第20話 新たな婚約者との邂逅

 翌日、俺はまた授業をサボり図書館で資料を漁っていた。

 国王からの直接の命令である、ブラックウェル伯爵家との婚約をロートブルグ子爵家が断れるわけなく、その申し出が正式に受理され大々的に公布されたらしく、おまけにその相手が学院の教師として赴任してきた訳だから、ドラゴン討伐で湧いた昨日まで以上に俺は火中に放り込まれた格好だ。


 たかが一介の子爵家が、侯爵家と伯爵家の令嬢と同時期に婚約する等、子爵家が侯爵家と婚約関係にある以上にあり得ないことだ。ドラゴン討伐によって名を挙げたとはいえ、その功績だけでこんな無理が通る訳が無い。

 だから子爵家には何かがあると、邪推するのは当然の事なのだろう。今貴族たちや国民の目まですら俺に注がれている。

 彼らにすればこれはいい目くらましなのだろう。侯爵家に泥を塗ったのは、宣戦布告なのか復讐なのか、鞘当てなのか、俺にはまるきり分からないけれど、事が動き始めるにはいい隠れ蓑であるはずだった。


 自分が力の無い若造であることを思い知る。おそらくこれから何かが起き始める。その片鱗をつかんでおきながら、何が起きるかわからないから、何も出来ないでいる。



「授業をサボるのはいいけどさ、私の初授業位は出席して欲しかったな」


 気が付けば昼過ぎで、無人のはずの図書館には俺とレイさんだけが居る。

 彼女はそんな軽口を言いながら、対面の席に腰かける。


「ものの見事に魔道具関連ばかりだね。秘匿された技術がほとんどだから、肝心の情報は手に入ってない、って感じかな」

「本当に力になってくれるみたいですね、少し意外でした」

「まぁ可愛い生徒の頼みだからね。……嘘だけどね。もっと君と仲良くなりたいんだよ」

 

 ぱらぱらと幾つかの書籍を流し読みするレイさん。彼女の言葉を待つ俺。

 ぱたりと本を閉じた後、本の山の隙間から彼女の目が俺に向けられる。


「なんかごめんね。その隈、全然眠れてないんだよね」

「……俺も、レイさんも被害者でしょ。謝ってもらう必要は無いですよ」

「そういう言い方は嬉しくないな。成り行きではあるけれど、私はこの縁を大切にしたいと思っているよ」


 そういう物言いは反応に困る。いい加減、貴族世界での婚姻がかくも唐突に、当人たちの感情抜きに決められるものであることは理解してきたが、何を言うべきなのか全く分からない。

 彼女はふっと視線を逸らす。


「でもまずは君の力にならなくちゃね」

 

 そしてずいと、目の前の本の山を脇に避ける。

 次に向けらえるレイさんの瞳は先ほどまでの柔らかさが無く、真剣なものだった。


「何の情報が必要なの?」


 おそらくこれが彼女の魔法使いとしての側面なのだろう。駆け引きの要素が無く、必要なものを全て開示するように迫る合理的な在り方は、相手の言葉の裏の裏まで読まなければならない貴族たちに比べれば余程好感の持てるものだった。

 相手は王家の人間で、味方かどうか分からない。むしろ俺の動向を探るための間者、そうでなくても鈴であると考えた方が余程自然だ。しかし今は協力者として信じる事にする。もしも彼女が邪魔になり、敵になるようなことがあれば、その時は剣を取ろう。

 小さく息を吐き、自分の脳みそを切り替える。


「ドラゴン討伐の時、明らかにドラゴンの出現が異常だった。ドラゴン程の魔物を魔道具で召喚や瞬間移動させる技術があるのかを知りたい。加えてどのくらいの魔石が必要となるか」

「……なかなか具体的だね。」


 俺の問いに彼女は右手の甲を顎に乗せながら思案を始める。たっぷりと十秒程考えこんだ後彼女が口を開く。


「魔道具で出来ない事はないけれど、実用性は皆無、かな。 もう少し説明しようか?」

「頼みます」

「うん、任せて。 実を言うと魔道具はずっと昔に開発されモノを新たに作り直しているだけで、イチから生み出される事はほとんど無いの。製作に魔晶石や質のいい魔石が必要になるから、使い物になるかどうか分からない試作品には怖くて使えないって訳だね。

 だから既存の魔道具にそういうものがあるのかどうか、って話になるんだけど。そういう、モノや人、そして魔物を移動させる魔道具は確かに存在する。けれど、かなり貴重なモノだから、持っている人は10人以下に絞る事が出来るくらいだね。国の研究機関にも1個あるけれど、物凄い魔力を消費するから、使い道は緊急的な情報を伝えるために手紙とかの軽いモノを移動させるのがほとんどで、人間を運ぶというだけで魔晶石半分程の魔力は使い切るから、ドラゴン程の大型の魔物を運ぶのはちょっと無理かな。魔力のブーストを無尽蔵にかければ可能かもしれないけれど、およそ現実的ではないよね」


