じて親友ではない」
いつも通り、レグゾールとディリアスがじゃれ合っている。
平和な、懐かしいやり取りを眺めながら紅茶を啜る。
「それでお相手はどんな方?」
気の利くレイさんが、ディリアスに水を向ける。
レグゾールに襟首をつかまれているディリアスが話し出す。
「えぇ。王都の復興時に知り合ったんですが、彼女軍の救護兵をしていまして、物資の受け渡しの時にいつも応対してくれる女性で、その時に向こうから声をかけられお会いするようになりまして」
「へー、じゃあ白衣の天使さんと付き合ってるんだ。お名前は?」
「アリスちゃんっていうんです。これがまた凄い可愛らしい人で」
「ん? アリス?」
「おう、アリスちゃんだ。呼び捨てにしてんじゃねーぞ」
空気が一瞬おかしくなる。勘のいいイルティナはそっと2人から離れ、レイさんはニコニコと実に楽しそうに笑っている。2人の様子を見て俺もティーポッドを安全な場所に避難させる。
「軍の救護兵って、もしかして第三分隊か?」
「あぁ、そうだぞ。……いやちょっとまて、アリスって名前は一般的な名前だからそれはないだろう」
「騎士の、家の子か?」
「そう聞いているが……もしかして貴様か? 別れたのにしつこく付き纏うストーカー野郎というのは」
「親友の彼女を寝取るとはこのクサレ外道に言われたくない! 恋人のいる女に色目使いやがって!」
「何が吹っ切れただ、未練たらたらじゃねーか」
「俺がどれだけアリスに貢いだと思ってるんだこの間男野郎が!」
「呼び捨てにしてんじゃねーぞ凸介野郎!」
そして取っ組み合いが始まる。
外野にいる分には面白い話だが、当事者にとっては堪らない事態だ。
世の中には罪作りな女性がいるものだ。
部屋にある調度品は壊したら弁償だからな。というセリフがトドメになって取っ組み合いは終わり、お茶会が終われば2人はすごすごと帰っていく。
相続権がない男爵家の次男や3男坊で学院に通う生徒は学院で立場が無い。自然と女生徒との関りが減るため、数多の恋を経験した騎士家のお嬢様方にとっては体のいいカモ、という俗説があるのだがわざわざ言う必要も無いだろう。
絶縁しかねない喧嘩別れだが案外早くディリアスを宥める会が発足されるような気もした。
イルティナも伯爵邸を後にする。
彼女には、約束を果たしたのかと尋ねられていた。それに”あぁ”とだけ答えるとそれ以上彼女は何も問うてこなかった。どれだけ納得が出来ない事でも呑み込まなくてはならない事は多い、とくにこんな時代だと。いつの間にか彼女の中で折り合いがついているようだ。
だが、彼女との間柄はぎくしゃくしている。昔の様な気の置けない友人に戻る事は出来ないのだろう。イルティナとフィオナは、俺の知らない所で友人になっていた様だ。そして俺はその友人を助けられなかった間抜けなのだから。
「レオの友人は賑やかでいいね」
カップや菓子の残りを率先して片付けながら、レイさんが言う。
皆に中てられて彼女は俺をレオと呼ぶようになっていた。
「賑やかではなくうるさい、と言うんですよあれは。2人は仲直り出来ますかね?」
「うーんどうだろうね。でもアリスちゃんがレグゾール君とヨリを戻したがったら面白くなるね」
「ははは。俺には地獄絵図にしか見えませんがね」
そんな冗談を言い合いながら片付けも終わり、そしてまた時間を持て余す。
こうして時間が出来てしまうと、窓の外を眺める癖が出来てしまった。
この部屋からは監獄の西棟がわずかに見えてしまう。どうしても彼女の事が頭を過ぎらざるを得ない。
そして戦場の事も。
レイさんの水魔法なしでも最近は睡眠薬でも寝付けるようになっていた。症状は回復傾向にあるが、炎魔法はあれ以来一切使えていない。
火を強く想起するだけで、あの光景が思い出される。
一薙ぎで数千という命を屠ってしまった現実も、狂ったように笑いながら火に囲まれる前世の自分も。
恐らく俺はもうこの炎を使うことは出来ないだろう。使えたとしても次の代償がどんなものになるかは想像が付かない。
炎魔法を行使すれば、数千という人間を道連れにする。そういう力を持っているというハッタリだけを武器に、この貴族世界を生きていかないといけない。
そしてこの事実を知るレイさんは、もう絶対に手放せない存在だった。
王家に阿るにせよ、距離を取るにせよ。
「また難しい顔をしてる。楽しくなかった? お茶会」
背後からレイさんに声をかけられハッとさせられる。
あわてて取り付くように笑顔を張り付け、弁明の言葉を述べる。
「あぁいやすみません。少し考え事を」
「もう、本当に仕方ない人」
彼女が俺を後ろから抱きしめてくる。
「もう戦争は終わったんだから。少しずつでいいから現実に帰ってこよう」
彼女の言う通り、なのだろう。世間では戦争は終わった事になっている。
完全に元通り、とはいかないが王都の復興は目覚ましいモノがあるし、レグゾールとディリアスは軍への就職が決まり、学生時代を終えて社会に向き合っている。
目の前に集中して今を生きなくてはならない。
貴族として、生きる覚悟を決めなくてはならない。レイさんとの婚姻もまだ内々のもので、先延ばしにしてきた式を挙げる必要だってあるし、新たな領地に赴く必要だってある。
けれど出来る事が何も無いというのに、フィオナの事がずっと気にかかっている。
いっそすぐにでも彼女の処刑が行われてくれた方が楽なのかもしれない。
そんな事を思ってしまうほどに、彼女の行く末は俺を捉え続けている。
「やっぱりフィオナ様の事?」
俺が分かり易過ぎるのか、彼女の勘がいいのか。そんな事を言わせてしまった。
誤魔化す事も出来るが、結局問い詰められて白状する事になるから。早々に諦める。
「まぁね」
「奥さんに抱きしめられてるのに他の女を想うなんて、浮気者め」
「……そういうんじゃ――――」
「わかってるわかってる。冗談だってば」
抱きしめている腕に力が籠められる。
「大切な人だったのは知ってる。複雑な心境だってのも分かる。でも一人で抱えて物憂げに想うのは辞めて。嘘でもいいから私が一番大切って言って、お腹いっぱい食べて、ちゃんと悩みを話して」
「悩んでなんてないですよ。……いや、そうですね。では何か食べに行きましょうか。おいしいお店、連れて行ってください」
「……まぁよしとしましょう。それじゃあ今日は外食だね」
拘束を解いて、楽しげな様子でレイさんが部屋を後にする。
得難い人を、伴侶として迎える事が出来たのだと思う。
例え彼女が王家から密命を帯びて俺と共に居るのだとしても。この人になら騙されても幸せな人生を送れる気がする。
フィオナの事はずっと頭に残っている。
それはいつか忘れなくてはならない事だし、忘れていく事だ。
けれども今だけは忘れることが出来ない。
こんなに幸福な状況に居るというのに、彼女の事を考えてしまう自分がいるのだ。
レイさんという、本当に大切にしなくてはならない存在がいるにも関わらず。
王太后から連絡が来たのは翌日の事だった。
要件はやはり一言だけで。”手伝え”とだけ書いてある。
詳細な要件が書いてないのに、嬉々として俺はユリ様の下へ向かうのだった。
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