第38話 本当の覚悟

 夜半、寝室の扉がノックされる。

 返事を返すとシルクのネグリジェ姿のレイさんが部屋に入ってくる。


「寝付けないの? 大丈夫?」

「今から薬を飲むところだよ」


 暗に近づかないで欲しいと伝えるが、彼女は構わずに距離を詰めてくる。

 その煽情的な姿に目のやり場に困ってしまう。毎夜肌を重ねて寝ていたがそれは切羽詰まった状況での治療行為で、余裕が出来、薬で抑制出来ている今は恥ずかしさがこみ上げる。


「一緒に寝よ」

「本当に大丈夫だよ。薬で眠れるから」

「そうじゃなくてさ、私が一緒に寝てほしいんだよね」


 ぴとりと、肌と肌が吸い付くように抱きしめられている。瞳は少し潤んでいて、一つ大きな雷が鳴るとびくりと彼女が震えていた。


「……もしかして雷が怖いとか言いませんよね?」

「いいでしょう、子供っぽくたって。今までは君を抱きしめて寝てたから誤魔化せたんだけど、やっぱり怖いんだよ」


 近くで鳴った雷に、やはり彼女が体を震わせる。

 1年共に居て、初めて知る彼女の一面だった。

 それだけ目の前の現実忙しかったということであり、彼女と向き合ってこなかったという事だった。

 ここで彼女を帰すと生涯遺恨を残しそうだなと、バカみたいなことを考えながら彼女と共にベッドに入る。


 部屋には雨音と時折雷の音だけが鳴り響く。

 少し雨音は弱まってきていた。彼女は俺の背中を抱きしめている。

 彼女が魔法を使う様子はなく、薬も飲まなかったから目が冴えていた。

 薄い布越しに伝わる彼女の体温は温かく艶めかしい。


「ねぇレオ。まだ起きてる?」


 耳元で囁かれる彼女の声。こくりと首肯して答えてみせると、小さく彼女が笑う。


「私ね、レオとこうしているの本当に好きだよ。温かくて安心して、君が寝息を立てるのを見届けると愛おしいなって思うんだ」

「……いつも感謝してますよ」

「ありがとう。でもさ、レオの心に触れたって思えた事は一度も無かったかな。君はいつも私じゃなくて遠くを見てるから」

「…………」


 彼女の言葉に、責める意思は感じられない。睦言のように甘く優しい声音で続ける。


「聞いてくれるだけでいいんだけどさ。少し身の上話をしてもいいかな」


 再び首肯で答えると彼女は「ありがとう」と小さく呟き、抱きしめる腕に少し力が籠められる。

 

「知ってると思うけど私の家は王家に連なる一族なんだよね。昔から頭のおかしい近親婚を繰り返してきて、初代国王の血統を守ってきた。だから権威だけはあったけど、ずっと貧乏でさ。特権と王家からの援助金が無いと成り立たない家だったんだ」


 衣擦れの音がするくらい、強く俺の服が掴まれている。彼女の声に決意の様なものが混じる。


「家が伯爵家に降爵してからはホントに酷かった。特権が取り上げられて収入がほとんど無くなったのに皆今までの生活を変えられないんだもん。私がお金持ちの家に輿入れするって話も出たんだけどさ、なまじ家格が高いからそれも上手く行かなくってさ。だから助けてくれた王家には絶対服従なんだよね」


 ぐっと力強く抱きしめられる。


「私、フィオナさんの事報告しなくちゃいけない」


 何処で露見した、と冷汗が吹きあがってしまう。

 慌てて平静を装うとしても無駄だった。こんなに密接しているから俺の反応は彼女に筒抜けだった。


「レオは分かり易いなぁ。分かり、易いなぁ…………」


 涙声交じりの彼女の声。


 雨足は少し弱まったようで、微かに雨音が部屋の中に響いていている。時折響く雷もずっと遠くから響いている。

 静かな時間が流れている。

 彼女は何も言わずにただ俺を後ろから縋る様に抱きしめているだけ。俺も、何をするでもなく黙っている事しか出来なかった。


 最初に思いついたのが、彼女を殺さなくてはならない、だから。俺には人の血が流れていない。


「…………何故それを俺に打ち明けたんです?」


 疑問を彼女に問う。考えなくとも、彼女が俺にそれを伝える必要は無かった。

 ただ王家に密告し、王家から逃亡中のフィオナを捉えるだけでいい。

 監獄の囚人がアリーさんだと露見すれば、それだけで証拠が揃う。

 彼女が俺にそれを告げる理由が無かった。


「なんでだろ、ね。」

 

 困ったように彼女が言う。


「レオの事が好きだからかな」


 冗談めいた雰囲気はなく、まるで本当の事のようにぽつりと、彼女が零す。

 その言葉の真偽も意図も、俺には分からない。

 だから話を誤魔化すように話題をすり替える。


「いつ気づいたんです?」

「レオをずっと見てたからかな。君がフィオナさんの事を本当に大切に想っているのはいつも視てたから。だから陛下に食い下がらなかった事も、イルティナさんとのあっさりとしたお別れも違和感があったよ。あえてそんな風にしてるみたいに私には見えたんだ」

「……流石ですね。恐ろしい、くらいです」

「……うん」


 再び部屋の中を沈黙が支配する。

 雨音だけが部屋内に響いている。


「何故俺に打ち明けたんです?」


 もう一度同じ問いをする。

 2回目の問いに吟味するように思案した後、彼女が返す。


「レオはさ、運命って信じてる?」


 どきりと心臓が高鳴る。

 その言葉は、最近特に考える事がある言葉だった。

 だから二の句を告げずにいる。代わりに彼女が続ける。


「諦める時の言葉だったり、巡り合わせに理由を付ける時の言葉だったりするんだろうけどさ。私は覚悟を決める時の言葉だって思いたい」


 すっと彼女が俺から離れていく。


「レオになら殺されてもいいよ。でもね、君が私を一番大切にしてくれるなら、私は貴方の為に生きたい。王家と実家を裏切ってでも」

 

 振り返った時、目と目が合う。

 彼女は真摯で、強い意思の籠った瞳をしている。

 きっと人生で一番の勇気と、覚悟が込められていた。


 何か答えなくてはならない。

 けれど、いつかの時と同じで、ずっと棚上げしてきたこの問題にまだ、答えを出していない。

 だから口からはこんな言葉が出る。


「俺も少し、身の上話をしてもいいかな」

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