第37話 十字架

 その日の夕方から王都は雨になった。

 水を叩きつける様な土砂降りの雨。遠雷も鳴り響いている。

 そんな夜の事だった。


「レオ。今イルティナさんが来た」


 唐突にレイさんに声をかけられる。慌てて、玄関にまで向かう。

 雨除けの外套をすっぽりと被った人影がそこにはあった。見慣れた赤い髪が一房フードから零れていることから間違いなく イルティナだった。


「どうしたんだ、こんな時間に」

「貴方。とにかく中に入ってもらいましょう」

「いやここでいいよ。すぐに済むから」


 慌てて部屋に迎え入れようとする俺達をイルティナが制する。

 大きな外套で近づかないと気付かなかったが背嚢ごと外套を被っており、彼女は旅装だった。


「お別れを言いに来ただけなんだ。突然だけど、この国を離れることにしたよ」

「……それは随分唐突だな」

「前から考えていたんだよ。学院も無くなっちゃったしさ、いい機会だから冒険者として生きる事にしたんだ」

「そう、か。羨ましい限りだ」

「でしょ。だから見せびらかしに来たんだ」


 イルティナがはにかんだ笑みを浮かべている。


「餞別も何も用意してないぞ」

「いらないよ、顔が見れただけで充分」

「……フィオナの事聞いたか? 3日後処刑が行われる」

「知ってるよ。だから離れる事にしたんだ。」

「そう、か」


 突然の事で言葉が上手く出てこない。

 お前も、俺の前からいなくなるのか、なんて。自分勝手な感想が浮かぶ。

 けれども彼女の決定は受け入れなくてはならない。


「資金の方もね、大口のパトロンが見つかってさ。何とかやっていけそうなんだ。だから心配しないで」


 雨に打たれる中、彼女が拳を付きだしてくる。その拳に拳を付き合わせて挨拶は終わる。

 土砂降りの雨の中に彼女の後姿は溶け込んでいって、彼女は行ってしまった。

 皆で酒を飲んで上手い飯を食べに行こう、という約束を果たせなかったな、と。そんな後悔を少しだけ抱え、友人の旅立ちを見送った。


「親友、だったんだよね? よかったの? このようなお別れで」


 レイさんのその問いに、”あぁ”と返すのが精いっぱいだった。


 

 自分の周りからどんどん人が居なくなっていく。

 柄にもなくそんな事を思っている。


 夜、レイさんと共に眠り彼女に水魔法を行使してもらいながらでなければロクに眠れなかった症状は少し改善していた。今は睡眠薬を飲めば何とか眠る事が出来ている。

 彼女は睡眠薬には魔薬が含まれており中毒の危険があるからと飲ませたがらないのだが、彼女が居なくても平気な状況に戻す必要があった。

 今日は立て続けに色んなことがあったからと理由を付けて。一人寝室に居る事が出来た。


 大きくため息が零れる。

 そしてこれからやってくる大きな試練に、少し眩暈を覚える。

 ユリ様にとんでもない借りが出来てしまったとも。


 フィオナの救出計画は上手く行っていた。少なくとももう俺の手を離れていた。


 監獄で俺が面会出来た事がそもそもおかしい話だった。

 特に看守はわざわざ王太后の名前まで出してきた。戦争の英雄になったとはいえ、まだ力の無い若造である俺に出来る事がユリ様に出来ない事は無い。

 俺との面会の後に、フィオナとアリーさんのすり替えは行われていた。

 そしてその逃亡にイルティナが抜擢されたという事だった。


 随分俺の身の回りで完結しているなとも思うが、友人で優秀な剣士であるならばこれ以上の適任はいなかった。

 平民出で、人当たりの良い彼女なら上手く民衆の中に溶け込みながらこの国を出る事が出来るだろう。少なくとも名のある冒険者やユリ様子飼いの戦士を遣わすよりも適任だった。


 ただフィオナには同情をする。

 ずっと貴族として、それも侯爵家の姫君として生きてきた女性が、民衆に紛れて国を後にし、もう戻る事の出来ない追放された王国を想いながらも、現実を生きていかなくてはいけない。

 おそらく祖母の実家を頼る事になるのだろうが、生きているだけで火種になる彼女は厄介者以外の何物でもなかった。対王国の旗頭を得るとはいえ、彼女の行く末はいばらの道だった。


 紫髪の女が監獄の西棟に居る以上、誰もフィオナが居ないなんて事には思いも寄らないだろう。

 まして目の前で処刑されれば、彼女が生きているなんて思いもしないだろう。


 だから俺に残された最後の試練は、この秘密を墓までもっていく事だった。

 特にレイさんにだけは、絶対に明かす訳にはいかなかった。


 彼女は王家と通じている。

 ゴーレムだったとはいえドラゴンを倒した途端に俺の前に現れた新たな婚約者。

 本気で自分が危険視されるほどの力を持っているとは思わないが、王家が念を押したのは明らかだった。

 それに、あの婚約騒動は明らかな侯爵家への挑発だった。侯爵がフィオナと縁を切りフィオナを俺に託し侯爵家の血筋を残すという保険が使えなかったのも彼女が居たからだった。

 そして侯爵がクーデターに俺を巻き込まなかったのは遠慮したからではなく、彼女が居たからだった。

 懐にまで潜り込ませた人間に、情報を求めない訳がないのだから。


 だからといって、子爵家の存亡を担った以上レイさんを無下に扱う事は出来ない。あの状況では彼女との婚姻は必須だったし、それはこれから先もずっとだ。


 故に俺は、自分の傍らにずっと居てくれる人に、本心を晒して生きていく事は出来ない。

 特にフィオナの事は絶対に。


 ヘタクソな芝居までしてフィオナを救出する計画を立て仲たがいした、という情報を与えたのは彼女にその情報を王家に流してもらうためだった。

 アリーさんという侯爵のご落胤で、紫髪の娘がいるという情報を与えたのも俺たちがすり替えを画策しているという餌に食いつかせるためだった。

 一番最初に俺に招待状を送った時はあれほど用心深く回りくどい事をした人が、今回はストレートに誘いを申し入れてきたのは、レイさんという間者に必ずこの情報を流す必要があるからだった。

 これで王家は、未知数だったフィオナ救出計画の全貌を知り、頓挫したと信じてくれる。既にすり替えが完了していることには思い至らず。

 

 手伝え、と言われてまさか芝居を手伝う事になるとは思わなかった。

 だが、他力本願とはいえフィオナに生き永らえてもらうのは俺の願いでもあった。ユリ様がどんな画を描き糸を引いているかは知らないが、リスクを負いたい価値があった。


 貴族という生物は笑顔で毒を呑み干しながら、笑顔で人を刺す準備をしなくてはならない。

 俺には荷が重い職業だった。


 だが投げ出すことはもう出来ない所にいる。

 今まで気が付かないフリをしていただけで、多くの命が俺に預けられている。

 その命を溝に捨てる様な真似は許されない。

 ただ、あまりにも難しい環境過ぎて、ただただ大きなため息が零れるのだった。

 

 土砂降りの雨が降り雷鳴が轟く中こんな喧騒の中なら誰も見ていないだろうとそんな弱音を吐き、愛した人が助かった事とその前多多難な人生に、少し涙が出た。

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