第36話 現実

 彼女からの招待状を見た時に、レイさんは興奮しながらも少し難色を示していた。

 ユリ様から声がかかるのは彼女程の身分でも光栄で稀有なことであるらしい。だが、先日アリーさんが来訪したのは王太后の使いとしてだった。

 だから今回もフィオナ絡みであることは容易に想像が付くわけだ。


 ブラックウェル家の馬車に乗って、レイさんと2人王太后ユリ様の離宮に向かう。

 レイさんの装いは真紅のドレス姿で、生地の重厚さもさることながら細かい所まで精緻な刺繍が施された一目で圧倒される正装で、戦闘服だった。

 それに併せて、俺も簡易式とはいえ俺も正装を着せられている。首までしっかり締められた慣れない衣装に居住まいが悪い。

 

「慣れませんか?」


 首元をしきりに気にしている俺にレイさんが言う。「大丈夫ですよ」と答えるが、彼女は横目で何度も俺の様子を気にしている。

 車内で会話は無かった。

 ユリ様の要件がフィオナに関わる事だとお互いに分かっていたけれど、それが話題になることはない。彼女が必要以上に着飾っている事にも触れない。今は知り合いの婆さんに会いに行く、くらいの感覚でいるが、一番最初の面会の時は非情に緊張した。それに、女性であるレイさんにとって、貴族世界で最も強い力を持つ女性に、夫を伴って伺うという事は特別な事だった。


 離宮に到着し、いつぞや案内してくれて初老のメイドに案内される。

 どうぞと通された場所は、以前通された部屋だった。メイドさんがノックをして、扉を開けてくれる。


「やぁいらっしゃい、レオナルド。それに綺麗になったね、レイヴィンも」

「お褒めに預かり光栄です。陛下」

「それで、何を手伝えばいいんですか?」


 ユリ様に恭しくお辞儀をするレイさんを余所に、空気の読めない俺が先を促す。

 横でレイさんが目を丸くしているが、ユリ様は実に楽しそうに笑っている。これが、公の場ならレイさんが正しいのだろうけれど、非公式な今はこんな不作法も許される。


「レオナルドや。お前はやっぱり魔道具職人にならないかい? その正確なら職人として大成するよ、私が保証する」

「だから興味がないんですってば」

「くくく、惜しいねぇ。レイヴィンや、お前も厄介な男を掴まえたね。ちゃんと手綱は握っておくんだよ」

「は、はい」


 この部屋は以前にも増して、ガラクタで溢れかえっていた。ユリ様に促されソファにまで向かうのだが、レイさんはドレスをひっかけないように慎重に歩いていた。

 ソファに座れば、例の魔道具で、紅茶を手ずから淹れていただく。そして、彼女が話し始める。


「早速だがね、フィオナの裁判が3日後に開廷されることになった。といってもお題目を唱えるだけ。午後には王都中央広場に連れていかれ即日処刑される」


 事も無げに重要情報をユリ様が言う。おそらく市井にもすぐに公表されるのだろうが、俺達も初めて聞く情報だった。特に、処刑まで即日行われるとは予想外だった。


「元婚約者として助けに行きたいかい?」


 俺を試すかのような問い。隣でレイさんが息を飲む微かな音が聞こえる。

 考えるふりをしながら紅茶を口に運ぶ。

 ユリ様は感情の読めない鉄仮面ながら、かすかに口角が上がっていた。それに招待状の文言からも彼女が何を考えているのかは見当が付いていた。

 だから努めて、平坦に。彼女に倣って何でもない事の様に言う。


「最初に言ったとおりですよ。何を手伝えばいいんです?」


 もう隠し事をする必要が無くなったと言わんばかりに、ユリ様が楽しそうな笑みを浮かべている。


「当日の朝、フィオナを裁判所に連れていく事になるんだが、この時正装に着替えさせる必要がある。その時にフィオナとアリーをすり替える。レオナルドにはそれに同行して欲しい」

「ちょっと待ってください。それではアリーさんがフィオナとして処刑されるというのですか?」

「そういうことだ。これ以上無粋な事は言わないように。あの娘も覚悟の上だ」


 子供が悪だくみをするような笑顔なのに、目の奥だけはギラギラと照っている。その眼の輝きは、強欲を超えるほどの欲に満ちていて、あの国王は確かにこの人の息子なのだと理解させられる。


 しかしフィオナを助けるためにアリーさんが犠牲になる。そんな事をフィオナが了承するはずがない。

 

「そうだ。先日フィオナに会いに行った時と同じさ。お前とフィオナの関係は今や国中が知る。世間の同情が集まっている今なら、お前が最後に少し話がしたい、という我儘も通るというものだ」

「仮にそれが上手くいったとしても、フィオナが納得するとは思えませんよ。彼女は、変わり身を立てられるような人じゃない」

「それをお前が説得するんだよ」


 穴だらけの計画だった。耄碌したんじゃないかと思うほど、杜撰な計画。

 しかし貴族世界で生き抜いてきた王太后がこんな策しか弄せない程、事体は切羽詰まっているという事だった。

 そもそもフィオナを助けた所で展望は無い。正当な侯爵家の血筋を残したところで、国王の独裁を止める事は出来ないだろう。むしろ余計な火種を残すだけだ。

 彼女も、それが分かっているから甘んじて死を選ぼうとしている。

 だから助けたいというのはエゴ。打算も何もないエゴだけだった。

 事が露見すればタダじゃすまない。そんな我儘に大勢の命を懸けていい筈が無い。


「口を挟んで申し訳ありませんが、陛下。このお話、私共は聞かなかった事に致します。こんな無謀な策では無駄に命を投げ出すだけです。夫を死なせる訳には行きません」

「そう、かい。ならばレイヴィン。お前はお前の務めを果たすんだよ」


 レイさんが深くお辞儀をした後、勝手に部屋を後にしてしまう。

 まだ話が終わっていないのだから、もっと別の策を講ずる必要があるのだから。ここに居なくてはいけないのに。


「レオナルド」


 慌てる俺にユリ様が言う。


「レイヴィンの言う通りだね。無駄足を踏ませて悪かったね。これに懲りずまたこの婆の相手をしておくれ」


 ユリ様のそんな言葉を聞き遂げた後、俺達は離宮を後にするのだった。

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