 彼女の言葉通りなら、ドラゴンを召喚する、なんてことは無理な話だ。

 捨てるほど魔晶石を持っているというなら話は別だが、あまりにもコストが悪すぎる。実験として試す事すら行われないだろう。

 しかしそういう魔道具が存在する、という情報は為になった。侯爵があんな短時間で王都からメリーナ領の屋敷に来ることが出来たのはこの魔道具のお陰でまず間違いないだろう。


「一応聞くけどさ、この魔力を減らす方法とかは無いのかな? 例えば魔物が持つ魔石を消費するとかさ」

「なかなか面白いアプローチだけど、それも難しいかな。魔物にとって魔石は自分の命だからね。仮に生命力の半分を消費すればそれが可能だとして、生命力が半分の状態で行動は出来ると思う?」

 

 話す必要も無く答えは無理だった。虫の息の魔物を召喚したところで何の意味も無いし、あれはそういう状態ではなかった。

 いい線を行っているとは思うのだが、何かが足りない。そんなもどかしさがある。


「えっと、目論見が外れたみたいだけど、役に立ったかな? 私」

「えぇすごい助かりましたよ。俺はここでウンウンと唸っていただけでしたから、出来ない、という事が分かっただけでも収穫です」

「えへへ、良かった。じゃあご褒美をお願いね」

「はい? ご褒美?」

「そう、ご褒美。 自分のお願いは叶えて貰って私には何もない、っていうんじゃフェアじゃないでしょ? だからご褒美」

「…………何をすればいいですか」

「えへへ」


 彼女が席を立ち、俺の隣までやってきて、顔を真っ赤にしながら両手を差し出してくる。


「ぎゅってして」

 

 突然の言葉に動揺を隠せなくて、表情は眉をしかめて強張り、ぎっと、椅子が後方に引きづられて音を立てていた。


「距離感がおかしいのは自覚してるけどさ、ちょっと気付くな、その反応は」

「いやいや、どう考えてもおかしいですって。若い乙女が何言ってるんです」

「若い乙女って。 大丈夫大丈夫、これは恋人がやるやつじゃなくて、親愛の情だから。ほら、ハグをするとねストレスの軽減に効果があるらしいんだよ、君はこのお陰でよく眠れるようになるかもしれないしさ。それに仲良くなる為には身体的接触は欠かせないんだよ。 それとも恋人がやるやつの方が良いかな? キス、とか」

「……ハグで、お願いします」

「はい。じゃあ、どうぞ」


 有無を言わせず、そういうことをする流れになってしまって、流れに流されている。

 図書館には誰も居ない。俺達しかいない。この時間には他に誰かが来る心配も無かった。

 こういう中途半端なのが一番いけないということは分かっているけれども、彼女の尽力に、何も報いないというのも不義理なのは確かだった。

 これはあくまで親愛の情によるものだと言い聞かせる。

 すっと両手を広げてみるけれど、彼女が動く気配はない。顔を真っ赤にしながらそれでも目線を外さない彼女の瞳は、俺から抱きしめるようにと言っていた。

 意を決して歩を進め彼女との距離を詰める。もう一歩進めて彼女と俺の体が密着した。

 

 女性にしては少し背の高い彼女の体が俺の腕の中にあって、彼女の腕が背中に回されて、彼女が俺の背中をさする。それが心地よくて、彼女の肩と腰に回した両手に、少しだけ力を込めて彼女を抱きしめた。

 彼女は柔らかくて温かく、ほんの少しいい匂いが香った。心臓が早鐘を打ち顔がどうしようもなく赤面しているけれども、この体勢なら彼女にばれる心配は無かった。

 体が密着し合ったまま、彼女が俺の背中をさする手を止めることなく、言葉を吐く。


「レオナルド君はたくましいね」


 その言葉に何か返さなくてはと思ってしまった。


「レイさんは柔らかいです」

「ありがと。 でも女の体が柔らかいって何かやらしいね」


 冗談めかしたはずの彼女の言葉に過剰に反応して、思わず両手を離していた。

 けれど彼女は抱きしめるのを止めず、少し身じろぎをして座りを直し、また俺を抱きしめなおした。


「まだだめ。 ね、さっきより少し強く抱きしめてみてよ」


 もう脳の奥まで煮えているようだったが、とにかく何も考えないようにと無心を心がけて、もう一度彼女を抱きしめなおした。今度は少しだけ力を強くして。

 ん、と。彼女の小さな嬌声が響いて、抱きしめる手を解きそうになったけれど、そのまま抱きしめ続けた。

 彼女が辞めるように言うまで、そうして彼女の体温と柔らかさをこの手で抱き留め続けた。

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